第5話

 くーきゅるきゅるきゅる。



「ひゃっ」



 あわてて両手でお腹を押さえるが、その程度では止まってくれない。


 ぶはっ、と禎宇に吹き出され、恥ずかしさに顔が熱を持つ。



「す、すみません……」



 顔から火が出るほど恥ずかしいが、なおもお腹はくぅくぅと空腹を訴え続けている。



「こ、珖璉様、ひとまず食事になさいませんか? ぶくくっ、こうもお腹が鳴っていては、その宮女も落ち着いて話ができぬでしょう」



 笑い混じりに告げられ、ますます羞恥が湧きあがる。恥ずかしくて、叶うなら今すぐここから逃げ出したい。


 武官らしい大柄で鍛えられた身体つきをした禎宇は、服装からするにどうやら珖璉の従者らしい。穏やかな顔立ちと落ち着いた物腰だが、まだ二十代半ばくらいだろう。


 禎宇の提言に、珖璉が仕方なさそうに吐息した。



「確かに、いろいろと説明も必要そうだ。先に食事とするか」


「かしこまりました」



 恭しく応じた禎宇の言葉に反応して、ひときわ大きくお腹が鳴り、鈴花は涙目で己の食い意地を呪う。


 禎宇と簡単に名乗りあった後、自分から申し出て禎宇を手伝い、卓の上に料理を並べた鈴花は、「お前も席につけ」と促され、驚きに息を吞んだ。



「わ、私のような者が、こんな豪華な食事をいただいてもいいんですか? しかも、珖璉様や禎宇様と一緒の卓でなんて」



 立ったままうろたえた声を上げる鈴花に、珖璉がいぶかしげに眉を寄せる。



「豪華? どこがだ」


「豪華じゃないですか!」



 相手が珖璉だということも忘れ、思わず言い返す。



「ご飯と汁物だけじゃなくて、おかずが五品もあるんですよ!? しかも、お魚だけじゃなくてお肉まで! ご飯だって麦飯じゃありませんし! こんな豪華な食事、生まれて初めて見ました!」



 お肉なんて、年に一度の『しようりゆうまつり』の時か、秋の収穫祭の時しか食べられないというのに。


 おろおろする鈴花を優しく促してくれたのは、穏やかな顔に微笑みを浮かべた禎宇だ。



「大丈夫ですよ、食べても問題はありません。それと、わたしに敬称は不要です。わたしは珖璉様の従者の身分ですから」



 鈴花が手をつけにくいと思ったのだろう。禎宇がわざわざ椅子を引いてくれたばかりか、取り皿に料理を盛って、箸と一緒に差し出してくれる。



「あ、ありがとうございます」



 礼を言って箸を手に取る。何が起こっているのかとんとわけがわからないが、こんな豪華なご飯を食べる機会を逃すなんて、そんなもったいないこと、できるわけがない。


 どきどきしながら肉団子を口に運び。



「ほわぁ~!」



 あまりのおいしさに思わず歓声を上げる。しようがが練り込まれた肉団子は臭みがまったくなくて、嚙むたびに肉汁が口の中に広がる。甘酢あんもしっかりした味付けで、今まで食べたことがないおいしさだ。


