第6話 再会(後)

 ◆◆◆


 戸が開いても、顔を上げようともしない黒髪の男。何に集中しているかなど、微塵も興味は無いが。


「何してるの?」


 一応、社交辞令のように尋ねてみる。こちらに意識を向けなければ、任務を完了させることもできない。


「ああ。おまえか」


 ようやく、こちらを見た男の目は、底知れないほど深く、濁っている。藻で覆われた池そのものだ。流れも無く、何も住めない。

 とても、つまらない色。


「言われた通り、連れてきたよ? 逃げ出せないようにしてある」


 男は満足そうに、片側の口角を上げた。


「ご苦労」


「それじゃ、僕はこれで」


 報告を済ませて、やっと任務完了だ。ここに長居する必要もない。

 さっさときびすを返して部屋を立ち去ろうとすると、背後から制止の声が掛けられた。別の任務でも、あるのだろうか。


「他に、何か用でも?」


「おまえは、運命の相手に会ったことはあるか?」


「運命の相手?」


 いきなり何だ、と思う。任務以外の話を振ってくるのは、かなり稀だ。


「さっき、俺が何をしているのか聞いただろう?」


「ああ」


 確かに聞いたが、別に答えが返ってくるのを期待していたわけではない。それこそ、珍しいことなのだ。今日は、それほど機嫌が良いのだろう。


「運命の相手、か。そうだな。わからない、かな。僕の世界のほとんどは、『ここ』だからね」


 彼と長くいるのは好ましくないが、しばらく付き合うことにした。いったい、どんなご高説が聞けるというのだろう。


「なるほど。俺も、そんな頃があった。それこそ奴隷のような使いを受けて、すべてがつまらない。そんな世界だった。それが、あいつと会って初めて人として扱われ、世界が一変した」


 「つまらないのは、今もじゃないの?」という言葉は、喉の奥にしまっておく。揚げ足を取って機嫌を損ねるほど、愚かではない。


「僕みたいな奴でも、運命の相手に出会えるってこと? それって、どういう人?」


「もちろん、おまえにも可能性はある。それは、家族かもしれんし、友人かもしれんし、恋人かもしれん」


 僕の場合、家族は抜きだ。それもまた、心の中にしまっておく。


「その相手に会った途端に、これまでの過去も思想も、意味が無くなる」


 濁った池に、差すはずがないと思っていた光が見えた。それは、温かなものではない。見ているこちらの背中に、悪寒が走るほどの念。執着心、といったか。


「へえ、そうなんだ。なんだか想像できないな。でも、楽しみにしているよ。そんな相手に出会える時を」


 それだけ残して、部屋を出る。やはり、長く共にいるべき相手じゃない。無理に浮かべていた笑顔は、引きつっていなかっただろうか。

 ひどい疲労を感じて、玻璃にもたれかかる。鳥は今、街の上を飛んでいるのだろうか。ちらほらと明かりが見える。情けないことに、人の営みに安らぎを覚えた。


「デビル?」


 傍から見ても、よほど様子がおかしかったのだろう。明らかに心配している色が織り込まれた声色に、振り返る。

 振り返ってみて、わかった。実は、既に自分は、運命の相手とやらに会っているのではないだろうか。それは確かに執着もあるが、温かい風で心を満たしてくれるものではないだろうか。


「大丈夫だよ、ファント。運命の相手って話を、聞いてきただけだから」


「運命の相手?」


「そう」


 かの人と同じ色の瞳に、笑いかける。


「僕の運命の相手はね。ファントより、もっと強い輝きを持った人だよ」


 素直に思う。君で良かった。


 ◆◆◆


「エステス?」


 我に返って、声がした方に振り向く。月明かりの下で、エンペラーが心配そうな顔をして立っていた。


「ごめんなさい。誰かに呼ばれた気がして」


「空から?」


 答えに困って、再び夜空を見上げる。森が切れると途端に色が現れるほど、明るい月だ。離れたところに星も、ちらほらと見える。夕刻に見た、大きな鳥の姿は無い。ほったらかしだったホバーカーを移動させるには、好都合だ。

 首を横に振って、ホバーカーに乗り込むと、鍵を回した。

 集落からも港からも離れた森だ。人が来るようなところではない。しかし、一晩放っておいて夜露にさらすのも考えものだ。そこで、森の入り口にあるというエンペラー所有の小屋まで、ホバーカーを移動させることにしたのだ。

 助手席に座ったエンペラーの案内に従って、森に沿うようにして車を走らせる。数分後に、停車するよう指示が出た。停車した地点の草木をエンペラーがかき分けると、小屋が現れる。さすがに住居ほど広くはないものの、ホバーカー1台くらいなら楽に入れることができた。


「家から結構、離れてると思うけど。不便じゃないの?」


 小屋の中には、冬を越すための道具も入っているようだ。その中から、エンペラーが毛布を3枚取り出す。泊まることになった自分たちのためのものだ。


「まあ、多少は。他にも、5カ所ある」


「そんなに? そこも、こんな風に隠してあるの?」


「ああ。身を隠すためにな」


 エンペラーが、苦笑を漏らす。追われる苦労を思えば、多少の不便さなどかわいいものなのだろう。


「だからこそ、エステスが無事に大きくなったことが嬉しいんだ」


 思わず、目を見開く。


「私も、嬉しいわ。おじさんや、デスに会えて」


 次第に、像が結ばなくなってくる。鼻の先が、少し痛い。


「落ち着いたら、大陸にも遊びに来て。母さんも、喜ぶわ」


「ああ。必ず」


 あやすように頭を撫でてくれる手は、幼い頃と同じように、大きくて温かかった。

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