第3話 死ぬ死ぬ詐欺の女
気疲れした送別会の酔いをお風呂で醒ますと、百合子はスマホでSNSを巡回した。明日は休みなので、夜更かししても大丈夫だ。
最後にTwitterをチェックすると、黒部美沙のツイートが目に入った。
《どうしよう、恋に落ちてしまった》
百合子は画面の前で硬直した。このタイミングということは、相手は藤井だ。
ユーザーネーム「ミサりん」をクリックし、彼女のページを表示させる。
誰かからの@ツイートに、「三つ年上のイケメン、出世コースの人。いっぱい話しかけてくれて、嬉しかった~!」と返している。どうやら、彼女の頭の中では「向こうから話しかけてくれた」ことになっているらしい。
週明けから、黒部美沙とどう接したらいいのだろう。今は酒が入って、のぼせているだけならいいのだが。
藤井は、黒部美沙のことなど眼中にない。うまくいかないのは火を見るより明らかだ。
ひとしきり悩んだあと、百合子は結論付けた。
藤井は大人だから、そつなく対処できるだろう。外野の自分が気に病むだけ無駄というものだ。
月曜になったら、ほとぼりは覚めているはず。
百合子の予想は裏切られた。
週明け、黒部美沙のテンションは異様に高く、昼休みも「藤井係長って素敵ですよね」と一人で大騒ぎをし、「この間はいい感じになれたし~。あ、この会社って、社内恋愛オーケーでしたっけ?」と、完全に相手の気持ちを無視したことを言いだした。
「藤井くんは、時間かけて外堀埋めなきゃいけないタイプだよ」
せめて「勢い余って告白」という事態を避けるべく、百合子は牽制球を投げた。
「まだお互いのことをよく知らないんだしさ」
茉莉江もやんわりと落ち着くように促していたが、「知るためにコクるんです」と黒部美沙は聞く耳を持たない。
茉莉江曰く、仕事中でも二つ向こうの課の藤井をじっと観察しているから、ただでさえ遅い仕事が余計に遅くなるそうだ。
自分が直接迷惑をこうむったわけではないけれど、百合子は黒部美沙の言動にむずむずとした居心地の悪さを感じずにいられなかった。
仕事を終えて帰宅するころには、彼女のツイートはどんどん暴走した。
《もはやコクるしかない!》
《先輩がやたらと牽制してくるんだけど、もしかして、妬きもち?》
《やだ、三十路女、カッコ悪い! そんなだから独身カレシなしなのね~》
相互フォロー中だと忘れているとしか思えない黒部美沙の言葉に、百合子はすべてが馬鹿らしくなって、傍観を決め込んだ。
週末、茉莉江は上司や先輩後輩たちに惜しまれながら、会社を去っていった。花束やプレゼントは持ちきれないほどあり、いくつかを宅配便で送るほどだった。
花束を抱えた茉莉江の後姿を見送りながら、百合子はやっぱり少しだけ寂しさを感じていたが、無理やり自分に言い聞かせる。
(茉莉江は結婚して新たな人生へと進みだすんだから、喜ぶべき別れなのよ。同期の女性が一人辞め二人辞めして、とうとう自分だけになっちゃったけど、前向きに前向きに! 黒部美沙のツイートなんて無視無視!)
残業を終えて更衣室に向かう途中、百合子は電子一課のあるフロアへ立ち寄ってみた。廊下から中をのぞき見ると、いつも茉莉江が座っていた席に、ストレートの黒髪が垂れさがりカーテン状になっている黒部美沙の姿があった。
問題は、その夜に起きた。
《フラれた》
黒部美沙のツイートだった。
(藤井くんに告白したの? なんでそんな勝算のないことを)
こちらまで気まずい思いをしなきゃいけなくなるじゃない。百合子が自宅のパソコンの前で苦々しい思いでいると、どす黒くてねっとりと貼りつくような言葉が次々と流れてきた。
《こんなあたしなんて、生きる価値ない》
《死んでやる》
《死んだら、あの人、お葬式に来てくれるかな? もっとやさしくすればよかったって、泣いてくれるかな。ふふ》
百合子は途方に暮れた。どうしよう。ダイレクトメッセージを送って、思いとどまらせた方がいいのかしら。
百合子や茉莉江がフォローしているのを知っていて、こんなことを垂れ流しているのだ。きっと止めて欲しいのだろう。
黒部美沙宛のメッセージ画面を呼び出す。しかし、何と書けばいいか分からない。その間にも、彼女のツイートがタイムラインにあふれてくる。
(誰か止めてあげてないの?)
黒部美沙のページに切り替えてみたが、告白騒動のときに@ツイートでけしかけていた人たちは、なりをひそめていた。
《あはは、血って赤いね。キレイ》
(ああもう、何なのよ、この子は!)
どうすればいいか迷っているうちに、ふと思い当たった。
もしかしてこれは、かまって欲しいあまりに自殺をほのめかす、いわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」かもしれない。
誰も止めに入らないところを見ると、過去にも同じようなことがあったのかも。
画面をスクロールして、黒部美沙の過去のツイートを流し見る。三ヶ月ほどさかのぼったところに、「【遺書】さようなら」という発言があった。
(やっぱり)
前後の状況から察すると、何かの社会人サークルで知り合った人を好きになり、告白して振られたけれど、諦めきれず、何度も迫ったり、最寄駅で待ち伏せしたりしたらしい。相手が「気持ち悪い」とキレて、「信じられないようなひどいこと」を黒部美沙に言ったそうだ。
《あんな奴を好きだったなんて、悔しくて泣けてくる》
《お前なんか、すべての運を失って不幸になれ! あの世から呪ってやる!》
《私が死んだと聞いて、自分の罪の深さを思い知るがいい!》
感情のままに書き綴ってはいるが、二日後には「エクチュアのチョコレートケーキ、激ウマ☆」などとつぶやいている。
発作的にマイナス思考と歪んだ自己顕示欲が出るだけのようだから、今回も放っておいて大丈夫だろう。大丈夫であってくれ。
百合子はスマホを机に置いて、ベッドにもぐりこんだ。
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