「最後の晩餐を、おまかせで」

秋サメ

「最後の晩餐を、おまかせで」

 と、男は言った。


「あいよ!」


 しかし私は深く追求せず、魚の身を切り出す。

 ここは東京の一等地の高級寿司。客の事情を言葉でなく心で察し、最適なもてなしをする方がそれっぽいではないか。

 

 手に少量水をつけ、シャリを丸くまとめる。それから少し迷ったが、三十路ほどの男性、わさびを嫌うこともないだろうと結論づける。

 ネタは白身。まずはヒラメからだ。


 握り終えて、手を添えるようにそっと客前に出す。

 男性はまるで蛸の捕食のように素早くそれを口に放り込み、咀嚼し、目を閉じて黙考している。


 俄然、緊張感が増してきた。

 この客、ただものではない。私は今、審査されている。

 幸い、この男性の他に客はいなかった。おかげで、私は全精神を彼に向けることができた。

 

 次のネタを提供する。

 寿司は基本的に、淡泊な白身から始まって脂身の多いものへと移っていくのが一般的だ。

 

 男は何も言わず、ネタを口に放り込んでいく。

 ……食通、と呼ばれる人間を相手にしたことも何度もある。しかし、徹頭徹尾無表情という例は見たことがない。大抵の人間は寿司のうまさの前にひれ伏し、屈服する瞬間が来るものだ。

 

 私はここ数年で感じたことのない焦りに苛まれつつあった。


(ネタは新鮮、シャリは最適、ならば一体なぜ……?)


 これが将太の寿司であれば一晩徹夜してオリジナル寿司を考案し次回来てもらってあっと言わせることも可能だが、ここは現実。

 この客は帰れば食べログを荒らし、インスタのストーリーで黒背景白文字を使って店名を晒し、Twitterで醤油皿をぺろりとしてピースするだろう。なんかそういう顔してるし。

 

 このまま帰らせるわけにはいかない。なんとしても満足させなくては……。


(思い出せ、ヒントはどこかにあるはずだ)

 

 この男性は私のお決まりの質問、つまり「お好みは?」に対して「最後の晩餐に、おまかせで」と答えた……。


 そう、これが味噌なのだ。


 言うまでもないが、この「最後の晩餐に」というのが実に厄介だ。

 普通、このような店に通い慣れている者は最後の晩餐に「最後の晩餐」とは言わないだろう。

 キリストだって最後の晩餐の前に「これが最後の晩餐になるからさァ~」と注文はつけなかったはずだ。


 ……いや、果たしてそうだろうか?

 キリストは最後の晩餐だと知っていた。しかし、だからこそいつもの夕餉を望んだ。そうとは考えられないか?

 

 すでに私の手は止まっていた。

 カウンターの向こうを見る。男はみたところ三十路を越えようかというあたりで、着ている服はボロボロで、腕時計はしていない。少なくとも接客や教職や営業職ではなさそうだ。また、未婚であることは容易に見て取れる……。


「……おまたせしやした」


 私はようやく、それを差し出した。


 彼が普段、食べているであろうもの。

 カップ焼きそば、デカ盛り。

 それが導き出した答えである。


「…………」


 しかして。

 ひとつの文句も、ひとつの突っ込みもなく、彼はそれを食した。

 内心覚悟していた私は、大きな快哉をあげそうになった。


 しかしそれは許されない。

 なぜなら、ここは東京一等地の鮨屋。

 店主は頑固一徹ながらクールに振る舞わなければならない……。


「本当にそうか?」


 そんな声が聞こえたのは、幻聴だっただろうか。

 思わず顔を上げると、男の顔より先にカップ焼きそばの空容器が目に入った。

 店を構えて数年。布巾を除けば十万円以下のものを置いたことのない机の上に、今やデカ盛りが置かれている……。


「最後の晩餐に、おまかせで」


 今度ははっきりとそう聞こえた。

 私は正解に至らなかったことを、悟った。


***


 私は寿司を握る。

 もはやそれしかできることがなかった。

 

 すでに二百貫を超えて筋痙攣が起きかけている。

 それでも男は食べ、言葉を発さない。グルタミンの暴力に屈せず、私に無言で要求し続ける。


「最後の晩餐に、おまかせで」と。


 ……最後の晩餐?

 

 私の脳が突如ひらめいた。

 本当にそう言ったのだろうか?

