庶民の女【イーサン視点】

 

 彼女のことは貴族になる前から知っていた。

 だってグレイスター商会といったら貴族の誰もが頷くぐらい流行りのテキスタイルだった。商品をひとつも持っていない奴は所謂“流行遅れ”。

 お洒落だし何より質が良い。人気すぎて生産が間に合わず、手元に届くまでかなり時間が掛かった。それがまた貴族おれたちの心を擽る。


 ただ──、グレイスター家が貴族の地位を賜ってからは、違った。

 家柄、伝統、血筋。それから優雅で、高潔。庶民とは明らかに違うもの。

 成り上がりの商人とは同じ舞台で話せない。泥臭いのは貴族じゃない。パーティーまで堂々と売り込みをして。恥ずかしいったら。


 次第に、貴族同士仲良くしてまでグレイスター商会のものが欲しいという人も居れば、そこまでして身に着けたくないという人に分かれていった。

 貴族の地位を賜ってからというもの、当初の勢いはなくなった。それでもやはり、質は一級品だ。


 俺は流行りなんかに乗らなくてもいつの間にか父に与えられていた。グレイスター商会のテキスタイルを取り入れたスーツやネクタイ。友人の令息や、取り巻きの令嬢にも羨ましがられた。

 何故父は生産が間に合っていないグレイスター商会のものを手に入れられたのか。

 エミリーと婚約しろと命令され、気が付いた。


 父の仕事を手伝って、休みの日は思い切り女と遊ぶ。それだけで十分だったのに。何で俺が成り上がりの商人なんかと婚約しなきゃいけないんだ。

 仕方なくデートしてみるも、彼女はいつも最先端のドレスを身に纏っている。ガッティーナブティックといえば貴族女性の誰もが憧れるブランドだ。しかもまだ世に発表されていないデザイン。商会の娘だけあって一点物の生地。


 最初の頃は親子でよくパーティーに参加していたのを覚えている。

 俺とそう歳も変わらないのに父の年代と楽しそうに話していて。オジさんと話して一体何が楽しいのやら。

 ダンスも下手だし、作法も全然ダメ。エミリーと話していても楽しくない。貴族令嬢らしく少しは可愛い声で男に媚びたらどうなんだ。


 彼女と居たら苛々するから、だから冷たくしてやった。

 そこそこのレストラン。会う回数もうんと減らせば、寂しくてその内泣きついてくるだろう。

 生憎女には困ってない。言っちゃあ悪いが俺は貴族令嬢の憧れの的だ。元庶民の成り上がりが俺と婚約出来ただけでも有難いだろ。

 なのに彼女ときたら。月に一度でも、そこそこのレストランでも、楽しそうに美味しそうにするから。余計に苛々する。

 そうしたら、「死んだ方が楽」だなんて。それは流石に困る。なんとか取り繕ってパーティーに誘ったけど、結果がこのザマ。


 遊び相手のルイーザは堂々とエミリーを罵るし、同級生で友人でもある殿下の手も煩わせ、終いにはシャンパンを掛けられたドレスでホールを飛び出すエミリー。

 もう最悪だ。

 ちゃんと婚約者らしく振る舞えればエミリーも満足してくれてたろうに。これから普通になるところだったのに。こんな見世物じゃ俺の評判だって下がるじゃないか。


「あらあら。彼女、帰っちゃったわね。残念だわぁ。ねぇイーサン? 今まで通りわたくしを誘って下さればこんなことにはならなかったのにねぇ?」


 俺の腕に擦り寄り、わざと胸を当て上目遣い。女を堂々と武器にした様はまさに貴族令嬢。

 ルイーザはこの国で金融業界トップのアルダ侯爵家長女。好んで逆らう奴は居ない。


「っ……ただの遊びだからと、ルイーザが誘ってきたんだろう」

「ええそうよ? 貴方とはただの遊び。飽きたら終わり。でもね、わたくしまだ飽きていないの」


 うふふふ、と嗤って扇子を上品にはためかせている。

 このパーティーに出資したのもアルダ候爵家だ。殿下も口を出そうかと頭を抱えているが、彼も人を転がすのは上手い。


「こらルイーザ。ちょっとやり過ぎ。主役まで奪われたら悲しいな」

「あら、それはごめんなさいね。目立ちすぎたかしら?」

「君はいつだって一番目立っているし輝いてるだろう?」

「ふん、貴男も誰かさんの婚約者と同じで口がお上手ね」

「事実だからね。で? イーサン、君はエミリー嬢を追い掛けないくていいの?」

「……追い掛けて、俺に何が出来るって言うんだ……」

「それでも追い掛けるのが愛だろ?」

「愛……」

「はっ! そんなものが彼にあるとは思えないわ」


 そう投げ捨てるルイーザ。

 エミリーに愛情を一度も抱いたことはない。エミリーだけじゃない。今まで付き合ってきた女性にだって一度も、抱いたことなんて……。


「ルイーザ、イーサンは置いておいて私とダンスでも踊ろう」

「……ふん。こういうときばかり誘って下さるのね」

「こういうときだからこそだろう? ほらほらイーサンは邪魔だから早くルイーザから離れて」

「わ、分かりましたよ」


 ルイーザはするりと腕を離れ連れ出された。俺には見せない表情で。君も素直じゃないひとだな。

 一人取り残されて、周りの視線も痛いから行くしかない。何で俺がこんな目に。追い掛けて彼女と会って何を話せば良いというんだ。

 気が重いまま、俺は彼女の自宅へと向かった。

(……って。君って何だよ。まるで俺が…………っいや、そんなワケ無いだろ。俺は馬鹿か)

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