当て馬令嬢(自称)は婚約者の恋を応援中!

日峰

01 ー 当て馬令嬢(自称)は婚約者の恋を応援中!




 伯爵令嬢ツェツィーリア・グレーシェルはその日、人が恋に落ちる瞬間を目撃した。




「もっ、申し訳ございません! お怪我はありませんか!?」




 廊下の角から飛び出てきたのは、薄桃色の髪を持つ一人の少女。ぶつかりそうになって反射的に少女を抱きとめたのは、ツェツィーリアを庇うように前に出ていた黒髪の青年。

 見開かれた真紅の瞳。運命の恋人の名を呼べないもどかしさに震える唇。名残惜しそうに離れていく少女を支えていた指先。

 ――かちり。

 果たしてそれは何の音だったのだろう。時計の針が進んだ音だったのか、パズルのピースがはまった音だったのか、バラバラだった歯車が噛み合った音だったのか、――人が恋に落ちる音だったのか。

 未だ薄桃色の髪を持つ少女と熱く見つめ合う青年の名はエリオット・ベルトラン。彼はガードナー王国最強の盾として誉れ高いベルトラン辺境伯の嫡男であり、ツェツィーリア・グレーシェルの婚約者のはずであった。




 ***




 十二の精霊の加護を受けるこの世界で、ツェツィーリア・グレーシェルとエリオット・ベルトランは生まれたときから――いや、生まれる前からの婚約関係にあった。

 ことの始まりは今から二十年ほど昔に遡る。

 当時、グレーシェル伯爵家の末娘とベルトラン辺境伯の次男の婚約が破談になったのだ。その原因がベルトラン家次男の駆け落ちにあったため、国中を巻き込んでの大醜聞スキャンダルとなった。

 ツェツィーリアの実家であるグレーシェルは過去王家の娘を迎え入れたこともある古くからの名家である一方、エリオットの実家であるベルトランは武勲を認められ王家から取り立てられた歴史の浅い新興貴族。ベルトランの愚行はグレーシェル、ひいては王家への侮辱と取られかねない大事で、一時は爵位の剥奪まで話が発展した。しかしながらグレーシェルの温情により、一度破談になった婚約関係は次の世代へと持ち越されることとなったのだ。


 ――その次の世代こそ、ツェツィーリアとエリオットであった。


 幸いにも、ツェツィーリアとエリオットは健全かつ良好な関係を築くことができた。そもそも物心ついた頃にはもう婚約者がいる、というのは貴族からしてみれば別段珍しい話でもない。

 しかし自分たちの婚約が、世間から“尻拭い婚約”と揶揄されていることをツェツィーリアは知っていた。そしてその言葉が、かつて婚約を破談にされた被害者・グレーシェル――ツェツィーリア側ではなく、かつて婚約を破談にした加害者側・ベルトラン――エリオット側を憐れむ言葉として使われていることもまた、知っていた。

 彼らは皆一様にこう言う。


 ――エリオット様もおかわいそうにねぇ。ベルトラン辺境伯は国境防衛でじゅうぶん王家のお役に立っているだろうに。


 ベルトランの領地は縦に長く、三国との国境を有している。その内の一国はかつてガードナー王国の占領下にあった小国で、独立から五十年以上経った今でも微妙な関係にある。

 度々起きる国境付近での小競り合いを即座に解決し、被害を領地内の最小限におさめてきたベルトラン伯爵家は、いつしかガードナー王国最強の盾と呼ばれ讃えられるようになり、国民からの人気が一際高い貴族であった。

 一方でグレーシェルは王都近くに広大な領地を持つ、王家と繋がりの深い家だ。王家の末姫が嫁いできてからその関係性はより濃いものになり、代々グレーシェル伯爵家の当主は大臣を取りまとめる宰相の座を請け負う。

 その立場故に戦場に出ず、労働もせず、安全な場所から下々を見下ろす貴族の象徴として、国民から恨みつらみを向けられることも少なくない。つまるところ、グレーシェルは国民からの人気が一際低い貴族であった。


 ――グレーシェル家は国民人気の高いベルトラン家と婚姻関係を結ぶことで、国民からの信用回復を狙っている。


 エリオット・ベルトランへの同情の声はいつしかそんな噂に姿を変えた。

 グレーシェル家からしてみれば不名誉極まりない噂だが、事実であるが故に、否定することもできなかったのだ。


 グレーシェルがベルトランに婚約の話を持ちかけた理由は二つある。

 一つは国民からの信用回復。そしてもう一つは――“加護持ち”の血を家に引き入れるためだ。


 この世界は十二の精霊が創りだし、加護を授けたとされている。空気中には精霊が好む魔素が溢れ、そのおかげで人々は魔法を使うことができるのだ。

 中でも強い魔力を持つ人物のことを、“加護持ち”と呼んで敬った。読んで字の如く、十二の精霊から特別に加護を受けた者を指す言葉で、“加護持ち”は魔法を使う際に瞳が光るためすぐに判断がつく。

