ハローグッバイ

 そのままホームで話を続けようとする彼女を、立ち話も何だからと連れ出した。

 彼女は改札で2回ほど引っ掛かり、駅員と会話を交わして出て来た。本人も『無くても良かった』と言っていたのだし、健太が拾ったあれは定期券やICカードの類では無かったのかもしれない。

 

 寂れた駅前にはシャッターの閉まった居酒屋ばかりが並んでいる。辛うじて見つけた古びた喫茶店に入ると、カウンターで老人が新聞を読んでいた。店内には店主だと思われるその老人しかいない。彼は平日の朝に突然訪れた学生と見慣れない髪色の少女に怪訝な目を向けながら、ぶっきらぼうに水の入ったグラスとメニューを机に置いた。もっとも、店主の興味は少女だけに向いたものであったかもしれないが。

 健太が恰好付けてブラックコーヒーを注文すると、彼女は「私もそれで」と事も無げに言い、店主が去るのも待たずにアタッシュケースから何かを取り出した。


「ちょっとこれ、持っててくれない?」

「う、うん……」


 それは彼女があの時落とした定期入れのような何かだった。黒っぽい革のような素材で、中に少し厚みのある紙が入っているような手触りだが、しかしそれはICカードの類にしては柔らかすぎるような気もする。


「さて、色々教えてくれるかな?」

「えっ、これ持ったまま?」


 健太が訊ねると、彼女は有無を言わさぬ笑顔で頷いた。テーブルに置こうとすると腕を掴まれ、健太の心臓がまた跳ねた。こんな奇妙な状況でも反応してしまう自分の単純さが恨めしい。

 

「わ、分かったよ……って言っても僕に分かる事しか答えられないけど……」

「あぁ、大丈夫。もしキミにとって分からない事があったとしても、分からないという情報が分かるのだから何も問題無い」

「うん? うん」


 遠回しな物言いに疑問を抱きながらも頷くと、彼女は満足気に微笑んだ。


「じゃあ質問を始めるね。キミの名前は?」

「た、田中健太」

「ケンタね。オーケー。私の事は……そうだな、シイと呼んで。よろしく」


 心臓がまた飛び跳ねる。自分が女子に名前を呼び捨てされる事など過去にあっただろうか? しかも一目惚れした相手から! 気持ちが舞い上がってしょうがない。

 ――その高揚感がすぐに萎れてしまう事はまだこの時の健太には知る由もないのだが。

 

「ケンタは何歳?」

「17歳」

「誕生日は?」

「12月13日」

「住んでいる所は?」

不二郷ふじさと……あの、神野市の西の方」

「キミの職業は?」

「高校生……ねぇこれ、シイ……さんが聞きたい事と関係ある?」

「あるといえばある。そして私はシイサンじゃなくて、シイね。そこ、大事だから」

「そこ大事なんだ……」

 

 ひと昔前にインターネットで流行したターバンの男を思い出した。簡単な質問を繰り返し、思い浮かべている特定の人物を言い当てる遊び。それに似ている。もしくは個人情報を聞き出す新手の犯罪だったら……と今更少し身構えたが、少女は満足気に微笑みながら質問を続けた。

 ――くそ、可愛いな。


「じゃあ、その天気予報は誰から聞いた?」

「え? えっと、母親」

「ケンタの母親が今日雨が降る事を当てたの?」

「まさか!」


 思わず吹き出してしまうが彼女は至って真剣な眼差しで健太を見つめている。バツが悪くなり、健太は咳払いをして言葉を返した。

 

「モーリー……いや、ごめん、森崎さんだよ。ほらあの朝のニュースに出てる気象予報士の」

「朝のニュース?」

「『おはようガイド』。朝の5時くらいからやってる奴……知らない?」


 どうやらシイはピンと来ていない様子であった。若者のテレビ離れが叫ばれて久しいし、確かに健太自身も両親が居なければテレビのリモコンに触りもせずスマートフォンを眺めているので理解出来ない事もない……とは思う。


「じゃあそのモリサキという人間に会う事はできる?」

「いや、無理だろ!」

「何故?」

「何故って……いや、まぁそりゃ東京まで行ってテレビ局の前で出待ちでもすれば出来なくはないかもしれないけど……非現実的すぎるだろ」

「そう? 東京なんてすぐ近くだよ、うちに比べれば。パパに連れてってもらえばいいからね」


 ――電車、バス、新幹線を乗り継いで計7時間は『すぐ近く』と言えるのだろうか?