 無言でもっもっも、と嚙んで飲み下し、取りかれたように箸を動かし続ける。



「おい」


「珖璉様、これは少し腹を満たしてやらねば、話ができないかと」



 珖璉と禎宇が何やら小声でやりとりしているが、ろくに耳に入らない。


 もっもっも、とひたすら口と箸を動かし続け。



「……皿まで食べる気か?」



 あきれ混じりの珖璉の声に、鈴花ははっと我に返った。卓の上を見てみれば、あれだけあった料理がすっかりなくなっている。



「申し訳ございません! 食べすぎてしまったでしょうか!?」



 夢中で食べていたので、自分がどれだけの量を食べたのかまったく記憶がない。ただ、お腹がはちきれんばかりになっているのだけは、嫌というほどわかる。


 泡を食って詫びると、「そういうわけではないが」と珖璉が歯切れ悪く呟いた。だが、銀の光を纏う面輪はぜんとしている。



「くそ、どうにもやりにくい娘だな。結局、何も話せなかったではないか」


「まあまあ、見応えのある食べっぷりを見られてよかったではありませんか」


「そんなものを見て何の意味がある? 禎宇、お前までほうけたか」



 取りなすような声に珖璉が冷ややかに返すも、禎宇の穏やかな笑みは変わらない。



「話を聞く準備が整ったと思えばよいではありませんか。先ほどの状態では、ろくに話ができなかったでしょうし」



 禎宇の言葉に食事前のことを思い出す。そういえば、鈴花には意味がわからないことを言っていた。


 満腹になったおかげでそう感は減じている。すぐにクビにする宮女に、こんな豪華な食事は与えてくれぬだろう。ひとまず珖璉の話を聞いて、鈴花の無礼に怒っているというのなら、もう一度ちゃんと詫びよう。鈴花はしゃんと背を伸ばすと卓の向かいに座す珖璉を見つめた。


 本来なら、あまりに整いすぎて見惚れるしかない美貌だが、幸い鈴花の目には銀の光を纏って薄ぼんやりとしか見えないので、しっかりと顔を見ることができる。


 鈴花がぐ見つめたのが意外だったのだろうか。わずかに目を瞠った珖璉が、ひとつせきばらいして口を開く。



「《ちゆうしようじゆつ》というのは知っているか?」


「えっ? あ、はい」



 予想もしていなかった質問に、戸惑いながら頷く。



「異界からさまざまな《むし》を喚び出して、人の力ではできないことも可能にする術、ですよね? 私は術師様にお会いしたことはありませんが……」



 蟲招術のことなら、小さな子どもだって知っている。空を飛んだり、夏に氷を作り出したり、はたまた人に取り憑いて病気を起こす悪い蟲を追い払ったり……。常人には想像もつかぬ力を振るうのが、さまざまな蟲を召喚して使役する術師達だ。


 しかし、術師の才を持つ者は一万人に一人いるかどうからしい。一介の村娘でしかない鈴花は、会ったこともない。


 だが、蟲招術の存在は広く知られている。なぜならば、あまの蟲の頂点に立つのが《龍》であり、《龍》を喚び出すことができる存在は、ここ龍華国の皇族だけだからだ。


 十三花茶会については後宮に奉公に来るまで知らなかったが、茶会の翌日に執り行われる『昇龍の儀』については、人口にかいしやしている。


 昇龍の儀では皇族達が王城の露台に立ち、集まった民衆の前で《龍》を喚び出し、天へと放つのだという。


 日暮れ間近の空を天へと昇ってゆく白銀の《龍》の美しさと、王都のいたるところに灯された灯籠のきらびやかさは、この世のものとは思えぬほど幻想的な光景なのだと、鈴花は昔、村へ来た旅芸人から聞いたことがある。もっとも、そんな光景を見られるのは王都に住む限られた民だけで、鈴花のような田舎に住む者には、一生見ることも叶わぬのだが。


 ただし、王都以外の町や村では昇龍の儀に合わせて昇龍の祭りが行われ、建国神話にちなんで家々の軒先に灯籠が吊るされ、にぎやかに龍華国の建国が祝われる。


 昇龍の祭りの日だけは農作業も休みになり、村を挙げての祝宴が開かれる。年に一度の祭りは、貧しい暮らしの中の数少ない楽しみだ。


 ともあれ、いったい何を確認されているのだろうと首をかしげた鈴花に、珖璉が淡々と問いを重ねる。



「では、蟲招術を扱う術師が、何を糧に蟲を召喚しているか、知っているか?」


「え……?」



 これは試験か何かなのだろうか。鈴花は私塾の先生を前にしているような緊張感を覚えながら、知っている事柄をおずおずと口にする。



「確か、呪文を唱えて蟲を召喚するんですよね」



 術師に会ったこともない鈴花は、呪文など聞いたこともないが。



「違う」



 珖璉の返事はにべもなかった。



「蟲を召喚するのに呪文は……正確には、むしというのだがな。蟲語は必須ではない。ある程度の力量のある術師ならば、蟲の名を呼ぶだけで召喚することができる。蟲を召喚するために必要なものは、術師が持つ《気》だ」



