とある県北高校の百合短編集

綾乃姫音真

唯音後輩と咲空先輩のプールでバレンタイン

 春から通うことになる県北高校の屋内温水プール。そこで私、市ヶ谷唯音いちがやゆいねはひとりの女の子が泳いでいるのをひたすら眺めていた。

 上は中学のジャージ。色は学年指定の赤だ。下は体操服の紺色ハーフパンツ。プールサイドの乾いている場所を探して、座って伸ばした足を水に浸からせている。

 塩素の匂い。自分の中学で嗅ぐのは嫌いなのに、どうして先輩の高校では良い香りに思えるのか。もしかしたら、気分の差かもしれない。

 中学のプールは屋外。帰宅部の私が使うのは体育の授業だけで、泳ぐのが苦手な私には決して楽しいと言える時間ではなかった。男女混合のせいもあって、クラスで大きい方に分類されてしまう胸を見られるのも嫌だ。指定スクール水着はセパレートタイプなんだけど、アレはアレでお尻のラインもしっかり出てしまうのが更に気分を下げてくれている。私としてはワンピースタイプの方が割り切れるような気がするけど、実際にそうなった場合は逆のことを思うんだろうなと。

 対して、高校のプールは屋内で温水。今現在は他に居るのも同性がひとりだけで気が楽だった。多分、これが同じ塩素の匂いでも感じる印象がまったく違う理由だと思われる。

 私はまだ生徒じゃないし、本来ならこんな風に入れる訳がないんだけど……そこは一個上の先輩、高久咲空たかくさく先輩の自主練のお供として、彼女が指名してくれているお陰で入るのを許可されていたりする。


「ふぅ」


 咲空先輩が泳ぐのをやめて、こちらに寄ってくる。そのままプールサイドに上がると壁際に置いてあったバッグの脇でしゃがんで中を漁っていた。タオルを取ろうとしているんだと思われる。


「……」


 無言でその背中を眺めてしまう。咲空先輩が練習用に使っているのは、シンプルな黒地に水色ラインの入った競泳水着だった。部の大会用水着はスパッツタイプなのに、ワンピースタイプを好んで着ている先輩。ちょうど立ち上がったこともあり、しゃがんだせいでお尻に食い込んだ生地を直す場面をしっかりと目撃してしまった。

 咲空先輩、おっぱいは大きくないけどお尻は大きいんだよね。お尻から引き締まってる太ももへのラインがすっごく私好みで凝視してしまう。


「見るな変態」


 もちろん、振り返った先輩に見咎められた。紺のスイムキャップを外すと、肩で切り揃えられている黒髪が露わになり、そのまま頬や額に張り付いた。それに一瞬だけ顔を顰めるとタオルで髪を拭き始める先輩。

 座っている私と、立っている咲空先輩。自然と私が見上げ、彼女が見下ろす形となった。というか見上げていないと、先輩のVラインが目に入ってきて反応に困る。


「見るなって言われても、つい見ちゃいますって」


「わたしもただ見られただけならタイミング間違えたなぁって反省するだけで文句言わないから。唯音は別」


「酷い、なんで私だけ……」


 原因はわかりきっているのに、わざとらしく目元を拭ってみせた。


「はぁ……あなた、視線が露骨すぎるのよ……それ、同性を見る目じゃないから」


「自覚あるから大丈夫ですよー」


 そして、それがわかっているのに他の部員じゃなくてわざわざ私を自主練のパートナーに指名してくれる先輩。ちなみに、春にこの高校に入学したら先輩専属のマネージャーに内定していたりもする。


「まったく……」


 呆れたようにため息を吐いている先輩。まだ大丈夫。あんまり調子に乗るとプールに蹴落とされるから程々にしないと。過去に何度かやられたことがあるからね……私が泳ぐの苦手なの知っていても躊躇なく実行してくるから……原因の殆どが私にあるとは言え、少しくらい手加減してくれてもと思ってしまう。

 これが夏とかならまだ良いけれど、今は北の方角に見える温泉地として有名な山が真っ白に雪化粧されている2月。帰り道は制服に着替えるけど、下着の替えなんて持ってきていないから普通に風邪を引きそう。


