第17話
「萩野さん、突然扉を開けられると困りますよ。どうかされましたか?」
裕作は不意を突かれた驚きを何とか隠しながら言った。
別にやましいことをしていたわけではないけれど、何となく恥ずかしいようなむず痒いようなバツの悪さがあった。
「この請求書なんだがな」
とおっさんは、昨日裕作がFAXで送った請求書をこちらに突き出しながら言った。
まずい、何か問題があったのだろうか。
裕作はめんどくさいな、を満面の愛想笑いで上書きして
「はい、何か問題でも?」
と尋ねた。
「ここの日付がな」
「日付ですか?」
「うむ、日付だ。請求日が間違っている」
おっさんが突き出した請求書を目を細めて確認すると、確かに請求日が1ヶ月前の日付になっていた。
裕作はほっと胸をなでおろしながら
「申し訳ございません。すぐに修正した請求書を発行いたしますので、そちらで少しお待ちいただけますか?」
とおっさんにソファを勧めて自身は事務机に向かい、3分もしないうちに請求書を仕上げた。
「お待たせいたしました。こちらが正しい請求書になります。わざわざご足労頂いて申し訳ありませんでした。よろしければどうぞ」
請求書と一緒に冷たいコーヒーを注いだグラスを差し出す。——もちろん期限切れ1年の年代物だ。
裕作は、美味そうにコーヒーをがぶがぶ飲むおっさんの向かいに座る。
あっという間にコーヒーを飲み干したおっさんは、すぐに立ち上がるかと思ったのに何やらその場でもぞもぞとしている。
まだ何か言いたいことでもあるのだろうか。
裕作が特に促すでもなく黙っていると、おっさんがふいに「なんだかよう」と言った。
「はい?」
「いや、別にどうってことねえんだけどよ、あれから何となくそわそわするというか、落ち着かないというか、いや、別にあんたに文句を言うつもりは一切ねえんだけどな」
太った禿げづらの少し困ったようなおっさんが頭を掻きながら続ける。
「あんたの言うことにも一理あったのかもな、とか少しだけ思ったりもしてな。いや、だから、ほんとにどうってことねえんだけど」
ほらみろ、言わんこっちゃない。
一度切った縁は元には戻せない。だからあれだけ念押ししたのに。
すっかり呆れ返ってしまった裕作だったが、なぜだろう、要領を得ないおっさんの言葉は少しだけ裕作の心を温かくさせた。
裕作は少し考えて結局「そうですか」とだけ返すと、ぼんやりとおっさんの禿げづらを眺めた。
おっさんから無数の縁が伸びているのが見えて、そういえばハサミを持ってるんだったな、と思い出す。
おっさんは遠藤さんとの縁を切ってしまったことをちゃんと寂しく感じているんだな、まああれだけ太い縁だったしな、と裕作は何気なくおっさんと遠藤さんの縁の切れ端を探した。
けれど、どれだけ禿げづらを凝視してみても縁の切れ端と遠藤の文字を見つけることはできなかった。
おっさんと遠藤さんの縁の切れ端が見当たらないことに狼狽える裕作をよそに、おっさんは
「まあ、そういうことだ。請求書も貰ったことだし、そろそろ失礼するか」
と呑気に立ち上がり事務所を出ていった。
「あ、あの」
思わずおっさんを追いかけて声を掛けた裕作に、おっさんが怪訝そうに振り返った。
「——いえ、何でもございません。まだまだ暑い日が続くのでお気をつけください」
うむ、と大仰に頷いてまた歩き出したおっさんの背を見つめながら、やっぱり見つからない縁の切れ端を想う。
一体どこに消えてしまったのだろうか。
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