第13話 誰があなたに



「あー! ここねっ!!」


 部屋中に、耳が痛くなるほどの甲高い声が響く。

 開いた扉の先に十歳前後の可愛らしい女の子が顔を赤くして立っていた。走って来たのか、息が乱れて金髪のツインテールがピコピコと動く。

 フリルがたくさんついたかわいいピンクのドレスは彼女くらいの年齢の子には良く似合っていた。


 私があの年齢の頃にはお母様の具合が大分悪くなっていたから、着るものに気を使うどころではなかった。だからこんな女の子を見ると、どうしても羨ましくなってしまう。


「あなたね!? エルドお兄様の!!」


 部屋の中に入ってきたツインテールの女の子が、私に向かって指をさしている。


「え? 私?」


 私が何かしてしまったのだろうか。

 そしてエルドというのは誰なの。

 ひょっとして若旦那様のお名前「エドアルド」の愛称なのかしら。だとしたらこの女の子は若旦那様の妹ということになる。

 その妹様はなぜか怒ったように私をキッと睨みつけていた。


 ど、どうして怒っているの……? 初対面なのに……。


 妹様はようやく呼吸が落ち着いたらしく、私を睨んだまま口を開く。


「王都から来たというだけで特別扱いなんて、バッカみたい。あなたなんか」

「フラヴィア」


 凍り付くような低い声が響いた。いつの間にか部屋に入っていた若旦那様が、とても冷たい目で女の子を見ている。


「それ以上何か言えば叩き出すぞ」


 若旦那様の怒気をはらんだ声に、フラヴィアと呼ばれた妹様は顔をしかめた。私もこんな若旦那様の声は聞いたことがなかったので、少し怖くなってきた。

 妹様……フラヴィア様はイライラしているように見える。


「どうして? ……心配してあげているのに。もし財産狙いだったら」

「それはお前だろう」


 瞳に冷気をまとった若旦那様に対して、フラヴィア様が激しく反応する。


「わたくしは違うわ! なぜそんなことを言うの!」

「じゃあ石の前に行ってみろ」


 その声にはぞっとするような何かがあった。


「[竜の目]にかなうかどうか……やってみたらどうだ?」


 フラヴィア様は目を見開いて押し黙る。

 若旦那様の言葉はフラヴィア様にとって何か決定的な効力があったらしい。


 今までよりさらにすごい目で私を睨んだ後、フラヴィア様はドンドンと足を踏み鳴らして部屋を出て行った。




「……大丈夫ですかな?」


 部屋の扉をぼうっと眺めていたら、ジルさんが私の顔を覗き込んでいた。

 フラヴィア様を見ていただけで疲れてしまったようだ。私は大丈夫と答える代わりに小さくうなずいた。


「ジルさん、さっきの[竜の目]とは何でしょう」

「ああ、応接間にあった黄色い石のことですよ。坊ちゃまが掘り出された古代竜の目玉……竜族の目は死んだ後にあのようになるのです。魔力の塊とも、魂が封じられているとも言われておりますが、ベスフィーオ家にとっては守り神のようなものになろうかと」


 私の質問に淀みなく答えてくれたジルさんは、やはり研究者なのだと感心する。

 とても興味をひかれる言葉に私は心が浮き立つのを感じた。


「その、守り神というのは?」

「あの石の近くに……そうですなあ、ベスフィーオ家にとって良くない者が近づいたら、攻撃されるのです」

「えっ」


 守り神が直接攻撃をするなんて、ちょっと想像していなかった。「大切にするとベスフィーオ家に良いことが起こる」くらいの寓話的な効果だと思っていたのに。

 それに、近づいた人がどんなことを考えているのか、どうしてわかる……。


 ――あっ。

 前に、私はあの石に近づいたことがあった。

 応接間であの宝石がチカっと光って……。


「お嬢さんは[竜の目]のすぐ近くまで行くことができたと聞きましたぞ」


 ジルさんは子供のように輝く瞳を私に向ける。


 ああ、だから皆「大事なものに近づいた怪しい人間」という目で私を見ていなかったのだ。あの宝石によって「ベスフィーオ領にとって害にはならない」と判断されたから。


 私はまるで「ここにいてもいい」と言われたように思えて、とても嬉しかった。何をしても私の存在を認めてくれない人もいるというのに……。

 胸のあたりがホワホワしたもので満たされていくのを感じる。




「じいや、話は終わったか。彼女に話があるんだが」


 若旦那様の硬い声に顔を上げると、彼は扉の近くから部屋の中ほどに移動してきていた。


「すまなかった。フラヴィアは母方の叔父の末娘で、俺の従姉妹にあたる者だ。甘やかされているものだからつつしみというものを知らなくて」


 フラヴィア様は若旦那様の妹ではなかった。従姉妹に兄と呼ばせているのかと私は驚いたけれど、それよりも若旦那様が肩を落として落ち込んでいるほうが気になった。

『すまなかった』という言葉も引っかかる。


「あの、若旦那様が私に謝る必要はないかと……」


 そう言った次の瞬間、信じられないことに若旦那様は私のすぐ近くにいた。


 そんな!?

 いつ動いたというの。

 ここのお屋敷の方々は歩くのがとても速い……のかしら。


 驚きのあまり若旦那様を見つめている私に、彼の空色の瞳が冷静な視線を返してくる。


「俺の名はエルアルドという」

「は、はい、存じております」

「では、そう呼んでくれないか」


 この人は何を言い出すのだろう。そんなのおかしいわ。


「いいえ、私は借金を返すために来ているのですから」


 若旦那様の顔にピリッとした何かが走ったように見えた。


「……誰がそんなことを?」


 今までよりも一段と低い声だったせいか、それとも若旦那様の目が怒りの光を放っているように見えたからか。

 私はその質問を恐ろしいと感じていた。


「そういえば……ばあやの報告にもあったな。あなたが借金がどうとか言っていたと」


 私を見る若旦那様の瞳の奥にある光は、あの応接間の宝石の輝きに似ていた。


 ――考えては、いけない。


 そんな声が頭の中にグルグルと回って大きくなる。


「誰があなたに金を返せと言ったのだ?」


 若旦那様の声に答えるように、あの日に投げつけられた言葉が脳裏によみがえってきた。


『アンタがルチアナになって借金を返してくるんだ』

『アンタが……借金を返してくるんだ』

『借金を返してくるんだ』


 ……あれは、ワルヴァが言っていた……。



 私は頭に強い痛みを感じて、目の前が真っ暗になった。

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