「あの、濡れるんですけど」


 咲空先輩が隣に腰を下ろしたと思うと、そのまま横になって当たり前のように私の太ももに頭を置いてくる。


「一応拭いたし大丈夫でしょ」


「思いっきり濡れてるからね」


 敬語になったり、タメ語になったり。先輩とは中1のときに出会ってそれからの付き合いだけどいつの間にか完全敬語からタメ語が混ざり始めて、今みたいな感じに。


「ハーパンだけじゃバランス悪いからジャージも濡らしてあげる」


 手でプールの水を掬ったかと思うとあろうことか私の左胸にタッチ。水の大部分はそのまま先輩の顔に掛かったけれど、一部はしっかりとジャージの生地に吸われた。


「なにしてるんですか……」


 ジャージと下に着ているT シャツを貫通してブラまで湿る感触に文句と同時に呆れが来る。


「片方だけじゃバランス悪いからこっちも」


 同じことをもう1回。ただし、今回は言葉の通り右胸だった。


「いつまで触ってるんですか」


 手が離れていくどころか、膨らみを下から支えるように持ち上げてきた。普通に恥ずかしい。コンプレックスなのを知っていて私の胸を弄ってくる先輩。私も先輩のコンプレックスのお尻を弄るからある意味、お相子。仲がいいから出来ることでもあった。


「唯音……またおっきくなった?」


「変わってません」


「ふーん」


 いかにも信じてないって感じの「ふーん」だった。それでも先輩は満足したのか手を離す。私のジャージは胸の部分だけ水を吸って色が濃くなっていた。


「……温いのが地味に気持ち悪いです」


 これならいっそ冷たいほうがよかったかもしれない。中途半端な水温のせいで嫌悪感がある。濡れた生地が肌に触れる感触がうぇーって感じ。


「ほらほら、お詫びにどうぞ」


 そんな私のことを面白そうに見ながら身体を起こした咲空先輩。そして何故か自分の脚をペチペチと叩く。


「……咲空先輩?」


「交代。膝枕してあげる。好きでしょ」


 好きなのは認める。すごく魅力的な提案だってことも。ただ、先輩……直前まで泳いでたんですよ?


「あの、普通に髪が濡れるんですけど……」


「えいっ♪」


 首に腕が回されたと思ったら引き倒された。先輩の方を向いていたこともあって、顔から太ももにダイブする形になってしまう。


「んんーっ!」


 あろうことか頭を押さえつけてくる。抗議の声を上げながらも……鼻腔が咲空先輩の体臭と塩素が混ざった匂いで満たされること。そして顔面で感じる引き締まっていながらも女性らしい柔らかさのある太ももの感触に喜んでしまっている自分が居た。せめてもの抵抗として暴れてみせる。冷静に考えれば自爆行為だとわかるだろうに暴れた。


「あはは、嬉しいくせにぃ――おとと」


 当然バランスを崩してプールに落ちそうになった私を、慌てて助けてくれる先輩。そのまま解放してくれたからガバっと身体を起こした。


「なにするんですか!」


「最後のは自爆でしょうが。変な場所で深呼吸してたくせによく文句言えるわね」


 自分がしていた行為を言葉にされ頬どころか耳まで熱くなった。きっと真っ赤になってる……。そして咲空先輩も真っ赤だった。


「先輩も恥ずかしいなら言わないでくださいよ……」


「いや、ね? 唯音の頭が思ったよりも身体側に来ちゃったから……つい、言っちゃったのよ」


 恥ずかしげに目を逸らす先輩。その様子に思い返す。私の頭が着地した場所って結構際どい位置じゃなかった? 耳が水で濡れてる水着に触れてたし。


「「……」」


 お互いになにも言えなかった。なのに互いを窺っては視線がぶつかって慌てて逸らすを繰り返す。


「そういえば唯音、次の水曜ってバレンタインよね?」


「え、この流れでその話題出すの?」


 思わず質問に質問で返してしまった。


「唯音にチョコ用意してるから渡すわね」


 そう言ってバッグに向かう咲空先輩の背中に察した。無理やり話題を変えたかったんだと。喜んでそれに乗る。


「……」


 ただ、私も用意しているんですよね……中学と高校。家も近所と言える距離じゃないから平日になっちゃう当日に渡すのは難しいと考えて……正直、渡すなら今日かなと思ってもいた。


「唯音?」


 隣に並んで自分のバッグに向かう私を見て先輩が「ん?」って顔をしたあとに、すぐ理由に思い至ったのか表情が綻んでいた。きっと私の顔も似たような感じになっているよ思う。……咲空先輩以外には見せられないなぁ。


「はい、咲空先輩」


「唯音、これどうぞ」


 先に差し出したのは私だった。先輩……バッグの中がゴッチャだから……。


「ありがとうございます」


「ありがと」


 ピンクの包装した小さな箱四角い箱を渡して、赤い包装されている六角形の箱を受け取る。

 お互いに様子見したあと、バッグに入れた。本音としては今すぐ開けたいけど、そうすると私のも開けられてしまう訳で……恐らく先輩も同じ考えで持ち帰ることを選んだんだと思う。