 珖璉の長い指先が皿を下げた卓の上をすべるように動き、「気」という文字を書く。



「はあ……」



 あいまいに頷くと、珖璉の目が苛立たしげにすがめられた。



「術師は皆、《気》をその身に宿しているが、己の《気》であれ他者の《気》であれ、感じとることはできても、見ることはかなわん」


「へ~っ、そうなんですね」



 初めて聞く話に感心の声を洩らすと、珖璉の目がさらに鋭く細まった。



「察しの悪い娘だな。わたしはお前が《気》を見ることができる特別な目を──見気の瞳の持ち主ではないかと言っておるのだ!」


「……へ?」



 そういえば、食事の前にそんな言葉を聞いた気がする。が。



「ええぇぇぇっ!? 私なんかが、そんな特別な目を持っているはずがありませんっ!」


「だが、お前にはわたしが銀の《気》を纏って見えるのだろう?」



 すっとんきょうな声を上げた途端、ぴしゃりと珖璉に封じられる。



「それはそうですが……」



 目の前に不機嫌そうに座る珖璉は、鈴花の目には、やはり銀の光を纏い、うっすらと輝いて見える。



「ですが、銀の光を纏っている方なんて初めてで……」


「言っておくが」



 刃よりも鋭い視線が、鈴花を貫く。



「わたしの《気》の色は、決して他言するな。洩らせば、口を縫いつけられると思え」


「い、言いません! 絶対に他言しませんっ!」



 冷ややかな圧が高まり、不可視の手で心臓を握り潰されるのではないかと不安になる。鈴花は千切れんばかりに首を横に振った。珖璉の様子からすると、本当に実行しそうだ。向けられる威圧感に、喉に石が詰まった心地がする。



「先ほど、術師に会ったことはないと言っていたな。お前自身は蟲招術は使えぬのか?」


「私がですか!? 無理です! 私なんかが使えるわけがありません!」


「お前自身は己の《気》が見えぬのか? お前の《気》の色は何色だ」



 珖璉の問いに、自分の右手に視線を落とす。村での生活と、後宮での水仕事で荒れている手。そこに見えるのは、薄いしやのようにふわりとまとわりつく淡い卵色だ。



「淡い卵色が見えますけど、これが《気》っていうものなんですか? でも私、蟲なんて喚んだこともありません。それに、色を纏っている人なら、たまに見かけますし……。掌服の先輩にもいますし、私なんかが術師なわけがありません」



 もし鈴花が希少な術師だったら、役立たずと故郷で毎日罵られていたはずがない。


 きっぱりと断言した鈴花に、珖璉が眉を寄せる。



「これは一度、けいえんに見せたほうがいいやもしれんな。わたしでは判断しかねる」


「では、文を出されますか?」



 禎宇の問いに珖璉が頷く。



「ああ。すぐに出そう。昇龍の儀の準備で忙しいだろうが、あいつのことだ。見気の瞳を見つけたかもしれんと書けば、明日にでも来るだろう」


「あのぅ」



 鈴花はおずおずと口を開く。



「では、そろそろ失礼させていただいてもよろしいですか」



 連れてこられてからどれほどの時間が経ったかわからないが、そろそろ戻って眠らなければ、明日がつらい。鈴花の言葉に、珖璉が「何を馬鹿なことを言っている?」と言わんばかりの呆れ顔を向けてきた。



「お前を帰すわけがなかろう。今夜はここへ泊まりだ。帰して、万が一にでもかつなことを話されるわけにはいかんからな」


「わ、私、絶対に他言なんていたしませんっ!」



 官正である珖璉の命に背くなど、口を縫われるどころか物理的に首が飛びそうだ。


 震えながら断言するが、珖璉は鈴花を無視して、禎宇に隣室の長椅子に布団を運び込むよう指示している。


 どうやら今夜は掌服に戻るのは不可能らしいと、鈴花は諦めるしかなかった。





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