死櫃の指輪
ギルドを出た僕は、そのまま大通りに足を向ける。
時刻はもすぐ日が昇る頃だ。
一晩中ダンジョンに籠ることなど滅多にないため、早朝の静かなアルドラの街はどこか新鮮に感じる。
けれど、人々は都市稼働の準備を早々に始めていた。
中央の広場で露店の風呂敷を広げる商人や、都市に入ってきたばかりの立派な馬車を店として構える高級商人。
新鮮な状態の肉や野菜を我先にと店先に並べる人たち。
僕は朝の澄んだ空気と徐々に動き出した街の気配を感じながら、肉を焼き始めた露店の主人に声をかけた。
「えっと……パンに挟むのにいいお肉を二枚ください」
「おっ!早いなお客さん! ちょっと待ってな、焼き立てのをやれそうだ! 二枚で340
「わかりました。水はこれに下さい」
ポーチから銅貨三枚と鉄貨四枚を手渡す。ついでに皮袋に水も貰う。
僕が今回の冒険で手に入れた戦果は一回目と二回目合わせてマナドールの魔石が七個と
しめて3000Aだ。
決して贅沢ができる稼ぎじゃないが、今回は目醒め祝いとして買っていく。
肉を受け取った後、パン屋によって白パンを二つ買った。ここでは440Aを渡した。
パン屋の店主はいつも黒パンしか買っていかない僕が高いパンを買って行ったことに怪訝な表情を浮かべていた。
その後は衣服店により厚手の毛布を一枚見繕う。これは1200A。
全部で1980Aの出費。
前の僕が一回の冒険で手に入れていた戦果を大きく超えた額だ。
シスターから貰った冒険者祝いを切り詰めて生活していた僕には到底できなかった贅沢に、どうにも気持ちが落ち着かない。
「でも、これからこれを普通にしていくんだ……」
そう自分に言い聞かせる。
冒険者にとってはこれでも贅沢とは言えない。
武器に防具、道具や装飾品。鍛冶代やら自分の家など。必要なお金など上を見れば膨大な額だろう。
死と隣り合わせの冒険に行って報酬がたったこれだけの僕にはまだまだ手の届かない世界だ。
でもいつか僕も……そんな新しい夢を見る。
その想像に軽くなった足でいつもの路地裏に入り、そこを抜け家に戻ろうとした時。
「――――そこの冒険者さん」
しわがれた声が僕を引き留めた。
振り返ると、僕を追うように路地裏に入り込んできたのか、かつ、かつ、と杖をついたお婆さんが僕に向かって手を伸ばしていた。
長いローブで顔を隠し、見えているのは白髪の長髪だけだ。
「はい……なんでしょう?」
微かな警戒と共に声を返すと、その警戒が伝わったのか、「すまんすまん」と含み笑いで老婆は手を振った。
「怖がらせるつもりはなかったんじゃ……ただ、商人の性と言うか、商機を逃すまいとしただけなんじゃよ」
「商人?」
言うと老婆は大通りの方を指差した。
覗き込むと、そこには地べたに敷かれた風呂敷の上に骨董品と思しき品の数々が陳列されていた。
ぽつぽつと列に穴が開いていることから売れ行きはそこそこいいのだろうか。
「商人さんなんですね……それで、僕がどうかしましたか?」
「ふむ……やはり、望んでおるの」
「のぞ……はい?」
老婆が僕の全身を下から上に眺めながら呟いた。
思わず聞き返した僕に、老婆は懐から何かを取り出す。
老婆は僕に手を出すように促すと、困惑しながら出した僕の手の上にそれを置いた。
「これは……指輪、ですか?」
「うむ、そうじゃ」
黒の指輪に白い蔦が巻き付いた装飾がなされたどこか品のある
持っていると、不思議とその魅力にひかれていくような感覚に陥る、危うい雰囲気だ。
「それは、正体不明の指輪でな。もう半年ほど前から売れ残っている一品なのじゃ」
「売れ残ってるんですか……綺麗だと思いますけど」
「うむ、ワシもそう思いこれを拾ったという子供から買い取ったのじゃが……どうにも売れないのじゃ。目につき手に取った者は何人かいるのじゃが、試しに付けた者は皆一様に身体が重いと言ってすぐに外してしまうんじゃ」
「身体が重い……?」
再び指輪を見つめるが、特に違和感はない。
