迷子宮女は龍の御子のお気に入り ~龍華国後宮事件帳~【書籍版】

綾束 乙/メディアワークス文庫

『迷子宮女は龍の御子のお気に入り ~龍華国後宮事件帳~』期間限定大ボリューム試し読み

第1話

第一章 迷子宮女は美貌の宦官に召し上げられる



 今にも降り出しそうな曇天は、りゆうこく後宮の夕暮れを、くらく不穏な気配に変えていた。甘く揺蕩たゆたう桃の花の薫りにかすかに混ざるのは、死後二日った遺体の死臭だ。


 こうれんは四人がかりで大きな木箱を抱えた屈強な身体からだつきのかんがん達に鋭い視線を向ける。



「中に入っているものを決して気取られるな。可能な限り人目を避け、秘密裏にかんどうへ運べ」



 後宮内の不正を取り締まる官職・かんせいである珖璉の命に、宦官達が恭しくうなずく。浣衣堂とは、病気になった宮女を隔離し療養させるための建物だ。後宮の外れの人気のない区画にあり、不慮の出来事によって死亡した宮女の遺体も、埋葬されるまで安置される。



「わかっておるだろうが、この件については他言無用だ」



 珖璉の厳しい声に、宦官達が無言で頷いて歩を進める。踏み潰された草の青臭い匂いが湿った空気に重く漂った。


 珖璉は唇を引き結んで宦官達の背を見つめる。自由に出入りできぬ閉ざされた後宮内で連続殺人事件が起こっていると広まれば、ひんや宮女、宦官達に混乱が巻き起こるのは必至だ。決して、余人に知られるわけにはいかない。


 しかも今は、龍華国の年中行事で最も重要な、建国を祝う『しようりゆう』が二十日後に迫っている。


 大陸東部に覇を唱える龍華国の始祖は、異界にまう《龍》と人間の乙女の間に生まれたと建国神話にうたわれている。《龍》の力は代々の皇帝や皇位継承者に受け継がれ、《龍》の力が発現した皇族は、白銀にきらめく《龍》をび出すことができるのだ。


 年に一度の昇龍の儀では、王城の露台で皇帝や皇位継承者達が集まった民衆の前で《龍》を召喚し、天へと放つのが儀式の締めだ。


 現在、《龍》を喚び出すことができるのはたった二人だけだ。現皇帝であるりゆうせんと、唯一の皇位継承者である──。



「珖璉様?」



 そばづかえのていに名を呼ばれ、珖璉は忠実な従者を振り返った。武官らしい大柄な身体の禎宇が、気遣わしげに珖璉を見つめている。


 鍛えられた身体とは裏腹に穏やかな顔立ちの禎宇は、今年で二十歳になる珖璉より五つ年上だ。幼い頃から仕えているためか、珖璉の感情を読むのにけている。


 禎宇の隣では、瘦せぎすのおんみつの少年・さくり目がちのおもを引き締め、無言で主の指示を待っていた。朔の表情にも、珖璉への気遣いがうかがえる。


 今は、昇龍の儀に出ねばならぬことを憂いている場合ではない。


 珖璉は息をつくと殺人事件へと意識を切り替える。



「殺された宮女はこれで七人目か……。後手に回らされているのが、腹立たしいことこの上ないな」



 ちっ、といらちを隠さず舌打ちすると、珖璉は信頼する従者達に指示を出す。



「禎宇は殺された宮女の身元の確認を。着ていたお仕着せから見てしようしよくに所属する宮女だ。被害者を誘い出した者がいたかどうか、目撃者を探せ。朔は犯人の手がかりが残っていないか、周囲の捜索を」



 掌食というのは後宮の部門のひとつで、後宮内の食の担当だ。珖璉の命に、禎宇と朔が「かしこまりました」と応じる。



「珖璉様はどうなさるのですか?」



 禎宇の問いに短く思案する。禎宇とともに掌食に聞き込みに行ってもよいのだが、珖璉が動けば嫌でも目立つだろう。蜜に群がるちようのように我先にと寄ってくる宮女達の姿がたやすく想像できて、珖璉はげんなりと嘆息した。人知れず調査を行うには、己の容貌は人目を引きすぎる。



「わたしは今までの現場を見て回ってから部屋へ戻る。ひょっとしたら、時間をおいて見れば、前は見落としていた点に気づくやもしれん」



 脳裏をよぎるのは、もんの表情で事切れていた宮女達の姿だ。これ以上、犯人の好きにさせるわけにはいかない。


 まだ見ぬ犯人への怒りに突き動かされるように、珖璉はきびすを返した。

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