第10話 再びの声
疲労と眠気、それからどういう訳か、軽微な痛みに襲われている。
体調が悪い方にむいている。
良くない兆候だ。
痛みは生命維持のための警報装置だ。
少しの痛みだとしても放置して良いことはほとんどない。
このような極限状態で、生き残るために動き続けなければならない時はとくに、痛みには敏感に対処する必要がある。
顔や肩、腕がヒリヒリとする。
心当たりはなかった。
顔や肩、腕などは、念の為ほとんど池につけていない。
毒性などがあると、顔周りについてしまうのが1番危険だからだ。
眠気でぼんやりとしている頭。
気だるいが、自分の体が発する僅かな危機感を信じて、腕をよく見てみようと首と腕を緩慢に動かす。
「……赤い……」
明らかに日焼けだった。
日焼け止めとかは何も塗っていない。
持ってきていないのだから当たり前だった。
鞄に詰めたのは元の世界の話だ。
昨日は日が暮れるまで基本的に森の中や木陰にいた。
池の上に木の幹が伸びていなかった。
なおかつ、肩や腕は急ごしらえの葉の肌着で覆う事ができなかったから、そのまま強行したのだ。
頭上から照りつける日射しと、水面から照りつける反射光の両方をモロに受け続けていた。
今日は快晴で雲ひとつない。
昨日も雨は降っていなかったから、空気は乾燥していた。
未知の異世界の池の中を警戒するあまり、慎重に水の中の足場を見極めて、時間をかけて進んだ。
なにものも遮ることのない日射しを、なんの対策もなしに浴びていた。
水温が冷たすぎて日射しの強さに気づくのが遅れた結果がこれだ。
「冷やさなくちゃ……」
喉がカラカラで声が掠れる。
日焼けのせいで顔や肩、腕に熱を持っていて、ヒリヒリとした痛みが続いている。
そのせいか、体はまだ温まりきっていないのに、じっとりとした嫌な汗をかいている。
水ももっと飲まないと。
脱水症状は頭痛を引き起こす。
ほっとくと脳に深刻なダメージを与えてしまう恐れがある。
近くに置いていた大きな葉の切れ端と苔を掴みとる。
軽い立ちくらみに襲われながら、池の近くにふらふらと歩いていく。
熱中症の症状がすでに出ている。
池にかがみこむと水面に自分の顔が映った。
水面に映る顔や肩も、腕と同様に赤くなっていた。
「……水を、飲まないと……」
昨日掘った水確保のための穴は、すでに池の水に侵食されて崩れていた。
今から小枝で穴を掘って水が染み出てくるの待つような余裕は残念なことにないだろう。
そして、今の自分には池の水が衛生的に大丈夫かどうかを気にしている余裕がない。
今はもう、苔の消毒作用を信じて、そのまま池の水を飲むしかない。
なるべく澄んでいる所を選んで、手にした大きな葉の切れ端で、池の水を掬えるだけ掬った。
掬った水を苔に垂らして、その苔から滴る水を飲んだ。
「んく、んく、んくっ」
口を大きく開けて滴る水を喉を鳴らして飲む姿は、はしたないかもしれないが、今は体面を気にしている余裕すらない。
また掬って飲んだ。
繰り返して、たぶんコップ1杯かそれ以上は飲んだと思う。
それから顔や肩、腕を池に浸すため、頭から水面に突き入れて冷たい池の水で日焼けしている所をなるべく冷やす。
冷たさに目も覚めて、水分を補給して頭の痛みもスッキリとしてきた。
日焼けした箇所は池の水が冷たいおかげで十分に冷えだと思う。
どうにか
しかし大事をとって、近くの木陰で日射しをよけることにした。
日はまだ高いところにある。
熱中症を甘くみていると熱射病などに発展しかねないので、十分に回復するまでは何もできない。
この教訓を活かし、明日はしっかりと日焼け対策をしてから日中の作業をしよう。
そのための材料も集めなければならないし、数時間後にウネウネトラップをとりにいかなければならない。
やることがまた増えちゃった。
「ふあぁぁ……」
木陰で風にあたりながら座っていると……また、瞼が重く、なってきちゃう……。
こんなところで寝たら……風邪ひくかも………………
「…………ーザ。
ローザ、起きるんだ。ローザ!
頼むから目を開けてくれっ」
耳元で切羽詰まったような声がして、急速に意識が覚醒する。
どうやら木陰でそのまま眠ってしまったようだ。
声の主は。
「ルブ…………ラン……?」
「今は寝ぼけている場合じゃない!
火が消えてしまう、早く焚き火に薪をくべるんだ、急いで!」
私はそれを聞いた瞬間、血の気が引き、次の瞬間には駆け出していた。
焚き火までの10数メートルを必死で走る。
日没まではまだ少し時間があるが、日は傾いており影が長くなりはじめていた。
火が完全に鎮火してしまえば、今夜の焚き火をつけられるかはわからない。
この冷えた体を温められなければ今晩を越して生存することは非常に難しい。
トラップに魚がかかっていたとしても、火がなければ食べられない。
生命線はどう足掻いても火があることが前提なのだ。
焚き火はすでに炎が消えていて、細い煙が登っていた。
ラックから小さくて細めの小枝を引っつかみ、焚き火の中に何本かくべた。
どこかに火種さえ残っていれば、ギリギリ焚き火を維持できる。
息を吹きかけてみる。
急に走ったのと心配や不安で、心臓がバクバクがなり立てていた。
息を吹きかけるのにも力加減がうまくできない。
火種を消してしまわぬよう、上手く吹き付ける必要があるのに!
