龍弧国後宮女装女房物語

長月そら葉

 あの、満開の桜が美しかった季節の景色をまだはっきりと覚えている。裳着もぎをおれよりも先に済ませた幼馴染は、桜吹雪を見上げながら口を開いた。


真兎まさと、わたし出仕することにしたんだ」

「出仕? 朝廷に?」

「それ以外、何かある? 後宮でね、女官として働くの」


 月草つきくさの君という名で呼ばれる彼女は、おれにそう言って微笑んだ。

 この龍弧国において、年頃のしかも貴族に生まれた女は、大抵の場合一族の繁栄のために一刻を争うように嫁がされる。月草の姉たちもそうであったし、きっと彼女も手の届かない存在になるのだろうと幼い頃から思っていた。

 しかし、月草の考えはおれの想像を越えてきた。目を丸くするおれに、月草は目を細めながら言う。


「だから、真兎と会えるのはこの春でしばらくお預けだね」

「……裳着を済ませたんだ。おいそれと顔を合わせることも無くなるだろ」

「そうかな?」

「そうだよ。……それでも、お前がおれの大事な幼馴染ってことは変わらないけどな。月草」

「ふふ、ありがとう」


 烏の濡れ羽色とも称される黒髪は、近々背丈を越えるだろう。その時、きっとおれは傍に居られない。それは何故かとても切なくて、寂しいことだと思う。

 自分の言葉が己の心を傷付けていたのだと知るのは、もう少し先のこと。


「休みを貰ったら、会ってくれる?」

「勿論。約束だ」

「うん」


 そうやって、指切りをしたのは半年前。

 そして、秋の月が美しい頃におれは知った。月草が後宮から姿を消した、という知らせを。

 家族にも何も言わず、あいつが自ら消えるはずがない。おれは教えてくれた親友の制止を振り切り、父上に直談判した。


「父上、

「……は? 何を言っているんだ、真兎。お前には、私の後を継ぐためにやるべきことがあるだろう」

「わかっています。だけど、あいつが……月草が消えたんです。その訳もわからないまま、有耶無耶にしたままなんて、そんなことには耐えられません。必ず、あいつを捜し出して連れ戻します」

「だが、それは……」


 普段冷静沈着で厳しい父上が、珍しく狼狽えていた。おそらく、父上は月草が消えた理由を知っているのだろう。知らなくとも、予想くらいはつくのかもしれない。都に、そして朝廷に陰謀が渦巻いていることは百も承知だ。

 だとしても、あいつを見殺しになんて出来るはずもない。


「しかし……」


 幾ら訴えても、父上は首を縦には振らない。許されなくても、おれも退くつもりはなかった。誰一人味方などいなくても、たった一人でも彼女を見つけ出す。その覚悟で父上の前に座って頭を下げているのだ。

 その時、思わぬところから声がかかった。ほとんど父上の言葉に異を唱えない母上が、「良いではないですか」と控えめに口を出したのだ。


「家を継がないと言っているのではありませんもの。それに、わたくしも月草の君のことを先程知って、案じております。後宮は、魑魅魍魎ひしめく国の縮図そのもの。……いずれ、この子には知るべきこともありましょう。真兎を行かせてやってくれませんか?」

佐那子さなこ……」


 父上・行里ゆきさとは母上に弱い。母上は女にしておくには勿体ないと実父に言われた過去を持つ才女で、後宮女官をしていたところを父上に見初められたと聞く。誰よりも後宮を見知った母上の言葉に、父上も思う所があったのだろうか。


「わかった。ただし、無茶はするなよ」

「ありがとうございます。父上、母上」


 おれは両親の許可を得て、後宮に乗り込むことになった。

 しかし、一つ問題がある。後宮は、帝以外の男子禁制の場。男のおれが行っても門前払いどころか、検非違使けびいしにとっ捕まえられるのが落ちだ。そうなれば、月草を捜すどころではない。

 どうしたものかと思案していたその夜、おれを訪ねて来た人がいる。出産のために実家に帰って来ていた姉上だ。


「父上と母上から話は聞きましたよ。全く、突拍子もないことを言い出す弟ね」

たちばな姉上」

「わたくしに考えがあります。ちょっと、こちらにおいでなさい」

「え? ……えぇっ!?」


 姉上に引きずられるようにして彼女の部屋に通されたおれは、ある秘策を授けられた。それは誰にも考え付かないような奇策であり、普段のおれなら絶対に受け入れない妙策だ。

 しかしこの時、おれはそれに飛びついた。そうしなければ、後宮に乗り込むことなど出来ないと知っていたから。


 それから数日後、おれは帝の居ます内裏の奥、後宮にいた。

 ――女房として。

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