第14話 ~Happy Tanabata Night~
「ねぇ美七海ちゃん。今年のお願い事は何にしたの?」
小さな笹に書いたばかりの短冊を掛けている美七海に、泰史が尋ねる。
今日は7月7日。
ちょうど週末である金曜日に当たっていることもあり、美七海と泰史は会社帰りに近所で七夕にまつわる様々なものを購入し、美七海の家へと帰って来たのだった。
「いつもと同じよ」
笹に掛けた短冊越しに窓の外を眺めながら、美七海が答える。
窓の外は、生憎の雨。
織姫とされる織女星も、彦星とされる牽牛星も、2人を隔てる天の川も、厚い雨雲の向こうに隠されて見ることは出来ない。
だが、美七海はそれでいいと思っていた。
むしろ、そうあるべきと思っていた。
たまに、仲の良さを周りに見せつけたいカップルもいる事はいるだろうが、昔話に登場するような、しかも1年に1度の逢瀬しか許されていない織姫と彦星には、この厚い雨雲が地上の人間達のよい目隠しになっているのではないかと思うのだ。
「『織姫様と彦星様が無事に幸せな時間を過ごす事ができますように』ってやつ?」
あきれたように、泰史言う。
「美七海ちゃんがお願いしなくたって、織姫と彦星はちゃんと会えるって。大丈夫だよ。ほんとにもう、心配性だなぁ、美七海ちゃんは。そんなことより自分のお願い事をすればいいのに」
「泰史、去年とおんなじこと言ってる」
フフフと笑いながら、美七海はキッチンへと向かう。
「そう言う泰史だって、去年と同じお願い事、書いてるじゃない」
「あっ!もうっ、勝手に見ないでよ!」
「勝手にって……短冊は2枚しか無いんだからすぐ分かる……あれっ?!」
エコバッグから買ってきた食材を出していた美七海は、チラリと見た笹を二度見すると、目をまん丸に見開いて慌てて笹へと駆け寄る。
先ほどまでは確かに2枚しか無かった短冊が、4枚に増えていたのだ。
「なんで……4枚?」
「あっ!それっ、姉ちゃん達に頼まれて、さ」
「そっか、びっくりしたぁ……ね、読んでもいいかな?」
「ああ、いいんじゃね?人んちの笹に勝手に短冊飾るくらいなんだから」
どこか不貞腐れたような泰史の態度に小さく笑いを漏らすと、美七海は丁寧に短冊を手に取った。
『やっくんが世界一幸せになるんだよ! 亜美』
『いつまでもやっくんが幸せに笑っていられますように。邪魔をする者は地獄に堕ちますように 麻美』
「……さすが、お姉さま」
少し引きながら、美七海は再び短冊を丁寧に戻す。
「ねぇ、泰史。せっかくだから、お姉様達もお呼びすればよかったのに」
「いいんだよ、姉ちゃん達は」
美七海の言葉に、不機嫌そうな顔をさらに不機嫌そうに歪ませ、泰史は口を尖らせる。
「それに、今日は七夕だよ?恋人たちのイベントだよ?短冊飾ってあげただけでも有難いと思って欲しいんだけど」
「そんなこと言って。泰史って意外に天邪鬼なのね」
「はぁっ?!何言ってんの、美七海ちゃん?!」
心底驚いた顔で抗議をする泰史。
だが、美七海は泰史の書いた短冊のお願い事を思い出し、ニコリと微笑むと、再びキッチンへと戻った。
「すぐできるから待ってて」
「俺も手伝う」
「じゃ、盛り付けの具材、用意しておいてくれる?」
「うん」
鍋で湯を沸かし、美七海は手早く沸騰した湯の中へ素麺を投入する。
湯で時間は1分半。
その間に、めんつゆや器の準備。
「具材終わった。お酒の用意もしておくよ」
「うん、ありがと」
茹で上がった素麺を手早く湯切りし、冷水で締める。
その後、氷水を入れたガラスの器の中に入れ、泰史が用意してくれたフルーツやカット野菜を盛り付ければ、見た目も涼やかな素麺の出来上がり。
「七夕に素麺なんて、美七海ちゃんに聞くまで知らなかったよ」