「えへへ」


「ふふっ」


 どちらともなく見つめ合って笑みを零した。


「先輩、包装紙の折り目が曲がってましたよ? リボンも左右で長さ違ってたし」


「うるさい。慣れないことしてる自覚はあるんだから言わないの」


 口調はムスッとしているのに、恥ずかしそう。


「でも去年よりは綺麗でした」


「そ。唯音だって去年よりも量がある感じだったじゃない。失敗しなかったのか、失敗に備えて最初から量を増やしたのか知らないけど」


「うっ、内緒です」


 去年、まともに渡せるチョコが3つしか作れなかったんだよね……前日だったこともあって泣く泣くそのまま渡したけど、しっかりとバレていた。


「ていっ」


 バッグの脇から立ち上がったところで、背後から抱きつかれた。ジャージどころかシャツの中に手を入れてくる。一瞬、胸に来るかと警戒したけれど両腕でお腹を抱えるようにされただけ。ただ――。


「冷たっ!?」


「髪しか拭いてないから身体冷えてきちゃったのよ。温らせて」


 ぎゅーっと力を込めてくる。


「いや、普通に上になにか羽織るか着替えればいいのでは?」


「まだ練習続けるし……唯音って体温高いから抱きしめたくなるのよ」


「うぅ……耳元で言うのやめてください」


 耳に吐息が当たる感覚に弱いんです……私が抵抗できなくなるの知ってるじゃないですか。


「唯音がどんな顔してるか当ててあげようか?」


「私も咲空先輩がどういう表情をしているかわかりますよ」


「……唯音は、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらニヘヘって気持ち悪い笑み浮かべてるでしょ」


「気持ち悪い言わないでください。自分でもわかってるんで」


「それでわたしは?」


「咲空先輩は、余裕がある振りしてるけど私以上に顔をどころか首まで真っ赤になってます。ニヘラァって感じの周りに見せられない表情で」


「答え合わせしてみる?」


「いいですよ」


 咲空先輩が腕の力を緩め、私が身体を反転させる。言葉にした通りの顔が目の前にあった。私もたぶん、先輩が言った通りのはずだ。


「正解、ね」


「当たりです」


 視界には先輩の顔しか映っていない。まつげが長くて、目鼻のバランスに対して口だけ少し小さく感じる顔。


「ご褒美あげる」


 そう言って唇の位置を調整してくれる。これで私がちょっと背伸びをすれば、届く。


「先輩が欲しいだけじゃないですか」


 なんて言いながらも、私の胸は鼓動を早めていた。もう何度もしているのに、何度しても飽きるどころか次を求めてしまう。


「唯音だってキスするの好きなくせに」


「そうですけど……」


 私も両腕を先輩の背中に回すと、同時に引き寄せあった。


「……」


 咲空先輩が静かに目を閉じた。私はつま先立ちになって唇を重ねに行く。


「――ん」


「――ふ」


 触れた瞬間、同時に声を漏らした。先輩の唇……少し乾燥してる気がする……あとでリップ使うように言わないと。ついさっきまで泳いでいて今も湿っているのに状態がわかってしまう程に、先輩の唇を知っているんだなぁ。なんて思いながら、少しでも長い時間こうしていられるようにと願ってしまう。


「……」


 やがて唇が離れたとき、真っ先に先輩が目を逸らすのもいつも通りだった。


「咲空せんぱーい」


 誂うように名前を呼ぶと、腕を解いて距離を取ろうとする。これがどちらかの部屋なら逃さないけど、今日は学校のプールで先輩は自主練中。名残惜しく感じつつも、私も腕を解く。先輩の体温が離れていくのは毎度のことながらすごく寂しい。


「……さて休憩終わり。練習に戻るわ」


「私はのんびりと眺めてるので好きなだけどうぞ」


 何事もなかったかのようにプールへ飛び込んでいく先輩。私は先程までと同じように、プールサイドの乾いた場所に座って両足をプールに浸しす。そしてプールを左右に行ったり来たりする咲空先輩を飽きもせずに見続ける。

 ただ、水着が濡れたままの先輩に抱きしめられ、抱きしめ合った結果――


「…………寒い」


 私も全身濡れていた。特に最初の背中側。


 チョコを渡して貰って、キスをして。ちょっと風邪の心配をした中3のバレンタイン。


「春から咲空先輩と同じ高校……楽しみだなぁ」


 そんな私の呟きは、咲空先輩の水を掻く音にかき消されるのだった。

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