砂上の塔

第１話 砂漠の塔

　ふと、足を止めてしまう光景があった。

「寂しいわけじゃないの」

　出てきてしまう自身への言い訳こそ、『寂しい』という心の表れだっただろう。

　数年前に、父は他界。

　友人と研修に出掛けたまま帰らない兄。

　さらわれてしまった、すぐ下の妹。

　末の妹は極度の弱視で、原因が分らぬまま。

　色々なことが重なって、最近の母は体調を崩しがちだ。

　６人家族だったはずなのに、今はとても孤独で。

「うらやましい、わけじゃないの」

　仲睦まじく笑い合っている親子連れに憧憬の念を抱いてしまう私は、まだ家族を支えられるほど精神的に強くはなかったのだ。

「戻りたいわけじゃ」

　立ち尽くす私の髪を、後ろから掬われる感覚がして、振り返る。

　しかし、視界に映るのは遅れて動いた自分の金色の髪と灰色の壁だけで、誰もいない。思わず上を仰ぎ見ると、小さな白い影が走っていった。それを見送って、終わる。

　そんなことが、ここ数日、続いていた。

「鳥、かしら？」

　正体は分からないが、見守られているようで悪い気はしなかった。

「ずっと私といて。お願い」

　１３歳の私の、切実な望みだった。

　◆◆◆

「エステスー。どうだった？」

　鐘の音と共に、ほっと息を吐いたところに掛かった声に、苦笑いを浮かべて振り返る。

「かなり怪しいわ」

「あはは。やっぱり、ワンド教授のは難しいね」

　相手も、同じ感触だったらしい。同じように苦笑いを浮かべて、肩を落としている。

「ま、明日から長期連休に入るし。今は、忘れましょう？」

　立ち上がって、友人の肩を軽く叩いた。連休、という言葉に気を良くしたのか、既に表情は明るくなっている。

「そうね。とりあえず、お昼行こうよ。食べていくでしょう？」

「もちろん」

　机の上を手早く片付けると、先に廊下に出て友人を待つ。窓の外は日差しが強く、艶やかな緑色の葉は輝いていて少し眩しい。

　大陸内部にも、夏季がやって来ていた。こんな日は木陰で休んでいるのか、小鳥の姿もお目に掛かれない。

　少し残念に思いながら、息を吐く。ちょうどその時、軽い足音が近付いてきた。

「お待たせ」

　さっそく食堂に向かおうとしたのだが、「待って」と制止の声を掛けられる。

「何か付いてるよ」

　友人が、白い手を伸ばす。触れられた金色の髪は、５年前に比べて随分と短い。かつて兄が通っていた学校に受かったのと同時に、強いくせ毛を切ってしまったのだ。

「はい、取れた。じゃ、行こう」

　今度こそ、２人並んで歩きだす。

　窓と壁で作り出される光と影は、廊下に怖いくらいの無機質さを与えていた。静かで、冷たい。２人以外に無人の空間は、病院の中を連想させる。慣れのせいか昔ほど憂鬱さは感じなくなったが、どことなく好きになれない。

　深く息を吐いた時、窓の外に白い影が過ぎった、気がした。

「エステス？」

　急に窓の外を見たことを不審に思ったのか、友人がこちらを窺っている。それに首を横に振って、再び足を動かし始めた。

　気分が沈みがちな時には、必ずあの白い鳥が来てくれる。ずっと信じていた日々。

　なんと都合の良い考えだろう。自分は、ただ待っているだけで、追いかけもしないのに。

　隣りを歩く友人に気付かれない程度に小さく、自嘲気味に笑った。

「試験が終わって連休に入るのは良いけど、成績が後で分かるのは怖いわね」

「それは言わない約束でしょー」

　たわいない話を続け、話題が試験のことに戻ってしまった頃には、もう食堂が目の前に見えていた。ここまで来ると、さすがに人も多くなる。出てくる人を避けながら、入り口の横にある見本で今日の献立を確認する。

「んー、どれにしよう。エステスは、決まった？」

「そうね。こっちの定食にするわ」

　今日はどれも嫌いなものは無かったが、なんとなく生野菜のみずみずしさに魅かれたのだ。

　定食を見、また別のを見て苦悩する優柔不断な友人に、思わず苦笑いを浮かべる。なんだか、もう１人妹がいるような、おかしな感覚だった。

「あー、それも捨てがたいけど、やっぱりこっちで」

　数分悩んだ末にようやく決まると、職員に学生証を手渡して注文する。学生証は手続きだけですぐに返されて、後は受け取り口で待っていれば、ひとまとめに食事が出てくる寸法だ。

　後は、それを持って自分で席を探す。学校の敷地内であれば、食堂の外に持っていっても構わない。食堂は、昼休憩時には常に混みあう場所なので、教室で食べる生徒も少なくなかった。

　半日だけ試験日で、あとは連休に入るからなのだろうか。食堂内はいつもより人がおらず、珍しく窓側の席を確保することができた。南側にあり、天井から床まで取られた大きな窓があって、とても明るく人気がある席だ。清々しい空気に包まれて心地は良いが、今日のような快晴だと少し汗ばむ。それが、幸運の鍵だったかもしれない。

　さっそく、目当てだった葉野菜を口に運ぶ。軽快な音としっかりした噛み応えは、鮮度が良い証拠だ。気を良くして、今度はゆで卵に手を伸ばした時のことだった。

「エステス。あれ」

　机を挟んで真向かいに座った友人が指さす先を見る。北側の壁に設置された巨大な画面に、砂漠の映像が流れていた。その左上の隅には、『ハミット島に突如出現！』という、赤い文字が躍っている。

　再び砂漠の映像に目をやると、眉を寄せて注視した。確かに、何かがある。

「塔？」

　呟きは、好奇心を煽（あお）られ、やや興奮気味に騒ぎ出す学生たちの声に比べると、ごく小さな音に留まった。

「砂漠の真ん中に、急に塔が建つなんて。すごいっ」

　頬を紅潮させ立ち上がる友人と、まるで正反対だ。教授までもが感嘆の声を上げる中、１人座ったまま思考する。

　足場が不安定な砂の上に塔を建てるのは、確かにすごいことかもしれない。しかし、それより問題なことがある。薄っすらとだが、あの場所には見覚えがあった。記憶違いでなければ、あの塔の真下にあるかもしれないもの。

　しばらく画面を睨んでいたが、やがて情報を持つ可能性がある人物に一刻も早く会うために、食事に専念することにした。