 “加護持ち”は不思議と高貴な身分の者に多かった。ただそれは強い力を持つ者は成り上がれるという話で、貴族に“加護持ち”が多いのではなく、“加護持ち”が後の貴族になったという表現が正しい。しかし世界ができてから数千年経った今となっては、“加護持ち”が家に生まれることが貴族の証と言われていた。

 その“加護持ち”がもう長いことグレーシェル家には生まれていなかった。各国と平和条約が結ばれて久しく、宰相である当主が戦場に駆り出されることはないためあまり知られていない事実であったが、明るみに出れば間違いなく国民からの支持に影響が出る。それを恐れ、グレーシェルは“加護持ち”の血を求めていたのだ。

 そして目をつけたのが、“加護持ち”当主の力で国境防衛の功績を立て続けているベルトラン家。ベルトランはグレーシェルと同じ伯爵の位を持つ家でありながら歴史が浅く、新参者に爵位を授けてくれた王家に多大な恩がある。グレーシェルが王家に仲人を頼めば婚約関係は即座に結ばれた。

 当人が駆け落ちするという最悪の形で婚約が破談になってもグレーシェルがベルトランに温情をかけたのは、確実に“加護持ち”の血を家に引き入れるためだったのだ。


 ――国民からの支持と“加護持ち”を求めた末の政略結婚。

 なるほどベルトラン家の次男坊が逃げ出すのも無理はないし、そのせいで生まれる前からグレーシェル家に囚われたエリオットが憐れまれるのも、“尻拭い婚約”などと揶揄されるのも、すべて当然だとツェツィーリアは幼い頃から考えていた。

 しかし王家も一枚噛んでいる婚約を自分の意志だけで破棄することなどできない。だからこそベルトラン辺境伯にとって、そしてなによりエリオットにとってよい婚約者であろうと常々努力してきたつもりであった。

 幼い頃は共に野山を駆け回り、学校では無愛想で他人を寄せ付けないエリオットの世話を焼き、向けられる嘲笑も嫉妬も笑顔で躱してエリオットに悟られないよう心がけた。

 ツェツィーリアはエリオットを憎からず思っていた。夜を思わせる艶やかな黒髪も、高貴な真紅の瞳も、耳触りの良い低音も好ましい。愛想がない点は幾度も指摘してきた彼の欠点だが、親しい相手にしか見せない無防備な笑顔を向けられて、優越感を覚えたことは数えきれない。

 そしてエリオットを好ましく思えば思うほど、“尻拭い婚約”――望まぬ婚約から解放してやりたいと願うようになっていった。

 ツェツィーリアとエリオットは今年で十七になる。つい先日、ガードナー王立魔法学院高等部の二年生に進学し、卒業後には本格的に婚約の話が進む手筈だ。


 高等部在学中に婚約破棄まで漕ぎ着け、エリオットを婚約じぶんから解放する。


 胸の内に抱いていた大望が実現する日が目の前に迫ろうとしているかもしれない。廊下で偶然出会った、薄桃色の髪を持つ少女のおかげで――

 ツェツィーリアは興奮を抑えきれず、息を切らしてとある教室に飛び込んだ。




「殿下! 知恵をお貸しください!」


「……そんなに慌ててどうした、ツェツィ」




 息を切らすツェツィーリアを出迎えたのは、ガードナー王国王位継承権第一位であるキアラン・ガードナー・オルムステッド皇太子殿下。

 彼はツェツィーリア、エリオットと同い年であり、古くからのご学友――つまりは幼馴染だった。




「エリオットが恋に落ちたようなのです!」




 叫ぶツェツィーリア。目を丸くするキアラン。

 数秒の後、キアランは「ははは」と渇いた笑いを零した。




「アー……そうだな、うん。奴は恋に落ちているな」


「殿下もご存じだったのですね!」




 幼馴染の言葉にツェツィーリアは目を輝かせた。

 キアランは王族らしからぬ物言いと燃えるような赤髪に金の瞳という派手な外見から、一部から不良王子だと眉を潜められている。しかしそのように後ろ指を指しているのは大半が頭の固い年老いた大臣たちで、キアランが古い習慣に囚われず国民のことを第一に考える、素晴らしい皇太子だということを幼馴染であるツェツィーリアは知っていた。

 そんな彼をツェツィーリアは兄のように慕い、主に人間関係について様々なことを相談してきた。というのも、キアランは心の内を覗ける特別な力を授かっているのでは、と思ってしまうほど他人の心の動きに敏感なのだ。

 キアランはその力を使って、今まで恋に悩む幾人もの少年少女を救ってきた。本人曰く、人の恋路に首を突っ込むことを何よりの娯楽としているらしい。

 時にはツェツィーリアもエリオットも恋の成就のため、キアランの指示通り走り回ったものだ。恋文を届けたり、相談に乗ったり、都合のいい恋敵ライバルを演じたり――

 皇太子や伯爵家の令嬢と令息がするようなことではなかったが、ツェツィーリアは楽しかった。エリオットも文句こそ忘れなかったものの、最終的には誰よりも尽力するのだ。そんな婚約者の姿が、ツェツィーリアの目には好ましく映った。

