ニアリーイコール

一条 九条

第0章 episode 0

宇宙にある無数の星々、その中の小さな星の一つ、「地球」

さらにその中の小さな島国、「日本」

その国に産まれる事は、他の国々から見ると「幸せ」と「偏見」されている。


「客観的に観ると」確かにそう感じるだろう。

WW2以降は自国に直接関わる戦争も無く、内戦も無く、食糧難にもならず、基本的に治安がとても良い。

礼儀正しく、親切であり、差別がなく、あらゆる「自由」が保証されている。

「一般的な日本人」のイメージはこんなところだろうか。確かに羨むだろう。


ではここで一つの家庭を見てみよう。父、母、子の3人家族だ。山々に囲まれ、栄えた街まで少し距離が離れている事を除けば、一般的な家族構成だろう。


父は理由なく暴力を振るい、母は理由をつけて暴力を振るう。

そんな家庭に産まれた子供はどうなるだろうか?一般的な日本人になれるだろうか?

居場所の無い子供はどこへ行けば救われるだろうか?


2000年代初期を想像して頂きたい。

躾けと虐待の境界は曖昧で、警察は民事不介入、児童相談所は裏が取れないと動かない、近所付き合いは無く、教師は厄介事だと見て見ぬ振り、学校でも体罰が許されていた時代だ。


そんな家庭の子供はどこに居場所を見い出せばいいだろか?

学校? 家庭? 国? 誰も助けてはくれないだろう。


だがその子供は一つ、自分の居場所を見つけた。


いつだって子供は好奇心旺盛で、一人遊びが大好きだ。大人には理解できない視点を持ち、空想にふけ、1本の枯れ木の枝があれば、その場が世界の全てに変化する。


その日もいつも通りに父から殴られ、母は子供の食事を用意しない、いつも通りのルーティンだった。

一つだけ、いつもと違ったのは母の虫の居所が悪かった事だろう。

真冬の12月に防寒具もなく、家から物理的に蹴り出され、「朝までそこで反省しろ」と言い放たれた。


その言葉は子供の心を踏み荒らすには十分な効果があった。

子供は考える。何を反省すれば母は家に入れてくれるだろうか、何を謝れば自分は冷たいアスファルトに座らずに済むだろうか。


家から照明が消えた事で子供は悟る。「今日は朝まで家には入れない」と。

子供は絶望と悲しみと怯えと少しの憎しみを抱え、居場所を探しに走り出した。


どれほど走っただろうか?木々があれば火を起こせるんじゃないか、と見当違いの考えから山奥に入り込んでいった子供は、一つの祠を見つける。


いつから手入れされてないのだろうか?塗装の落ちたであろう鳥居をくぐり、半分以上崩れている小さな祠。

半壊した祠の軒下に入り、北風をやり過ごし、朝までここに居よう、家には帰れない。


そう心に決めて座り込み数刻過ぎた頃、突然な眠気に襲われた。

唐突に体が暖かくなり、久しぶりに布団で寝ている心地良さ。

備わった生存本能が警告している、絶対眠ってはいけない、ここで眠ると大変な事になる、と。


年端も行かぬ子供に抗う力は無い。微睡みに取り込まれる刹那、声が聞こえた。鈴の様な綺麗な声だった。


「・・・・・・・・ぶ?」


何を言っているか分からない、もう眠ってしまいたい。


「・・!・・て!」


少し声が大きくなった、だがそれがどうした。既に目は閉じ、意識がかろうじて残っているだけだ。


何かを口に当てられてるのを感じた。苦い液体が喉を通り抜ける感覚を味わい、子供の意識は急速に微睡みから現実へと引きずり戻された。

祠の隣で冷え切った体を自覚し、体が先程とは違う暖かさに覆われている気がする。


首をなんとか傾け、声の主を探す。と言ってもそんなに時間はかからない。眼の前にその少女は存在した。

正確には少女と女性の間くらいの歳だろうか?凄く綺麗な顔立ちをしている。


「私のこと、分かる?」

少女の質問に、子供は首を横に振る。子供は考える。この人は自分にどんな罰を与えにきたのだろうかと。


「どうしてこんな時間にお外にいるの?おうちは?」

子供は首を横に振る。それ以外のリアクションが思い浮かばない。いつもこうしておけば殴られるのも蹴られるのも少なくて済んだ。


突然、別方向から声がした。男性の声だ。

「な~んか事情がありそうだなぁ、えぇ?」

声の感じから少なくとも「おとな」に属すると感じ取れる。

子供は体を震わせる。痛い思いはしたくない。今日の痛いことはもう終わったはずだ、と。


さらに別方向から声がする。

「迷子?にしてはおかしいわね・・・」

女性の声だった。澄んだな声色は寒空を連想させる。

子供は目を固くつむった。これからされるであろう痛いことを想像しながら。


最初の少女の後ろからまた別の声がする。

「この傷は・・・酷い・・・」

自分より少し年上と思わせる男性の声だった。

子供はいつも通りに心を空っぽにした。学校でも家でも、痛いことはこうすれば大丈夫だから。


不意に子供の隣から声がする。

「大丈夫、今まで辛かったよね?ごめんな・・・」


自分と同じくらいの歳だろうか?

子供は何も考えない。みんな最初は優しいふりで声をかけてくる。


急に体の半面が暖かくなった。何かがパチパチと燃える音がする。

子供は少し思考を始める。父親にタバコの火を押し付けられた事を連想しながら。


もう半面も暖かくなった。人の温もりだろうか、自分に抱きついている様だ。

子供は目を開く。尽く裏切られた期待が、否が応でも芽を吹く。


正面の少女は、顔を覗き込みながら、真剣な面持ちで問う。

「大丈夫?」


その綺麗な目に吸い込まれる様に魅入られる。何も言えなくなった。


「大丈夫?」


同じ言葉を、少し温かさのこもった声で問われる。

子供はハッとし、最後の勇気を振り絞る。もう二度と言わないと誓った言葉を。


「助けて・・・」


その声を聞いた少女は頷きながら最後の問いを投げかけてきた。


「私の名前はさくら、あなたのお名前は?」



数刻の沈黙の後、子供は泣くような声で答えた。

葉月はづき・・・櫻井葉月さくらいはづき


さくらと名乗った少女は微笑みながら、優しい声で告げた。

「もう大丈夫、葉月ちゃんはここに居ていいよ」


その言葉を最後に、葉月の意識は再び微睡みの世界へと入っていった。

今度こそは甘く優しい眠りにつけると信じて。

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