第4話 指令③犬をグルーミングせよ?!
「クローディア、今日は決戦よ。仕上がってるわね?」
「ええ、仕上げてきてるわ」
「やる気ね! では放課後に戦いましょう」
朝からこう話しかけてきたのはクラスメイトのキャサリンとエイダ。
『戦い』とはスイーツを食べに行くこと。
『仕上げる』とはスイーツを楽しめるコンディションにしてあるかということ。
私があまり外出を好まないので、前もって行くかどうか誘いをかけてくれる友人の気遣いはとてもありがたい。
――距離さえ間違わなければ、前ほど男性に恐怖を感じない気がするのよね。
アーロンとの訓練を開始して二週間。
私は少しずつ手応えを感じ始めている。
ただ、いまだに行動範囲が学院と領内程度なので、成果を見るためにも、今回の私は早々に『参戦』表明を出していた。
◇ ◇ ◇
放課後。
示し合わせた私達三人は、学院帰りに街のカフェに赴いた。
おいしいパイのお店が出来たと聞きつけたキャサリンは、準備のいいことに予約を取ってくれていたのだ。
お店はとても可愛らしい造りの外観で、店内もそれを裏切らない魅力に溢れていた。
また焼菓子などのテイクアウトも人気のようで、多くのパイや焼菓子がショーケースに並ぶ様はおいしそうな上に美しく、味を想像しながら目移りしてしまう。
あれこれ悩みながらめいめいに注文を終えたのち、今回の発案者のキャサリンがため息をついた。
「キャシー、どうしたの?」
「ごめんなさい。つい、昨日彼と少し喧嘩をしてしまったことを思い出しちゃって······」
「まあ! 仲良しで有名なお二人なのに、珍しいことね」
「大した事じゃないのよ。ただ気になってしまって。せっかくのアップルパイを前に駄目ね。帰りに何か買って会いに行こうかしら」
「それがいいわよ! 焼き菓子もおいしそうだもの。男性にも好まれそうよね」
パイとお茶が届いて、その素敵なお味を堪能していると、エイダが突然顔を赤らめながら話し出した。
「そういえばね、私今度、婚約者候補の方とお会いするのよ」
「きゃあ、どんな方なの?」
「実は候補の方が数人いて、順にお会いしてみて決めるのよ。緊張しそうだわ」
そうは言っているが、エイダは嬉しそうにしている。
おそらく、その中に意中の方がいるのだろう。
「そうね、全く知らない方だとあがってしまうかもね。クローディアはどうなの? あなたもそろそろお話あるのではない?」
ここで私にまで話が及んでしまった。
流れ的に仕方ないが、こういう話をするには一呼吸置かないと、まだ胸が痛くなってしまう。
「そうね、私もあるらしいのだけど、まだ具体的に進んではいなくって」
「クローディアは殿方に苦手意識があるものね」
「でも苦手なんて言ってられないもの。私なりに慣れる訓練をしてみてるの」
「まあ、どんな風に?」
そこではたと気がついた。
私、この訓練のことをどう説明したらいいのだろう?