 疑問に思ったが、彼女の美しい銀髪や色素の薄い瞳を見て思い直す。シイが外国から来たのであれば、小さな極東の島国などまるで庭のような狭さなのかもしれない。


「で、でも出待ちは……良くないと思うな」

「何故?」

「ずっと待ち続ける事になるだろうし……」

「それは平気」

「シイさ――シイが良くても、ほら、警備員さんとかに迷惑かけちゃうんじゃないか?」

「大丈夫よ」


 大丈夫って何が――と訊ねようとした瞬間、店主がコーヒーを2つ運んでくる。シイは運ばれてきたカップを持ち上げながら素っ気なく言い放った。

 


 そして彼女は黒々としたコーヒーをゴクリと飲み下した。

 唐突に彼女の薄藍色の瞳が酷く冷たく見える。返したい言葉が喉奥で渋滞して出て来ない。

 ――もしかしたら自分はヤバい女に関わってしまったのかもしれない。

 しかし健太は、脳内に鳴り響く警告音を奥深くに押し込めた。もう少し、もう少しだけ、この少女の底を探ってみたいと思ってしまったのだ。絶対に、古典や数学の授業なんかより遥かに面白い。


「し、シイさ――シイはどうしてそんなに森崎さんに会いたいんだ?」

「今日はから」

ってどういう事?」

「そのままの意味だよ。今日は晴れる事になっているけど、雨が降るの。でもその情報は公開していないはずだから、それを感知できるモリサキという人間を調べたい」


 言っている意味が全く分からず、健太はおずおずとコーヒーを口に運んだ。飲み慣れない味に思わず顔をしかめる。

 シイは構わず話を続けた。


「でもこの辺りに降らせてもあんまり意味無いんだよね、だって人が少なすぎるもの。私は東京に降らせれば良いって言ったけど、パパはダメだって言う。何でなんだろうね?」

「……自分達が雨を操れるみたいな言い方するんだね」

「みたいな、っていうか、操ってるからね。雨を降らせる実行部隊は私とパパだから」


 これは……行き過ぎた厨二病とかそういう類の物かもしれない。

 健太は深く考える事を辞め、適当に話を合わせる事にした。常識や普遍を基準に彼女の発言を受け止めていたら自分が狂ってしまうような気がしたからだ。

 

「へぇ……じゃあ今日は何時いつ雨を降らせるんだ?」

「それを決める為にケンタに話を聞いてるんだよ。人間が出来るだけ外出している時間を知るには、住民に聞くのが手っ取り早いんだって」

「外出してる時間がいいのか? 降られる側としては外出してない時に降ってくれた方がありがたいんだけど」

「当たり前じゃん、できるだけ多くの生命を手中に入れて交渉材料にしたいからね」


 思わず咳き込む。コーヒーを口に含んだ状態で無くて良かった……。

 

「せ、生命? 交渉?」

「そう。だから、この西貝田を中心に人々が外出している確率の高い時間を教えて」

「……うーん?」


 少しレベルの高いごっこ遊びだと思えば……ついていけない事も無いかもしれない。妹の魔法少女ごっこに付き合わされていた事を思い出しながら健太はそれっぽい答えを返した。

 