それどころかこの指輪に懐古や愛着すら感じる。
「そしてどうしたものかと持っていたところ、先程おぬしを見つけたのじゃ」
「それで……どうして僕なんですか?」
この指輪について聞いたところで僕との関連性は見えない。
でも老婆は不気味な確信をもって、笑った。
「ワシはな————物の声が聞こえるのじゃ。骨董品や装飾品、曰く付きと言われるそれらの声がな」
「………はあ」
意図せず呆れた声が漏れる。
これはあれだな、詐欺ってやつだ。
物の価値を上げ高値で売る阿漕な商売……アルドラにもあるんだなぁ。
それを返そうと老婆に向けて差し出すと、老婆は唸って困った声を出す。
「やっぱりおぬしでもダメかのぅ……おぬしが横を通った時、確かにこの指輪が喜んだと思ったのじゃが」
「それは知りませんけど、僕お金が無くて。すみませんが……」
「そうかのぅ?」
こういう手合いは相手にすればするほど厄介だとシスターが言っていた。
さっさと帰ろう。ネヴァンが待ってる。
その場を離れようと踵を返す、が。
「だめかの?200Aでいいんじゃが……」
「……え?」
老婆が提示した値段に足が止まる。
詐欺にしては安すぎる。
見た目は綺麗な指輪だし、色合いも好みだ。
なにより、ちょっとカッコいい。
「えっと……200、でいいんですか?」
「ああ、手元にあっても売れない品物じゃ、金になるならいくらでも良い。飾りとしてならもう少し値が張る代物じゃが……この指輪が“おぬしがいい”と言っておるしの、この値段でどうじゃ?」
「それなら……まあ」
僕にその意欲があると見るや否やすぐさま交渉に入る商魂たくましい老婆に負ける形で、銅貨二枚と引き換えに指輪を貰った。
すると、「つけてみよ」と急かす老婆に押され、右手の中指にその指輪をはめた。
「どうじゃ?」
「……うーん、特に変わった感じはないですね」
「ほうほうそれは重畳! では、ワシはこれで。露店の方に客が見えるのでな」
「あ、はい」
来た時と同じように杖を鳴らし去っていく老婆を見送ると、僕も路地を抜け細道の突き当りにある我が家へ。
「ただいま」
珍しく一晩家を空けたからだろうか。
いつもよりはやく、とてとてっ!っとネヴァンが駆け寄ってきた。
そんなネヴァンに、僕は少し冷めてしまった紙袋を見せるように持ち上げた。
「ネヴァン、ごはん食べよう! 今日のご飯はおいしいよ!」
「………!」
相変わらず無言のネヴァンだが、鼻を鳴らし肉のいい匂いを嗅ぐと何回も首を縦に振った。
二人で白パンに肉を挟み、頬張る。
長い間硬い黒パンしか食べていなかったこともあり、溢れる肉汁の微かなうまみだけで頬が落ちる。
ネヴァンも何度も咀嚼を繰り返しながら、足をバタバタさせている。
「あったかい毛布も買ってきたんだ。包まるように寝れば固い地面も気にならないよ」
「っ!!」
一気にパンを口に入れたネヴァンは、毛布を持ち上げぎゅっと抱いた。
その柔らかさに目を輝かせたネヴァンは、僕も一緒に包むように毛布を広げる。
膝上に向かい合う形で座ったネヴァンは毛布を僕の背中に回し、そのまま寝ころんだ。
僕を巻き込んでひとしきりはしゃいだネヴァンは、無表情だがどこか楽しそうに見える。
すると、そこでネヴァンの動きが止まる。
その視線の先には、さっき老婆から買った指輪。
「ああ、これ? さっき買ったんだ安くてさ……かっこいいでしょ」
「………」
僕の質問に何の反応もしないまま、ネヴァンは指輪を見つめ続けている。
その様子に少し不安になった。
僕、センスないかな……。
「なんか気になる? もしかして、あんまかっこよくない?」
思わず聞いてしまったが、ネヴァンは顔を上げ首を横に振る。
そして興味を失くしたように、再び僕を無理やり押し倒し横になった。
「……おやすみ、ネヴァン」
久しぶりの満腹状態での眠りは最高だった。
■ ■ ■ ■
青水晶で構成された神の根城たるそこで、三人の男女が丸机を囲み顔を突き合わせていた。
「はあ!?
