第21話 俺は嫁が欲しい③



「……ルチアナではない?」

「ええ、魔道具でそう出ましたよ。それからもう少しで[竜の目]に触ってしまうところでした――」


 さっきの女の子が「報告書のルチアナ」とは別人であることを知った俺は、ばあやが部屋を出て行ってから拳を握りしめて喜んだ。


 七色に光る魔鉱石は魔術式を大量に組み込むことができる。

 この魔鉱石で、対象者の「名前と年齢と出身地」を表示する魔道具が作られた。その表示と申告の内容が合わなければ、ベスフィーオの領境を通ることはできない。犯罪者などを領内に入らせないための魔道具だ。


 迎えの馬車の中で、ばあやがその魔道具を彼女に使ってみたところ、グラーツィア・バローネという名前が表示されたそうだ。


『グラーツィアお嬢様は、伯爵家の血を引く、唯一の……』


 あの痩せた執事はそう言っていた。

 つまりあの女の子は、バローネ伯爵の実の娘なのだ。ばあやはそれを俺に知らせたかったらしい。


 なんという幸運。今なら俺は神の存在を信じてもいい。おそらく何らかの間違いが起きて、あちらが手放したくない方の娘が来ているのだろう。

 後になって「間違っていたからその娘を返せ」などと言われても、絶対に返さないぞ! 絶対にだ!




 ひとしきり喜んでから、俺はふと、さっきのばあやの言葉を思い出していた。

 たしかあの女の子が[竜の目]に触ってしまうところだった、と。それからばあやは続けてこう言っていた。


『もし呪いを解く条件が「好きになった相手と結ばれること」だとしたら……厄介なことになると思って、止めたのですよ』


 厄介とは何だ、と俺は聞いた。するとばあやは急に声を小さくして、


『これは仮定の話ですが、もしあのお嬢さんに……心に決めた人がいる場合、石を触ってしまったら、そちらの人と結婚しなくてはならなくなりますから――』


 と、ほとんどささやくような声で答えた。


 そんなことはないだろうと思って聞き流していたのだが……。

 冷静になって考えたら、そういうこともあるような気がしてきた。


 しかし他に好きな男がいるのなら、こんなところまで来るわけが……いや、親父に脅されているから来るだろうな。

 あんなに頬が赤かったのは、あれはどう考えても俺を意識していたからでは……いや、熱があったら顔は赤くなるかもしれない……。


 俺は胸にモヤモヤしたものが広がっていくのを感じた。

 吐き気がするような、気分が悪いような。


 頭が痛くて考えがまとまらない。これも寝不足のせいなのか?




 俺はイライラした。そうでなくても眠れないのにますます目が覚めてしまった。このままベッドに入っても身体が休まる気がしない。

 湧き上がる感情に任せて俺は廊下を歩くことにした。

 まるで変質者だ。人間、眠れない夜が何か月も続けばおかしくもなるのだ。


 カツン、カツンとリズムよく靴音を響かせて歩き回る。

 何週目だろうか、誰も起きてこないと思っていたのに、どこかの部屋の扉が開いたのは。


 俺はうんざりした。

 誰かはわからないが、おそらく廊下をグルグル歩く理由を聞いてくるに違いない。

 どうして自分自身の奇行の説明をしなければならないんだ!

 謎の怒りに突き動かされて俺は声を出した。

 

「何をしている?」


 本来そう聞かれるべきなのはこちらの方なのだが、機先を制すというやつだ。

 声に驚いて振り返ったのは――先ほど見た女の子だった。


 寝ていたのか、髪を横に流している。目を見開いた表情も非常に美しく、俺の乾いた目に染みるようだった。少し湿った髪とほんのり上気した頬。風呂上りの良い匂いがする。もっとしっかり嗅いでみたい。

 まさに変質者だ。


 しかしこれは俺がおかしいのではない。こんな美人が近くにいて何も思わない方がどうかしている。


 時間にしたら一秒かそこらでそんなことを考えて、とりあえず彼女と話をしようと無理やり部屋に入った。

 自分で言うのも何だが、かなり無理があったと自覚している。


 彼女は少し戸惑っているように見えた。しかし何も言わなかった。


 俺のことを何とも思っていない女性であれば、叫んだり殴ったりして部屋から叩き出しているはずだ。

 ということは……。


 やっぱり彼女は俺に気があるんだな?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る