「私もね、ネットで調べただけだし、1人の時は特に気にもしていなかったのよ。だけど、せっかく泰史と一緒に過ごすなら、ちゃんと節句に合ったものを一緒に食べたいなって思って。簡単な食べ物で助かったわ」
「お酒は、後付けだけどね。昔は七夕にお酒なんて、甘酒くらいしか飲んでなかったみたいだし」
2人で用意したテーブルの上には、素麺の他に出来合いのちょっとしたお惣菜。ガラスのお猪口がふたつに【笹酒】のラベルが張られた四合瓶。それから、可愛らしい星型の飾りがついた小さなケーキが二つ。
「あれっ?ケーキ?!」
「うん。可愛いでしょ。美七海ちゃんと一緒に食べたくて、買っちゃった。ほら、こっちが織姫様で、こっちが彦星様」
「可愛い~!ありがと、泰史」
素直に喜びを表す美七海に目を細める泰史。
「じゃ、食べよっか。お素麺、伸びちゃうし」
「うん。そうだね。じゃ、いただきまーす」
食事を終え、笹酒の瓶が空になった後。
片付けは後にしようと、美七海と泰史はお互いの体を支え合うように座りながら、窓越しに雨空を見上げていた。
「ちゃんと会えているかな。織姫様と彦星様」
「大丈夫だって。だから、ね?美七海ちゃん。俺達もラブラブ……」
「じゃ、その前に片付けて、シャワー浴びちゃわないとね」
「……その前に……その前に、って言ったよね?!うんっ、俺片付けておくから、美七海ちゃん先にシャワー浴びてきなよ!」
散歩に行く前の子犬の様に飛び跳ねながら、泰史はキッチンへと駆けて行く。
「……あ」
今更ながらに自分の言葉の意味を理解した美七海は、顔を朱く染め、覚悟を決めてバスタオルを手にバスルームへと向かった。
「ありがと、泰史」
「どういたしましてっ♪」
返って来る返事も、嬉しそうに弾んでいる。
風呂場でシャワーを浴びながら、美七海はお酒でぼんやりする頭で考えた。
(なんであんなに私の事好きかなぁ、泰史は。泰史、絶対モテると思うのに。ものすごく優しいし)
泰史の短冊。
昨年も今年も内容は同じ。
【俺の大事な人が、一人残らずみんな幸せになりますように!】
(それに、ものすごく可愛いし)
【でも、美七海ちゃんを目いっぱい幸せにするのは、俺なので!】
(それに、ものすごく……いいし)
【心も、体も。……なんつって】
「私ったら何をっ!」
頭をフルフルと振り、シャワーをお湯から水に切り替えて、美七海は冷たい水を顔に掛ける。
少しだけ酔いが覚めたような気はするが、それでもまだフワフワとした気分は残っている。
”美七海ちゃん?大丈夫?”
長めのシャワーを心配したのだろう。ドア越しに泰史が声を掛けて来た。
「うん、大丈夫!ごめんね、もう出るから」
慌ててシャワーを止めると、美七海はバスルームから出てバスタオルで体を包んだ。
「ちょっと待っててね、俺も急いでシャワー浴びてくるから」
そう言って泰史がバスルームへと向かった少し後。
”わっ!冷たっ!!”
泰史の叫び声が聞こえて来た。
「あっ……水にしたままだった……ごめん、泰史」
”もーっ、美七海ちゃんっ?!後でおしおきだからねっ!”
バスルームから聞こえる文句さえも、これから起こるであろう行為を美七海の中に呼び起こし、体が熱く火照り始める。
「ちょっと、お湯に切り替え忘れただけじゃない。もぅっ!」
窓の外は、雨が降り続いている。
織姫と彦星の甘いランデブーも、つつがなく続いていることだろう。
これからは、自分たちの甘い時間が始まる。
バスルームの扉が開く音を耳に、美七海は高鳴る胸を押さえて目を閉じた。
~Happy Tanabata Night~
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