幼馴染を犬扱いして······ってとてもじゃないけど話せないわ。
「ええと······、領内の馬術練習場に行って······管理人やコーチに挨拶するとか······」
「ガスター領の馬術練習場は有名だし、習いに来る男の子達ならちょうどいいかもね」
「ええ、まあ······」
思わず嘘をついてしまってひやひやしていると、キャサリンが声を上げた。
「あら見て! ギブソン家のアーロン様よ」
入口の方に目を向けると、たしかにアーロンが一人で来ている。
頼んでいたらしいお菓子の包みを受け取って店員と談笑している。
「やっぱり素敵だわ、アーロン様は」
「あの美貌だけでなく、魔術コントロールもミカエル殿下と並んでトップクラスだというのも素晴らしいわよね」
「ねえ、クローディアは、アーロン様みたいな方でも怖いと思うの?」
「ええと、私は······」
アーロンは幼馴染だから。
ポーリーンの弟だから。
その枠を外したら、私はどう思うのかしら。
「いいわねえ、どなたへの贈り物かしら」
「あんなに笑顔なのですもの。アーロン様にはもう素敵な方がいらっしゃるのではなくて?」
二人の会話に入っていかれないのを誤魔化すようにレモンパイを口に運ぶと、舌に感じた仄かな苦みに私は思わず目を閉じた。
◇ ◇ ◇
アーロンが犬になると宣言してから早一ヶ月。
犬耳帽を被ったアーロンとの訓練は······何だか調教のようでもあり、この先これに慣れていいのかどうか少し不安になる。
特にアーロンの方が。
ポーリーンからの指令書は、毎回ではないにしろそれなりにあった。
『犬におやつをあげてね』
『犬に話しかけてね』
「犬とゲームでもして遊んであげて」
一番びっくりしたのはこれだ。
『犬をグルーミングしておいて』
これはつい先日の指令書だったが、この頃にはもう大分アーロンを犬扱いすることにも慣れてきていたので、庭で休んだ時にアーロンの髪の毛をブラシを使って梳いた。
アーロンの髪の毛は薄めの金髪だが、陽の光の下ではけぶる黄金色がきらきらと輝いて、そこだけが発光しているように美しい。
「痛かったりしませんか?」
「ワンワン!」
「ふふっ、平気なのですね。······でもありがとう、アーロン。こんな私に協力してくれて」
「クゥーンクゥーン」
「······私の結婚も、こんな風に穏やかなものだといいわ」
「ワオーン!!」
――慣れって不思議ね。
いくら幼い頃から知っている使用人や領民でも、男性に触れることは怖く思っていたのに。
この居心地の良さは、ひとえに温厚なアーロンとだからなのかもしれない。
でもお互いに家庭を持てば、アーロンとはこの先こんな風には過ごせない。
いくらアーロンに親しみや気安さ感じてきたにしても、そろそろ線引をしないといけないだろう。
「アーロン、貴男も婚約者を決める頃ではなくて? お陰で私はもう大分男性への免疫が着いてきた気がするわ。今まで甘えていたけれども、そろそろ次のステップに向かうべきかしら?」
「クゥゥン······。ねえ、クローディア。それなら僕に『お手』を
「え?」
「次のステップだよ。『お手』。僕は犬だけど、それともまだ触れられるのは怖い?」
「そんなこと······」
ない、と言い切りたかったのに、躊躇ってしまった。
今まで男性に感じて来た嫌悪を思い出したくないという方が合っているのかもしれないけれど。
「じゃあクローディアから触れてみて。ほら『お手』」
「え、と」
自身の頭に乗せられたアーロンの手を凝視してしまう。
今までブラシで髪を梳いていたのだから、あまり差はない筈なのに、動かない。
「難しかった? ああ、僕の髪を梳かされてるの気持ち良いいな。眠っちゃったら起こしてね、ワン」
彼は前を向いているので表情は分からない。
けれど、アーロンが頭を下げたので顔に影を落としていて、失望させたのではないかと気になってしまう。
······きらいな訳ないのに、どうして触れられないの?
私はまだ駄目な人間のままで、まだ人々に迷惑をかけ続けるのかしら。
あの後調べたイベリスの花言葉は「心をひきつける」、「甘い誘惑」、そして「初恋の思い出」――。
あの花を育てているのなら、アーロンにはすでに思う方がいるのかもしれない。
それならば早く男性恐怖症を克服して、解放してあげなければ、アーロンにもお相手様にも迷惑になる。
アーロンを見かけたあのパイのお店はマフィンも人気のようで、今日のアーロンはシトラスシロップのかかったマフィンを持ってきてくれた。
――どなたかにあげて喜ばれたものなのかしら。いやポーリーンに頼まれたということもあるだろうけれど。
いやいや、どちらでもいいじゃない。アーロンはポーリーンに命じられて私に付き合ってくれているのだから、それ以外の時間を詮索するなんて······してはならないことだわ。
いつまでもこのままではいられない。
それでも今は二人の間を抜ける風も柔らかい、暖かなひとときだった。
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