江戸 元禄 人模様

多摩川 健

第1話 秋風 その4

三之丞は兄たちと五歳から、加納報歳を師として、論語の斉唱から始まり 大学、中庸、孟子、荘子と一通りは学んできた。長男 太郎左衛門とは五つ離れていたが、力量は同じで、報歳も三之丞を、その学びの真面目さ、鋭さを高く買っていた。

学問のみか、七歳から通い指導を受けた剣術も、十五歳では牛込、堀内道場で免許皆伝。学問と剣術が唯一の生きがいであった。兄たちと違い、毎日道場帰りには、江戸市中をくまなく歩きまわり、武士とは別の、生きる道を探していたといってよい。

そんな兄と二歳違いの弥生も又、絶えず三之丞の後をついて回り、花嫁修業はそっちのけで、五歳から薙刀、そして兄にせがんで築地の庭では毎夕刻、三乃丞が道場から帰るのを待って、木刀を取り出し、教えを乞うのが日常であった。

十二歳で、溜池の柳井道場に通いたいと言い出した時、父母ともに止めたが、一切聞かず入門。あっとゆうまに腕を上げ、今では師範 柳井正勝の片腕として代稽古を任されるまでになっていた。

誠に両親の心配は弥生と三之丞の行く末のことであったろう。







 この数日前、日本橋本石町、両替商越後屋では、店中が大騒ぎとなっていた。女中とよと娘八重が、芝の増上寺へお参りに出たまま、夜遅くなっても戻らなかった。戌の刻から子の刻過ぎまで丁稚、手代、番頭総動員で芝界隈から新橋、神田、上野あたりまで探し回ったが、行方はつかめない。越後屋幸之助一睡もできないで、お内儀お由はすでに半狂乱の状態であった。

 幸之助は娘の八重が婚礼も控えている矢先であり、娘と店の評判から、身内で何とか探すことに全力を挙げていたが、疲労困憊でもあった。勘当した不肖の長男をあきらめて、同業の美濃屋の次男を、娘八重の養子に迎えて後を継がせる腹づもりであった。

  ーーまさかとは思うが・・あの幸太郎が・・実の妹をーー

こうなってはもう神田の泉屋の親分にお願いするしかない。ことの起こりが、神田泉屋。ことはまことに皮肉であったが、知る由もない幸之助は、そう考えるしかすべがなかった。


 芝浦の廃寺では、さるぐつわの娘を上原幸助がまさにのしかかり犯そうとしている。必死の形相で娘が抵抗する。

「上玉だ。おとなしくしてねえと、女中のように・・絞め殺すぞ」

 昨夜遅く、必死に抵抗する女中のとよは、二人に犯され、絶叫しながら首を絞められ、八重の横の大型の葛籠に押し込められていた。

 絶望のなかで八重は思い切り右膝を蹴り上げた。なんと・・・上原の急所を直撃したではないか。転げまわる上原。八重は必死で荒れ寺からはい出した。後ろから上原の怒鳴り声が迫る。八重はしびれる右腕で、さるぐつわを外すと左崖下に身を投げた。木々の間を抜けてまっさかさまにころがる八重。後頭部を大石にぶつけて気を失った。 

 上原は必死にわき道を下って浜に向かって下へ走る。街道まで出る。いない。駆け上がり、荒れ寺の後ろや谷を必死に探す。

 この騒ぎからしばらくして、深川から戻った橋本は寺に戻ってみるとーーなんと、娘も見張りの上原も消えているーー

そこへ、悄然と顔中がむさくるしい髭ずらの上原が戻る。

「逃がしたのか娘を。上原なんとしたことだ。番所にでも駆け込まれたら終わりだぞ。遠くまでは行けまい。なんとしても今夜中に手を尽くして探せ。連れ戻し片付けねば、われらも危ういぞ」

