偏執狂愛編
第33話 拝啓、在りし日の君に乞う
木々のざわめき、坂の先に立つ陽炎。灰色の景色に一人だけ色彩を纏う少女が笑っている。青年は先を歩く少女を呼び止めた。
「おいおい、待ってくれよ」
「待ってあげないわ! 捕まえてごらんなさい」
「勘弁してくれ。私は走るのは苦手なんだ」
いつだって少女は青年を困らせる。そんな恐れ多いことをするのは彼女くらいなもので、青年はそんな少女に好意を寄せていた。
「もう! レイさんは本当に運動駄目ね」
ちょっと走ると息を切らせる青年に、少女は口先を尖らせる。青年とて少女に追い付き背から腕を回したい。それができない貧弱な体を呪う。うつむく青年は少女に見えないように制服の胸元を握り締めていた。
少女はたったと軽やかに地面を踏み鳴らして振り返る。長い髪がたなびいた。
「そうね、たまにはボーリングなんてどうかしら。これから行きましょうよ。私、いいお店知ってるの」
「ボーリングかぁ、うーん。遠慮しておくよ。流石に今日は帰って勉強しないといけないからね」
「何よレイさん。学年一位の天才でしょう」
「いやいや。本当に優秀な人は君みたいに授業だけで成績上位でいられる人さ。私は凡人なものでね」
「私だってそんな大層なものじゃないわ。欲しいものは何も手に入らないもの」
青年は目を逸らす。少女が欲するものを知っていた。
「ねぇ、レイさんは将来はどうなりたい?」
「決まっている。家の家業を継ぐのさ」
「そうじゃなくてどう幸せになりたいかよ」
「まさに今が幸せさ、本当に……ずっと続けばいいのに」
そう言って青年が視線を前に戻すと少女が消えている。どこだどこだ青年が辺りを見渡せば丘の上、遥か先にいた。
「おい、どこへ。どこへ行くんだ。なぁ」
もう彼女の声は聞こえない。揺れる少女の影が手招きしているようでもあり、残像がブレているようにも思えた。
「待て、待ってくれ! おい!」
近づいていけばその揺れる影、少女が両手に何かを抱えているのが分かる。そして少女が青年に向かって、それを差し出せば青年は無意識に足が止まってしまう。影はピタリと止まり、手にソレを抱き抱えたまま丘の向こうへと消えていく。青年は必死にその背を追うが手は届かない。
「行くな。行かないでくれ、頼む。なぁ――
陽炎が全てを飲み込んで、灰色の景色は端から燃えてしまう。色を失って残った灰色の燃えカスが雪のように舞い散る。吸い込んだ青年は咳き込み、口から赤色を吐き出して意識を失った。
* * * * * *
男はベットの上で目を覚ました。体が重い。まるで電池の切れかけたおもちゃのようにぎこちなさだ。顔を傾ければ医療機器に繋がれ、ベットの側には白衣の医師が立っていた。
「お目覚めですかね、
「……馴れ馴れしい呼び方をするな
「あはは。失礼しました、
「最悪だ、全く。忌々しい」
上半身を起こそうとする礼二を春日井が止める。少し力を入れただけなのに礼二の心臓には握られたような圧迫感があった。
「うぐ」
「ああ、まだ動かないで。会長、ご自分が倒れて運ばれたの覚えてますか?」
「何? 倒れた? 私がか?」
「ええ。じゃあないと僕がわざわざ御園会長をベットで寝かせたりはしないですからねぇ」
「減らず口を……私のほうが君が嫌いだがね」
礼二は目をつむり、眉の付け根を摘まんで唸る。しばらく沈黙した後、口を開けた。
「……春日井くん、君に仕事だ。私に心臓移植をしろ」
「ただいま在庫切れでしてね、入荷するまで待ってもらうことになりますが?」
「前に娘にドナー提供したガキがいただろう」
「……いや、それは。彼はすでにもう提供したじゃあないですか。ないものをどうしろというのです」
「あるだろう」
「いやいやいや。だから言ったじゃあないですか。ないんですって」
「あるじゃないか。もう一つ、残った心臓が」
病室を埋め尽くすほど送られた花束から一枚の花弁が散る。御園礼二、その男の目には確かな殺意が宿っていた。
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