第6話 反撃の女

「ねえ、黒部さん。カレシの写真、見せてよ!」


 無邪気を装って、百合子はサンドイッチをかじっている黒部美沙に言った。


「えー、いや、それはちょっと」

「またまた、照れちゃって~。Twitterでずっと自慢してるじゃん。ちょっとくらい幸せのおすそ分けしてよ」


 もしも、カレシが黒部美沙の妄想の産物なら、写真など存在しない。結婚詐欺なら、証拠を残さないよう、やはり写真は避ける。


「カレ、写真嫌いなんですよ。魂を抜かれるとか言って」

「いつの時代よぉ。黒部さんだって、カレシの写真欲しいでしょ? 携帯の待ち受けにしたり」

 ええまあ、と言って、黒部美沙が食事の手を止める。

「付き合ってるのに、絶対おかしいって。撮らせてもらいなよー」

 そうですね、そのうち、とお茶を濁す黒部美沙に、百合子はあくまでもにこやかに、「じゃあ、今度見せてね」とダメ押しをした。


 何日経っても写真を見せない黒部美沙に、百合子は「おかしいよ」を連発し、「芸能人で言うと誰に似てる?」「歳は?」「仕事は何してるの?」と質問を重ねた。基本的なことには、詰まりながらも答えを返してきたが、明らかに不愉快そうだった。

 芸能ニュースに群がるおばさんのようなノリで、百合子は黒部美沙をゆるやかに追い詰めていく。


「明日は、イズミっちおすすめのラーメンを食べに行こう」と、百合子はあらかじめ黒部美沙を誘い、当日わざと泉と鉢合わせをし、三人で店に入った。


「黒部さんね、カレシとラブラブなんだって」と泉に話を振り、「男心をイズミっちに相談してみなよ」と彼女にけしかけた。言い淀んでも、「ほら、あれ。カラオケでプロポーズをほのめかすような歌を歌われた話とか」と、逃げることを許さない。


「あー、サービス半分、本気半分やろ。俺も、カノジョとカラオケ行くときは、ラブソング歌ってたなぁ。照れくさいことも、歌なら気持ちを仮託できるやん」

 人のいい泉が真面目に答えてくれたのに乗っかって、百合子はけしかけた。


「だって。黒部さん、ホワイトデーのお返しは、指輪とプロポーズで決定だね!」


 ははは、と棒読みのような笑い方をして、黒部美沙が箸を止める。もう少し探ってやろうと、百合子はラーメンを食べながら質問した。


「指輪、買いに行くって言ってたじゃん。もしかして、オーダーメイド?」


 こんな話を聞いたことがある。

 友人が指輪を作っているからと彼氏が言うので、喫茶店で三人で会い、ペアリングの注文をする。彼氏がトイレに行っている間に、友人が耳打ちする。「あいつ、黙ってるけど結構エグゼクティブなんだぜ。これからは君も一緒に人前に出ることになるんだから、恥ずかしくないよう服とか宝石とか、それなりのものを持っていた方がいいよ」

 女は友人から、高級アクセサリーを買ってしまう。が、念のため鑑定したら、「お友達価格」と言われていた値段の十分の一程度しか価値のない安物で、その後、彼氏とも連絡が取れない、と。


 お見合いパーティーには、この手の詐欺師が紛れこんでいると聞く。黒部美沙のカレシとやらも、その口ではないだろうか。


「あ、いや、お店で買います。百貨店とかで」

 詐欺じゃないのか。じゃあ、妄想か。百合子はさらに畳みかけた。


「カレシ、証券マンだっけ? 給料いいんだから、ブルガリとかカルティエとか買ってもらいなよ」

 カモフラージュのために自分で買うのなら、十万円台の指輪は手が出ないだろう。


「いやいや、そんな高くなくていいんです」

 もっさりとした黒髪を揺らしながら首を振る黒部美沙に、百合子は明るく言った。


「だめだよぉ。婚約指輪を三万円のにしちゃったら、黒部さんの価値も三万円になっちゃうのよ。贅沢とか我儘とかそういうんじゃなくて、カレの中での自分の価値を高めるために、婚約指輪だけはわざと高いものを買ってもらわなきゃ」

 さりげなく、値段のハードルも上げておく。


「なるほど、そういうことか。百均で買ったマグカップはぞんざいに扱うけど、ウェッジウッドのカップは大事にするもんな。俺、前のカノジョから五万円もする指輪ねだられて引いたことあったけど、確かに言えてるわ。指輪買ってからは、カノジョのこと、ええ加減にはできんくなったもん」

 いいタイミングで泉が合いの手を入れてくれた。

 左手で長い髪を押さえながらラーメンをすする黒部美沙の横で、百合子は聞こえよがしに指輪の話を続けた。


 その後も、百合子の黒部美沙追い詰め作戦は続いた。


「あたしをこっぴどく振った男に偶然会った。あのときの怒りがよみがえって、眩暈と吐き気がする」とツイートがあれば、翌日の昼休みに「新しい恋って特効薬だよね。嫌なことなんて全部忘れられるじゃん」と釘をさして、悪態を垂れ流せないようにする。


 ウエストがゴムのスカートをはいてきた日には、「会社帰りにデートとかしないの? 突然駅で待ち伏せとか、あったりして」と言い、彼女が母親に作ってもらった弁当を食べているときに「手料理はもう食べさせてあげた? 男のハートをつかむには胃袋からよ」と、心にもないアドバイスをした。


 黒部美沙はだんだん無口になった。昼休みだけでなく、Twitter上でも次第に発言がなくなっていく。嘘をつき続けるのに疲れたのだろう。


 黒部美沙を追い詰めるのは、別に楽しくはなかった。

 けれども、この世のすべてが自分に微笑んでくれるはずと、根拠もなく傲慢に振舞っていた黒部美沙が、自分の言葉でシュンとしぼんでいくのを見ると、百合子は腹の底がぞくぞくした。


 あの子は、被害妄想でさんざん周りを振り回し、「三十過ぎた独身女に価値はない」などと他人を傷つける言葉を平気でまき散らしてきた。少しくらいお灸をすえたっていいはずだ。


 百合子の中で残酷な気持ちが膨れ上がり、黒部美沙いじりをやめることができなくなっていた。

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