その中の一人の男が大声でそう叫ぶと、小柄な少女が腕をバタバタと動かし抗議の意を示しながら男に負けない声量で言い返す。
「だからわざとじゃないんだって! ただちょーっといい香りがするから酒場に入ったらみんなに囲まれちゃって、逃げ出して一息ついたらポケットから無くなっててっ!」
「なんでそんなとこに入れてんだよっ! 持ち歩くときは厳重にしとけってあんなに」
「デュナティオ、アリテイル。二人とも落ち着きなさい」
荒れる二人に声をかけたのは、白銀の甲冑に身を包んだ絶世の美女。
「でもよメーギス。
「あたしだって失くしたくて失くした訳じゃないっての!」
「わかっていますよ。まず、失くした場所を探しましょう。すぐに探せばきっと————」
「もう何回も探したよっ!でも無かったの!いまさら探したって、失くしたの半年前なんだからもう誰かに拾われてるよ!」
「――――――――」
半泣きで暴れる少女の逆ギレに、今度は鎧の女が青筋を立てる。
さっきまで叫んでいた男はすでに呆れ顔だ。
「半年前って……なんでそん時に言わないんだよ!」
「だってみんな怒るじゃんっ、みんなであたしを責めるじゃんっ」
「あたりまえだろ!」
「はあ、もういいです。それでアリテイル。落としたのはどんな
怒りを抑えるように咳払いをした女が聞くと、少女は涙を拭いながら嗚咽交じりにその名を口にした。
「うぅ……
少女が言った名前を聞いた瞬間、他二人の力が幾分か抜けた。
拍子抜け、とでもいうべき反応だ。
「はあ………ま、不幸中の幸いか。あれは利益になんねえし、つけさせる冒険者もいねえし」
「ですが、好事家には買取る者もいたでしょう……冒険者にはアリテイルから直接謝罪を申し上げてくださいね」
「……はぁい」
渋々返事をした少女。
被害者面の少女を一瞥すると、二人は肩をすくめた。
「心配しなくても、あの指輪をもってダンジョンに行くものがいればすぐに異変に気が付くでしょう。そうでなくても、持っているだけで厄介なものですから、情報が私たちのもとに来るのも時間の問題でしょう」
「そうだといいんだがなぁ……いや、でも惜しいぜ。あの指輪にあのデメリットさえなけりゃあ、神級アーティファクトだったのによ」
男はその指輪の情報を机の上に呼び出した。
———————————————————————
・
・
・
装備した者の攻撃ステータスを三割上昇。
装備した者の防御、敏捷ステータスを八割減少。
【装飾スキル】
『
近接武器での攻撃に絶大補正。
攻撃ステータスと防御ステータスとの差によって効果上昇。
———————————————————————
「これは流石に
「これをつけて冒険に行くような考えなしはいませんからね」
「ああ、逃げらんねえし、介護必須だろこんなん。そいつ一人のために割くコストが高すぎる。まじで惜しいな……」
二人は嘆息交じりに会話を切り上げた。
こんなものを扱えるのは、攻撃ステータス以外を捨てた考えなしで命知らずな馬鹿だけだ。
そして大抵、そんな冒険者は短命だ。
このダンジョン世界で生き抜くことなど到底不可能だ。
不可能な、はずなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます