第11話 三日目の夜



 しっかり勉強をして疲れたから、今夜はよく眠れそう……と思っていたら、この日も若旦那様は私の部屋へやってきた。


「…………」


 もはや何を言っても拒める気がしないので、私は黙って迎え入れることにする。

 でもなんだか若旦那様の様子がおかしい。扉の側から動かないし、私の顔をチラチラと見て何か言いたそうに口を開いたり閉じたりしている。


 顔に何かついているのかしら。さっきお風呂に入ったばかりなのに……。私は恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じて、それを隠すためにうつむいた。


「……すまなかった」


 小さな声で若旦那様がつぶやくのが聞こえた。なぜ謝るのか不思議になって顔を上げると、とてもまっすぐな空色の瞳が私に向けられていた。


「あなたがソファで寝ていたとばあやから聞いた。俺がベッドを占領したからだと、ばあやは言っていたが……あなたは」


 私は今朝バルバラさんが『厳しく言っておきますから』と話していたのを思い出して、心の中で彼女に感謝した。

 これできっと自分の部屋で寝てくださるはずだわ。


 若旦那様の瞳の中にゆらりとした光があるのに私は気がついた。魔法ランプの光が反射しているようにも見える。


「……俺のことが嫌いか」


 突然思ってもみなかったことを聞かれて、私は慌てて首を横にぶんぶん振った。

 普通に考えて若旦那様を嫌いになる人がいるとは思えなかった。少し変わっているけれど意地悪ではないし、所作に育ちの良さがにじみ出ているもの。


「他に……好きな男がいるのか」

「へっ?」


 再び予想外の質問を受けて、私は思わず変な声を出してしまった。今まで私の側にいた男性はお父様を除けばお爺さんばかりだったから、好きというよりも親しみを感じていると言った方がいいのかしら……。


 若旦那様の目が険しさを増している。早く答えろと思っているのだろう。


「い、いません」

「そうか」


 今までの険しい顔はどこへ行ったのか、ふわっと若旦那様の顔がほころぶ。

 つられて私も笑ってしまいそうな良い笑顔だった。 


「ここのベッドは職人の特別製で、普通のより幅が広くなっているんだ」

「……は、い?」


 何かしら、魔道具だけではなくベッドも特産、というお話なのかしら?


「だから二人でも使える」

「えっ……」


 何を言っているのこの人。

 そ、そ、そんな、結婚していない男女が同じベッドに寝るなんて、そんなはしたない、そんな……。

 心臓の音が耳から聞こえてくるようだ。私の顔は熱くなりすぎて湯気が出そうだった。


「だ、だめです。結婚前の人がそんなこと」

「そこを曲げて頼む」


 ええっ、曲がるの!? 曲げてしまっていいの?

 私が混乱している間に、若旦那様は昨晩と同じように私の手を取っていた。


「頼む、一緒に……」


 若旦那様は大真面目な顔をグイグイ近づけて来る。この人に『頼む』と言われたら私に断ることなどできるはずがないのに。


「あなたが一緒にいてくれたら、眠れるんだ」


 今までは一緒のベッドに入らなくても、若旦那様は眠っていたような……。

 なぜかそれを言える雰囲気ではなく、私は若旦那様の勢いに押されるようにしてベッドまで行くことになった。



#########



 このお屋敷に来て以来毎日のように見ている若旦那様の寝顔を眺めて、私は小さくあくびをする。

 若旦那様は昨日と同じようにベッドに着くなり眠ってしまった。


 最初にお会いした時よりも顔色がずいぶん良くなっている。今までそんなに意識していなかったけれど、眠ることは人にとって大事なことなのだろう。


 ……実は若旦那様に「一緒に」と言われた時、私は嫌だと思わなかった。

 あのドキドキする感じは不快なドキドキとは違っていた。


 それにしても、若旦那様はどうしていきなり眠れるようになったのかしら。最初の日にあの宝石の呪いで眠れなくなったと聞いたけれど、その呪いが解けたということなの?


 若旦那様は偶然私のいる時に眠れたものだから、前のように眠れなくなるのが嫌で私の部屋に来ているだけなのだと思う。ゲン担ぎと同じ感覚だろう。


 そう――決して若旦那様が私に好意を持っているからここに来ているわけではないのだ。勘違いをしてはいけない。私は強く手を握りしめて自分を戒めた。

 血のつながったお父様にすら愛されなかった私のことを、他人が好きになるわけがないのだから。

 少しでも期待してしまったら、もっと苦しい思いをすることになる。


 けれど、少なくとも若旦那様が私のことをさげすんでいるようには見えなかった。私がここに来た理由を知っているのなら、もっとあなどるような態度をしてもおかしくはないのに。

 思い返せば若旦那様だけでなく、ここの家にいる人たちは私に対してとても暖かく接してくれた。それが私にはとても嬉しくて……ありがたかった。


 ……それでも、客観的に見てあの宝石の周りでうろうろしていた私に何も言わないのはおかしいと思う。

 たとえ触ったら呪われるのだとしても、大切なものには変わりないはずだわ……。


 横になってあれこれと考えていたら、私はいつの間にか眠ってしまっていた。

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