「西貝田の駅は飲み屋が多いからサラリーマンとかは仕事帰りによく来るイメージだな。夜の……9時、とか?」


 成程、と彼女は腕を組んだ。高校生の健太に、仕事帰りのサラリーマンが飲み会を始める時間が分かる訳が無いのだが……それには気付いていないのだろうか。


「パパに報告して、夜の9時から降らせる事にする。いい情報を得られた。ありがとう、ケンタ」

「ど、どういたしまして?」


 そこでふと思い出す。


「本当に9時から降るんなら傘はいらないんだよな……」


 鞄の奥に押し込めた、母の使い古しの折り畳み傘。比較的暗い高校生活を送っている健太にとって、午後9時はとうに自室にいる時間だ。

 ボソリと呟いた独り言にシイが反応した。


「かさ?」

「ん? あぁ、雨が降るからって持たされたんだけど……」

「かさって、何?」

「嘘だろ?」


 ――仮にも雨に関する能力者の設定なのに傘の存在を知らないのは無理があるだろ!

 という心の叫びは、コーヒーと一緒に喉に流し込む。苦味で平常心を取り戻し、鞄から色褪せたピンクの折り畳み傘を取り出す。


「傘ってこれだよ、これ」


 彼女は健太からその折り畳み傘を恐る恐る受け取った。くるくると回しながら全体を観察している。

 

「これ、ただの布と棒じゃないの? 武器?」

「違う違う、雨の日の必需品だよ」

「へぇ?」


 弾みでマジックテープが剥がれ、はらりと傘の生地が広がる。彼女はびくりと身体を強張こわばらせた。


「あ、頼むから店の中では広げないでくれよ? ここのボタンは押さない。オーケー?」

「わ、分かった……」

 

 シイはそっと傘をテーブルの上に置く。


「雨を降らせるのに傘は持ってないの?」

「持ってない……こんな武器、知らないもの」


 だから武器じゃないよ、と訂正しようとした瞬間、不意に今朝の記憶が蘇った。

 

『――可愛いピンクだから、女の子に貸してあげてもいいのよ?』


 浮かぶ母の満面の笑み。健太の脳内イメージはご丁寧にも存在しない母のウインクまで作り上げている。

 

「……これ、あげるよ。ちょっとダサいけど」

 

 どうせ失くすと言われているのだから、いっそ何処かに置き忘れた事にでもして新品を買ってやろうかと思っていたのだ。母の使い古しで申し訳無い部分はあるが、あげてもバチは当たらないだろう。

 彼女は一瞬呆気あっけにとられた表情を見せてから、ニコリと笑った。


「よく分からないけれどありがとう、研究させてもらう」


 またま心臓が五月蝿く飛び跳ねる。どれだけ酷い厨二病を患っているとしても、シイの笑顔は芸術品と言っても過言では無いと健太は思った。


 ぴるるるるっ


 唐突に彼女のアタッシュケースからくぐもった音が聞こえた。


「あぁ、時間だ」

「えっ?」

「パパから呼び出された。帰るね」

「あっ、いや、ちょっと待って」

「うん?」


 気持ちが先走り『待って』という言葉が口をついて出たものの、後に続けるべき言葉が分からない。

 沈黙してしまった健太を一瞥した後、彼女はステッカーだらけのアタッシュケースを開け、中身を探りながら言葉を続けた。


「悪いけど、パパがもう迎えに来るから」

「む、迎えにって……ここに?」

「うん」


 シイの服装から推察するに良家の生まれではありそうだ。しかしこれ程酷い厨二病を患っている……一体、どんな父親が来るのだろう。興味と恐怖心が拮抗する。


「ありがとう、ケンタのおかげで情報を得られた。それじゃ――」

「あ、待って! また……また会えるかな?」


 これが精一杯の言葉だった。色々な意味で、健太はシイと連絡先の交換が提案出来るほど勇気のある人間では無い。

 そんな健太の言葉にさして動じる事も無く、シイはアタッシュケースから何かを取り出した。折り畳み傘と同じくらいの大きさの、黒い何か。


「うーん、無理かなぁ。今夜雨が降ったら『侵略』が始まるから」

「し――」


 侵略って?

 そう訊ねようとした健太に向けて、彼女はその黒い何かを突き付けた。


「さよなら、ケンタ」


 そこで健太の意識は途絶えた。

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