 

 私は耳があまり良くない。

 毎晩ASMRをイヤホンで大音量で聴いているからだ。


 考えてみれば、おかしな話だ。「最後の晩餐」などというワードが、客から発せられるわけがない。

 

 私は寿司を握りながら、類似するワードを脳内検索しはじめた。


 …………見事なまでに、なにも思い浮かばなかった。

 スマホで対話型AIのChatGPTにも聞いてみた。


俺「あなたは寿司屋の店主です。客に「最後の晩餐に、おまかせで」と言われました。おそらく聞き間違いですが、だとすると客はなんと言ったのでしょう。」


ChatGPTくん

「お客さんが「最後の晩餐に、おまかせで」と言った場合、おそらく客が「おまかせ」方式で晩餐を選んでほしいと言っています。これは、店主が選んで提供するメニューを頼むことを意味します。」


 雑魚がよ。

 AIはほんとうに人間以下。

 おまかせ方式で晩餐を選んでほしいってなんだよ。お前なんも人間のこと分かってねーのな。


 もはや頼れるものがなくなった私は、泣きそうになりながら寿司を握る。


 ……それにしても、いつになったら客の腹は膨れるのだろう。

 明らかに非現実的な量を食しながらも、男性は一向に苦しそうな顔を見せない。

 

 いつの間にか、ネタは白身に戻っていた。

 私は三手で寿司を握る。

 こうやって寿司を握って数年。YouTubeで覚えた技術も、数をこなしていくうちにそれなりにはなった。しかしやはり残っている未熟さが、客を満足させられない原因なのだろうか。

 

 私はふと、ある衝動に駆られた。

 そして同時に、オチのようなものが分かった気がした。

 

 最後の晩餐を、おまかせで。

 

 なんのことはない。

 最後の晩餐は、この客のものではない。


 私の、最後の晩餐なのだ。


 私はタイの握りを、フルスイングで捨てる。


 そしてマルタイカップラーメンにお湯を注ぎ、二分半待つ。すする。うまい。

 だがこのとき汁を飲み干してはいけない。容器に生卵を二つ割り、よく混ぜ、残った汁を注ぎ入れる。そしてレンジで四分ほどチンする。

 すると、ジェネリック茶碗蒸しが完成するのだ。


「うめ~~~~」


 毎日これでいいわあ、と思うと同時に、毎日これにしたときの記憶が蘇る。最終的に肌ボロボロの髪抜けまくりの廃人になって実家に強制送還されたのだった。

 でも、たまにならいい。たまにの日常だから、いい。


「ひとくちちょーだい」


 男性が口を開けている。私は「いいよ」と頷いてあーんしてあげる。

 突如、彼は胸を押さえて苦しみだし、そしてそのまま目を開けることはなかった。


「なん……だと……?」


 私は勘違いをしていた。

 本当に彼は、最後の晩餐を求めていたのだ。

 

 救急車を呼ぼうとして手が止まる。

 女性は現在と過去を見て、男性は楽観的な未来しか見ない。

 その法則に従い、私の脳はフル回転でシュミレーション結果をはじき出した。


 このままでは、保健所の来る騒ぎとなり、客が寄りつかなくなる……。

 

 死体を早急に処理する必要があった。

 私は急ぎ、ホームセンターに直行したが、洋ドラでよく出てくる死体を溶かすやつは売ってなかったし、店員も「うちにはないっすねー」って言ってたからたぶんない。Amazonの「【令和最新】死体梳かす薬品【Amazon限定】」は中華品の偽物を送ってくる可能性があるから駄目。

 

 骨と肉を分離させる必要があった。


 急ぎ、私は彼の解体にかかった。

 魚と人間の両方を調理した人間なら頷いてくれると思うが、両者とも構造はほぼ同じと言っても過言ではない。足の有無だけがその差異だ。


 もちろん、次は寿司ネタとして提供することにしたのである。


 私はホームセンターで買ってきたペンキで「肉寿司 晩餐」と店名を変更し、Googleマップと食べログの店名変更の申請を行った。

 この一連の作業はものの数十分で終わったが、問題は人肉の調理方法である。苦みが強く、臭みもある最悪の肉なので肉寿司というカテゴリーで勝負するには不利だった。ただでさえ、周囲にライバル店の多い東京の一等地だ。


 そのため、私は二時間かけ、その調理方法を確立させた。酒に漬けた後にバーナーであぶり、ネギを散らす。そして店の価格帯を下げ、川崎あたりに住む労働者をターゲットに店を小汚くしたのである。

 これにより、味もわかんないし歯がほとんどないジジイや酒の飲み方を知らないデロンデロンの馬鹿ガキどもが店に大挙し、あっという間に彼の死体は彼らのうんことなった。


「よかった、こち亀読破してて……」


 第三十巻あたりにこれとほとんど同じ話があったのを思い出したのだ。こち亀は人生のバイブルだからみんな読め。

 私はペンキを落とし、店名を元に戻す。両津は失敗して実刑十年を喰らっていたが、私はもっとうまくやった。嬉しい。

 

 私はのれんを下ろし、帰路につく。


 生きるのは辛い。

 煩い、苦しみ、心配で眠れぬ日もある。

 

 それでも私たちは生きる。

 ラーメンを啜り、艱難辛苦を耐えて、たまに寿司を食いながら、それがまやかしの幸福だと知りつつも。

 根本的な空虚さを埋めることはできないと知りながらも、生きる。


 日々は重なり、振り返ったそのとき、気がつくのだろう。

 いつの間にか美化され、なにもかもが懐かしいと感じる日を。

 そして求めるのだろう。

 あるとも知れない、その過去との接合点を。


「最後の晩餐を、おまかせで」

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「最後の晩餐を、おまかせで」 秋サメ @akkeypan

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