 懐かしい思い出に浸るツェツィーリアの前で、キアランは咳払いを一つ。




「そりゃあ、何年も傍で見てきたからな。恋のお相手はもちろん――」


「特待生のソニア・マルティンさん!」




 キアランの口から“その名”が出てくる瞬間を待ちきれず、ツェツィーリアは遮るように叫んでしまった。

 ――ソニア・マルティン。

 生徒のほとんどが貴族、もしくは大商人などの富裕層であるガードナー王立魔法学院では珍しい庶民の生徒だ。その上今年度から二年生に編入し、学費を全額免除された特待生という“珍しい尽くし”の生徒で、編入してきたばかりだと言うのに学内一、二位を争うほどの有名人だった。

 ソニア・マルティン。――婚約者エリオット・ベルトランの運命の恋人。

 廊下で抱き合う二人は似合いの一対で、嫉妬心すら湧いてこなかった。生まれる前からエリオットと結ばれることが定められていたのは自分ではなく彼女だったのだと、ツェツィーリアは瞬時に理解した。

 熱心に見つめ合う二人があの後どのような会話を交わしたのか、ツェツィーリアは知らない。偉大な恋のキューピットであるキアランにアドバイスを求めるため、人目も憚らず廊下を爆走してきたのだ。

 しかし色めき立つツェツィーリアとは対照的に、キアランは目を丸くしている。




「……ツェツィじゃないのか?」


「お戯はおやめください、殿下。今は冗談を言っている場合ではありません!」




 キアランの「本気だったんだが……」というぼやきはツェツィーリアの耳に届かない。もはやその瞳にも、キアランの姿は映っていない。

 今このときツェツィーリアの瞳が見ているのは、婚約者エリオットと特待生ソニアが抱き合う姿だ。熱く見つめ合い、お互いに触れて、だんだんと唇が近づく――

 しかし彼らは弾かれたように体を離す。そして怯えた瞳である人物を見つめるのだ。その人物こそ、エリオットの婚約者であるツェツィーリア・グレーシェル。

 ツェツィーリアはぐっと拳を強く握りしめた。そして高らかに宣言する。




婚約者わたしは恋人たちの障害……そう、当て馬なのです!」


「あ、当て馬?」




 戸惑いを隠せないキアランにツェツィーリアは力強く頷いた。

 当て馬――。その存在を知ったきっかけは、他ならぬキアランだ。

 中等部の頃、とある少女の恋を応援していたキアランは、ツェツィーリアに少女の想い人である少年に接触するように言ってきた。話を聞くといまいち腹を決めかねる少女を焦らせるため、第三の人物が想い人に接触するというイベントを企てたようだった。

 ツェツィーリアは少女に危機感を抱かせるにはもってこいの人材であった。名家の令嬢、金髪碧眼の正統派美少女、学級の副委員を任される人望――

 結果としては狙い通りツェツィーリアの存在に焦った少女は想い人に告白し、恋を成就させることができたのだが、恋敵ライバル役を仰せつかった真面目なツェツィーリアはどう振る舞えばよいのか分からず、頼れるメイドに相談したのだ。そのときにメイドから紹介されたのが当時若い女性の間で人気だったロマンス小説であり、そのロマンス小説には何かと主人公の恋を妨害する“嫌な性格の登場人物”が登場した。

 その登場人物に腹を立てて小説を勧めてくれたメイドに話せば、彼女はしみじみとこう言ったのだ。それが当て馬というものなんですよ、お嬢様――と。




「ご存じありませんか? 若い女性たちの間で好まれているロマンス小説に出てきて、主人公と相手の仲をむやみやたらと引っ掻き回し、結果として恋の成就を後押ししてしまう嫌なヤツ……そんな存在を当て馬と呼ぶのだそうです」


「勉強不足だった」




 反省するように瞼を伏せるキアランをツェツィーリアは好ましく思う。

 皇太子という立場でありながら、己の無知をしっかりと受け止められる。それがどんなに素晴らしいことか、幼い頃から聡い少女であったツェツィーリアはしみじみと分かっていた。己の無知を認められず、憤り、立場を危うくする醜い大人たちをたくさん見てきたのだ。

 基本的にキアランと馬が合わないエリオットも、皇太子として、未来の王としてキアランのことを否定したことは一度もない。それどころかツェツィーリアと二人になったとき、彼が王位を継げばより良い国になるに違いない、などと零したこともある。

 そして王となる幼馴染を二人で支えていこうと約束したのだ。言いだしたのはエリオットで、ツェツィーリアはその気持ちを嬉しく思いつつも、返事を濁すように微笑むことしかできなかった。

 ――そのときには既に、“尻拭い婚約”からエリオットを解放してやりたいとツェツィーリアは考えていたのだ。

 雪が降る寒い日。エリオットの実家であるベルトラン伯爵家に向かう馬車の中での会話だった。

 懐かしい思い出を振り切るようにツェツィーリアは大きく頭を振る。そして、




「殿下、わたしが立派な当て馬としてエリオットの恋の成就を後押しできるよう、どうかお力をお貸しください!」




 伯爵令嬢ツェツィーリア・グレーシェルは当て馬令嬢(自称)への道を一歩踏み出したのだった。



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