第2話 馬車の旅は終わる

「短い期間でしたが、ありがとうございました」

「短い期間ですかぁ? 王女様の侍女になってからだと、半年ぐらいになりますから、結構長かったですよぉ。それに加えてこの長旅だもん。本当に疲れちゃったぁ!」


 サンティルノ王国の目的地までの到着が間近であることを知らされ、私が侍女のパウラに礼を述べると、彼女は言葉尻を間延びさせた返答をした。半年前、新たに私の専属侍女に就いたばかりの若い侍女。彼女の本当の年齢は知らないし、もう知る意味もない。


「そうですね。長らく付き合わせてしまってごめんなさい」

「王女様にお仕えするのも今日で最後ですし、別にいいですよ」


 彼女とは本日別れる手筈となっている。サンティルノ王国は、元敵国である我がグランテーレ国の人間を信用していないらしい。護衛騎士はもちろんのこと、専属侍女の一人すら付くことを許さないし、持ち込んだ私物もすべて検められるとのこと。この婚姻も渋々だったと聞いている。私が歓迎されていないのは明らかだ。


「でもね。私はこれからまた同じ日数をかけてグランテーレ王国に戻らなきゃいけないんですよぉ。たぁいへん。だから――ね?」


 媚というよりも嘲笑さえ含んだ笑みを向ける彼女に私は頷いた。


「ええ。わたくしの部屋の物の処分は全面的にあなたに任せます」

「はぁい。ありがとうございまぁす」


 侍女が一人しか付かない私に、彼女はたびたび特別手当を要求してきた。それは何も彼女に限ったことではない。引き継ぎ事項としてあるのかと思うほど、歴代の専属侍女もずっと同じことをしてきた。お金を持ち合わせていない私は私物を渡してきたわけだけれど、今回が最後の特別手当となるだろう。


「ですが、この旅の往復にかかる期間に片付けられている可能性も否定できません」

「大丈夫ですよぉ。だってこれまで王女様のお部屋に入った人なんて、専属侍女以外いないじゃないですかぁ。私以外誰も入りませんって」


 彼女は可笑しそうに含み笑いをした。


「そうですね。では後のことはよろしくお願いいたします」

「はぁい。お任せください。――あ。いよいよ目的地が近付いてきたみたいですよ」


 約束を取り付けた彼女は機嫌良さそうに窓のカーテンを少し開けて覗きこんだ。


「あれぇ? それなりに立派で綺麗だけど、意外に大したことないんですねぇ。大国、サンティルノ王国ともあろうものが、こんな程度のものだなんて。何だかがっかりしちゃった。何でこんな国に降参しちゃったのかしら」


 そうだろうか。グランテーレ国を出発した時、王都と言われる辺りは馬車の揺れをあまり感じなかったが、そこから離れると馬車の揺れが大きくなった。

 一方、サンティルノ王国に入ったと告げられてからは、馬車の揺れが小さくなった気がする。この婚姻はほぼ急遽決まったようだし、歓迎していない私のために整備されたとも思えないので、王都から離れた町でも普段からきちんと整地に力を注ぐ堅実な国だと思う。もちろん少ない情報で決めつけるのは早計過ぎるとも思うけれど。


「あ、王女様も見ます?」

「いいえ」


 どうせ馬車から降りれば目に入る光景だ。今、わざわざ視界を遮るために付けられた重いカーテンを開けてまで見ることはない。


「そうですかぁ?」


 彼女はカーテンをまたきっちりと閉め、私に向き直ると眉をひそめた。


「あ、そうだ。ねえ、王女様。ご存じです? このたびの戦でも先頭に立って率いた騎士団長、レイヴァン・シュトラウスは、好んで戦いに身を置くそれはもう残忍極まりない方なんですって。青い冷たい瞳で見下ろし、一片の慈悲もなく殺戮した人間の返り血で全身を染めたその姿は、邪神のごとく恐ろしいものだったとか。怖いぃぃ。私だったら、そんな団長が軍の統率を取る蛮族に嫁ぐぐらいなら死んだ方がましです!」


 邪神?

 邪神ということは、その姿は悪に染まっていたとしても、神々しかったということなのだろうか。

 私が何も答えないで考えていると、彼女は唇に可愛く両手の指を当てる。


「あ。全然そんなつもりはなかったんですけど、不安な気持ちを抱かせてしまったみたいでごめんなさぁい。でも、私。王女様が手荒に扱われないか、すごく心配で。せめてサンティルノ王国の王太子様は優しいお方だといいですね!」

「お気遣いいただいてありがとうございます」


 私が嫁ぐのは王太子殿下ではなく、その騎士団長だと聞いているけれど、彼女に告げる必要はない。彼女を喜ばせる材料を与えるだけだから。

 ――ああ、なるほど。

 先ほど彼女はサンティルノ王宮だと勘違いして見下すような言葉を口にしたのか。実際私たちが向かっているのは、私が嫁ぐことになっているレイヴァン・シュトラウス様のお屋敷。公爵というお話だったけれど、一個人の屋敷なのだから王宮に比べればそれは小さいだろうと思う。


「いいえぇ。でも当然ですけど、王太子妃として迎えられるわけではないんでしょう? 愛妾という地位は頂いても実際は愛されているわけでもないですし、その見込みもないでしょうから、きっと飼い殺しされるだけなんでしょうね。王女様、お可哀想……。さぞかし肩身が狭い思いをするでしょうけども、頑張ってくださいね。生きていればきっと良いことの一つぐらいありますって! ……ああ。でもまあ、今とそう変わりないかな」


 彼女はまるで胸を痛めたように眉を落としたかと思うと、すぐに思い直したようでふふんと鼻を鳴らして笑う。

 返す言葉も返したい言葉もなく黙っていると、馬車が静かに止まるのに気付いた。どうやら到着したらしい。私は濃紺のベールを下ろして準備をする。


「王女殿下、ご準備はよろしいでしょうか」


 外から声をかけられた私は了承の言葉を返すと、失礼いたしますと重々しく扉が開かれた。

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