第2話 盛り下げる女
翌日、黒部美沙はめずらしく化粧をしてきた。
が、アイシャドウは濃い色と薄い色をぼかしていないから二色ゼリー状態だし、ピンクの頬紅を丸く入れているので、おたふくみたいだ。ファンデーションも、地色より一段階白いものを使っているから、首に比べて顔が浮き上がっている。
それでも昼休みに、黒部美沙は「あたし、化粧したら結構いけてますよね」と、ご機嫌な様子で鏡を覗き込んでいる。百合子は茉莉江と顔を見合わせたが、どんな曲解をされるかわからないので、化粧に関するアドバイスはやめておいた。
どうやら黒部美沙は、同期の藤井と同席できるのが嬉しいらしい。
彼は整った顔立ちで物腰もおだやか、三十二歳ですでに係長とモテ要素が多いので、無理もないが。
「藤井係長って、カノジョいるんですか?」
頬紅をぐりぐりと塗り足しながら、黒部美沙が訊ねてくる。
「んー、藤井くんはあんまりプライベートを明かさないからなぁ。入社当時は、大学の後輩と付き合ってたよ。まだ続いてるんじゃないの」
それとなく、藤井にちょっかいを出さないよう牽制しておく。しかし、百合子の作戦もむなしく、黒部美沙は俄然やる気を出してしまった。
「十年近く結婚もせずに付き合うなんて、あり得ないですよ。指輪もしてないし、フリーですね、藤井係長」
言っても無駄、と茉莉江が視線で話しかけてくる。百合子はバレッタを留め直しながら、「彼女のこの自信はどこからくるんだろう」となかばあきれた。
午後七時にお店で待ち合わせ、送別会はなごやかにスタートした。
少し遅れるという藤井を待ちながら、茉莉江、黒部美沙、百合子の順に座り、向かい側に泉が来る。黒部美沙を気遣って、泉が同期たちのエピソードで笑いを取り、四人とも気分良く過ごしていた。
「ごめん、遅くなった」
仕立てのいいスーツを着た藤井が会釈して、泉の横に座った。ちょうど、黒部美沙の向かいだ。
それまで動こうともしなかった彼女は、いそいそと料理を小皿に取り、藤井の前に置いた。
「ありがと。……黒部さんだよね、溝口さんの後任の」
はい! と普段より高い声で黒部美沙が答える。
「電子三課の藤井です。って、同じフロアだから知ってるか。よろしくね」
「こちらこそ。若いのに係長って、すごいですね」
「たまたまだよ。電子一課は取り扱う商品が多いから、仕事もややこしいでしょ。頑張ってね」
黒部美沙はなんとか藤井と会話を続けたいらしく、質問を重ねたり、テーブルの上の料理皿を彼の周りに集めたりした。食べ物がなくなって手持ち無沙汰の泉が、「失礼しまんにゃわ」と二人の間にあるピザを取ろうとしても、皿を寄せてあげようともしない。
モテる男の常なのか、藤井は黒部美沙を邪険にすることなく、それでいて他の三人も加われる話題を振って場を取りもとうとしたり、言外に「彼女がいる」と匂わせたりした。
「溝口は、いつ大阪行くん?」
藤井や黒部美沙と会話をすることを諦めた泉が、茉莉江に訊ねる。
「来月半ば。来週に会社を辞めて、いろいろ手続きや準備をしてから」
茉莉江の彼氏は、半年前に大阪へ転勤になった。それがきっかけでプロポーズされたのだ。
「寂しなるな。けど、大阪はええとこやで。俺かて、はよ大阪勤務になりたいもん」
生粋の大阪人である泉が言う。
「あ、ラーメンやったらな、天下一品やろ、神座やろ、金龍やろ、それから……」
「イズミっちは相変わらずラーメン好きだね。カレと食べに行ってみるよ」
「おおっ、ついに茉莉江お嬢様が、我々庶民の位置まで降りてきたで」
泉が目を見開いて、百合子に話しかけてくる。黒部・藤井ラインに阻まれていた百合子を、さりげなく会話に混ぜてくれる気遣いが嬉しい。
「はいはい、どうせ私は庶民ですよー」
ふざけて拗ねてみせると、「いやいや、ラーメンは文化やで、文化!」と泉が力説する。
「あ、僕今日、駅前にできた博多ラーメン食べてきたよ」
藤井が話に入ってくる。内心、黒部美沙を振り払いたいのだろう。
「あそこ、めっちゃこってりやったやろ。食べたあと、毛穴からラード出てるんちゃうかって思うくらい」
ラーメン話で盛り上がる。やっとみんなで話ができると思ったら、黒部美沙が小皿の端をフォークでカンカンと叩いている。
やれやれ、またか、と百合子は眉根を寄せる。気を遣って話に入るなり、楽しそうな雰囲気だけでも合わせるなりすればいいのに。今日は茉莉江が主役なのだから。
「黒部さんは、ラーメンとか食べへんの?」
斜め向かいから泉が声をかける。黒部美沙は少し笑顔になって「あんまり食べないですね」と答えた。が、そこから話が続かない。「一人でお店に入るのって勇気が要りませんか」とか「お薦めは」とか訊けばいいのに。
「じゃあ、食べもんやったら、何が好き?」
泉の質問に、黒部美沙はさんざん考えたあげく「ケーキ」と言ったきり、顔をそむけるようにカクテルを飲み始めた。
仲良くしようと気を利かせた泉に対して、その態度はないんじゃない? と百合子は腹の底が熱くなるのを感じた。が、茉莉江の手前、ぐっと呑みこむ。
「それでは、本日のメインイベント」
百合子と泉、藤井が立ち上がり、用意しておいたプレゼントを取り出す。
「茉莉江。結婚、本当におめでとう。カレシと幸せにね!」
「十年一緒に働けて、嬉しかったよ。向こうでも持ち前の明るさで頑張ってね」
「俺ら三人から、新婚生活の強い味方のプレゼントや。忙しい朝も、これで楽々やぞ。使うたんびに、俺らのこと思い出してや!」
箱を両手で受け取った茉莉江が、「開けちゃお」と言いながら、包装をはがしにかかる。出てきたのは、電気ケトルだ。
「一分でお湯が沸くやつだ! ありがとう。フル活用させてもらうね」
茉莉江が照れたように微笑む。そんなやりとりの中、黒部美沙は拍手をするでもなく黙々とパスタを頬張っていた。
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