事の起こり②
長々報告することもない。雇い主と世間話を続けて小銭を稼ぐほど、不景気でもなかったので、俺はにこやかに見送る雇い主――
『うちのもう一つのお仕事』とは、草薙初音の使用人である。清掃、洗濯、炊事といった家事全般を受け持っている。
どちらが副業なのかは要検討だが、格好良く呼ぶと『
……なので。
「まあ、これも大概と言っちゃ大概なんだが」
「んー? 大和くん、なにか言った?」
「いーや、なんでも」
制服支給だの服装規定だのと執事服を推してきた雇い主に否を突きつけ勝ち取ったのが、この白衣である。
曲がりなりにも仕事である線引きから、ビジネスカジュアル以上のラフにはしたくなかった俺なりの、最大限の譲歩。それを羽織り、まずは掃除かと腰を上げた。
「ああ、これから使うから、防音室は掃除から除外でお願い」
いつもは聞かない特例。だがまあ、そういうこともあるだろうと「早いですね。いつもは夜なのに」と深く突っ込まずに返す。
「打ち合わせが重なっててね。しばらくは顔出せないと思うから、咲弥ちゃんが来たらそう伝えておいて」
「……あいつが帰ってくる時間、俺知らないですよ」
「そう? カリキュラムが特別変わってない限り、私や大和くんの世代と変わらないと思うけど。今の時期はテストや学校行事があるわけでもないし」
三十路になると、そんな昔のことはおぼろげで覚えてませんのよ。
……などと開き直るのも沽券に関わるので、「さいですか」と頷いておく。新社会人年代の草薙さんには、いまいちピンと来ない話かもしれない。
「ま、そういうことなんで、後はよろしくお願いします」
そうあっけらかんと言い残し、草薙さんは器用に車椅子を操作して防音室へと向かっていった。
俺達が小間使いまがいの仕事をしている理由は、別に草薙さんが超絶お金持ちの家柄だからというのもあるが、主たるものがこれだ。忙しい日はデリバリーで夕食を賄うように、出来ないわけではないが、使用人を雇える金銭的余裕があるのだから用意しないわけがない。
いくらか……いや結構な具合で趣味丸出しなのは否めないが、
しかしながら、そういった時間ほど、経験上長くは続かないものだと知っている。
「――――、」
耳の後ろが粟立つような悪寒。
そして礼節の欠片もないような、バタバタとした足音が響く。
車椅子のタイヤが滑らないよう、毛足の短いカーペットが薄く敷いてあるのだが、その吸音性も形なしとは、相当なけたたましさだろう。勇み足の主を推測する暇もなく、居間代わりの談話室のドアが開かれた。
「お、前……」
古き良き伝統から数十年はモデルチェンジをしていない、気品溢れる黒のセーラー服。
老舗の喫茶店が少女の姿を取ったならば、こんな感じになるだろうという外見。なまじ浮世離れした面立ちだけに、そんな詩的な感想を抱いてしまった。
だが、あくまで夢幻でしかない。俺の邪念を振り払うように、かき上げた長い黒髪からはかすかに清潔な汗の匂いがした。
どうしようもなく今を生きている人間。
その生気に満ちた唇が艶やかに動く。
「うちの高校に、吸血鬼がいるらしいわ」
明日の天気を歌うように告げられる風雲急。
「なんでも、そいつのせいでクラスメイトが自殺したらしいの――ボクの勘だけど、多分【エス】だと思う」
平穏だった空気が、嫌になるほどなめらかに非日常へと移り変わる。
使用人の仕事から【ギロチン】――エス狩りの仕事に変わる合図だ。
「……草薙さんは別件で外せない。俺もまだ掃除中だから、話はまずそれを済ませてからだ。あと、」
「?」
「帰ってきたら、先に言うことがあるだろ」
「うん、そうだったわね――ただいま、ヤマト」
「おかえり」
曰く、吸血鬼は招かれないと家に入れないらしい。
ならば先に「ただいま」と言ったこいつは、どんなに歪み果てていても吸血鬼ではないのだろう……などと戯言を考えつつ、俺達の吸血鬼退治が幕を開けたのだった。
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