「下におりて芝浦はすべてさがしたさ。これから芝界隈まで出張ってなんとしても、連れ戻すさ」

 無精ひげの上原も必死の形相だ。

「話が漏れるのは危険だ。探す相棒は芝浦の三吉だけにしておけよ。とにもかくにも、われら三人で今宵中に連れ戻さねばならんぞ。失敗は許されない。上原わかっているな」

  冷静な橋本であった。

 この宵は必死の探索にもかかわらず見つけ出すことはできなかった。やむなく翌日早くから、芝 新橋から、西の品川界隈まで探し回ったがどうしても見つからない。上原と橋本は危ない橋をわたることになった。


 かどかわしから三日目の夕七ツを少しまわったころ、上原から因果を含められて、芝浦の三吉は芝の岡っ引き琴屋の徳蔵を尋ねた。

「芝浦の先の骨董屋吉野家のもので三吉と申します。一昨日の昼に、お嬢様と女中のとよが増上寺にお参りに出た後戻りませんで、店のもので探しましたが今日まで行方がしれません。何か、お届けはありませんでしょうか・・」

 あくまで神妙な顔の三吉だ 徳蔵は経験豊富であった。きちんとした身なりの三吉ではあったが、昨日からのいきさつでこれは・・おかしいとにらんだ。

「別に届はありませんが、それはご心配ですね。少しわしらも当たってみましょう。ところで吉野家さんは芝浦のどのあたりで・・」

「さようですか。それでは店の者総動員でもう少し探してみましょう」

  とそそくさと、引き上げようとしていた。 三吉が琴屋を出るとすぐに奥にいた辰に後をつけさせた。徳蔵はこの様子を法円和尚、加藤一之辰と、寺子屋師匠三乃丞に知らせに走った。寺子屋からは今日も論語・斉唱の子供たちの声が響く。

 と。ここで少し・・新発田藩浪人・加藤一ノ辰の経緯を振り返ってみよう。一ノ辰は勘定係の上役を・・あるきっかけで事故死させ、その奥方お里と新発田藩を出奔し、江戸に出てもう五年だ。

ーーあの時、上役の島主税乃介が奥方に暴力をふるっていなければ・・人生は変わっていたかもしれない。所用で島家を尋ねた加藤は、狂ったごとく奥方を殴打する島との間に止めに入り、思わず、主税乃介を突き飛ばした。打ちどころ悪く床柱に前頭部を打ち付け、島は息絶えた。翌朝届け出をと考えた加藤であったが、独り身で母との二人暮らし。前途は絶望的だろう。帰宅して母に告げる。気丈な母であった。公正なお裁きは期待できないかもしれないと。そのころの藩内は、汚職、利権争いで騒然としていたし、島は一方の利権の旗頭でもあったから。直ちに、出奔することを勧めた。ーー母は自分は老人でもあるから、兄の下で何とかなるだろうとーー

ーー旅姿に身を固め、翌朝まだ明けやらぬ頃、戸口に旅支度の島の奥方、お里が立っていたのでびっくりした。どうしても、加藤について出奔したいとーー

一ノ辰と母は懸命にとどまるように説得したが・・お里の決意は固かった。

「夫の所業ゆえに、加藤様に、このようなことに。なんとしても、何としても、加藤様のお力になりとう・・・覚悟のうえで参りました」   勘定役蔵係の関係で、江戸芝の鍵屋長兵衛が頼り先であった。事情を話すと、長兵衛は長屋の空きを世話してくれた。義理堅く・・男気の長兵衛に二人は救われこうして隠れ暮らしていたのだ。 元禄元年

一之辰三十一歳、同時出奔のお里は年上の四十歳である。

 長身細身。面長で端正な顔立ち。寺小屋師匠、旗本 菊池左衛門の三男・菊地三乃丞についてはすでに身上を述べた通りである。


琴屋に辰が戻ってきた。

「奴らの居場所は芝浦の西の先・・右手の山を上がった廃寺です。そこに娘と女中を隠していたに違いありません」

 一刻も猶予はない。


 「ところで、上原。まだ見つからんのか。今朝船を出す手筈と。原田には話してある。なんとしても・・なんとしてもだ。今日中に見つけねばならんぞ!」

 と脅し顔で橋本が上原に迫る。

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