「落ち着いて、ローザ。
ゆっくり息を吹きかけるんだ」
わかってる……!
でも難しいだけなのに……!
「そう、そう、君なら、君ならできる。
僕は君を、信じている。
大丈夫、その調子、大丈夫」
彼はゆっくりと私に話しかけてくる。
今朝感じたねっとりとしたものは今の彼の声からは感じられなかった。
ただ優しく、私を落ち着かせようとしている。
徐々に息が整いつつあった。
それは、走ってきた時の心拍数が物理的に落ち着いてきたことだけでは、なかったかもしれない。
辛うじて、本当に辛うじて。
継ぎ足した小枝の1本から煙が出始めた。
これなら火はまたつくだろう。
「よかった……間に合ったぁ」
「ローザが走ってくれたおかげだ。
君はよくやった。偉いぞ」
ルブランの声がする。
何だか急激に力が抜けてしまい、その場に座りこんだ。
まるで小学生を褒めるような今のルブランの言動や声のトーン。
なんとも言えないけど、どこか安心感のようなものが私の足から力を抜きとった。
精神的にはもう19だけど、見た目は10代前半なのだ。
その声のトーンは妥当だし、裸を見られて恥ずかしいとか、エロい目で見てないかとか、ひとりで考えてしまっていたけど、今の褒め方からすると、彼は私のことをまだそういう対象として見ているわけじゃなさそうな気がした。
それでも、ルブランは私をまた救ってくれた。
「(小声)ねぇ、ルブラン……。
ありがとう、その、火が消えるの教えてくれて。
すごく助かったわ。
それと、せっかくもらった木の実。
ダメにしてしまって、ごめんなさい……(小声)」
「その事はいいんだ。
僕が勝手にやっている事だから、君が気に病むことも恩を感じることもないよ。
僕は君を見ていることができて、そしてこうして話すことができるだけでとても幸せだ。
君のおかげで僕は幸せでいられているのだから、このくらいの小さな小さな手助けくらいさせてほしい」
やはり謙虚な姿勢は変わらない。
私は彼に何かをしてあげることはできていないと思う。
私の今の、みすぼらしい姿を見せて、誰かが喜ぶ姿は想像できない。
オシャレもできず、体を洗うこともままならず、不衛生で、体裁も何も無い。
疲れて眠ってしまうし、まだまだ命を落とす危険と隣り合わせなのだ。
私は単に、必死に生きている。
生きようとしている。
ただそれだけだ。
誰かを喜ばせるようなことは何もしていない。
楽しくお話したり、一緒に美味しいものを食べたり、プレゼントをしたり、どこかに出かけたり、相手をほめたり、楽しませるようなことは何一つしていない。
きっと彼だけが特殊なのだろうと思う。
そして彼だけが私を見続けてくれている。
目の前で小さな火が小枝についた。
その火を絶やさぬように、手で少し風を防ぐ壁を作る。
目の前の小さな火が心もとなく揺れるのを見ながら、私はルブランに問いかけずにはいられなかった。
私の吐いた息が、この小さな火を吹き消してしまわないか、不安が一層声を震わせる。
「(小声)どうしてルブランは、私を見てくれているの?
どうして助けてくれるの?
私、朝はあんなに冷たくしてしまったのに、あなたはどうしてまた救ってくれたの?(小声)」
「それは、君だったから……。
君を見つけてしまったから。
僕の人生に、君が小さな火を灯してくれた。
ちょうどその小枝についた火のように、君は僕にとっては、なくてはならない存在なんだ」
その火が小枝全体に燃え広がり、他の小枝にも燃え移る光景を目にしながら、私は彼の言葉の意味を考える。
私が、この小枝についた火のように、彼にとって、なくてはならない存在?
これはもしかして、口説かれている?
いやいや、私が聞いたことの答え?
答えには……なってない気もする。
じゃあなんだろう?
でも、裸を見てもなんとも思ってないような子供を本気で口説くかな?
でも、朝は妻になれって……。
うん?わからない。
つまりそれって、どういうことなの??
たしかに今の私には火がないと死んでしまうから、なくてはならないもの。
だけど、ルブランにとってこの火のような存在の私はどんな意味を持っているの?
彼から見たら、この小枝の火は、たぶん遠くにある映像か何かの中の火よね?
別に無くてもいいってこと?
そんなこと言う?
妻にしたい人に向かってそれはひどくない?
もう本当によくわからない。
きっと私の頭は今、上手く回っていないわ。
この件は持ち帰って検討させていただきます。
そんなドラマのセリフがあった気がする。
今がその時?
とにかく、これ以上は話していても余計に混乱しそうだから、とりあえず一旦お開きにしませんか?
「(小声)ごめんなさい。
私、今はよくわかっていなくて。
続きはまた今度、もっと落ち着いてお話できる時でもいいですか?(小声)」
「ああ、それはもちろん。
君は疲れているだろうし、まだまだやることもある。
それで全然問題ないよ。
気遣いをかけてすまない。
それから、急に起こしたことも。
また僕から何か伝えたいことがある時は、声をかけてもいいかな?」
「(小声)ええ、お願いします(小声)」
「うん、それじゃ……
あ、そうそう、最後に……
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