セイのお気楽スローライフ ~賢者の知識と現代グッズを携えて~

愛七ひろ

第一章、現代日本編

1-1.空から美少女が落ちてきた。


 空から美少女が落ちてきた。


 一瞬妄想かと思ったけど、困った事にこれはリアルだ。


 パラシュートでも使っているようなゆったりとした落下速度だけど、場所が悪い。

 オレは持っていた釣り竿を投げ捨て、ジャバジャバと音を立てて渓流に踏み込んだ。渓流とはいえ、場所によっては腰くらいの深さがある。意識のない彼女が落水したら、溺れかねない。


 ズボンに浸み込む水が冷たい。

 秋とはいえ、風邪をひいてしまいそうだ。


 そんな事を考えている間に、少女の真下へと辿り着いた。

 今さらだけど、魔法少女風魔法使いといった不思議なファッションをしている。現代日本でコスプレイヤー以外でこんな格好をしている人間を見たのは初めてだ。

 まあ、空からゆっくりと落ちてくる人間に会ったのも初めてだけどさ。


 ふわりと羽根のような感触で、緋色の髪の美少女を受け止める。睫毛が長い。芸能界でも滅多にいないような美形だ。日本人と北欧美人の中間のような容貌をしている。

 オレはそのまま重さを感じさせない彼女を、お姫様抱っこで川岸へと運ぶ。


『あなたはだぁれ?』


 知らない言葉に視線を向けると、はしばみ色の瞳がオレを見上げていた。思慮深さを感じる吸い込まれそうな瞳だ。


「もう少し我慢してくれ、すぐに下ろす」

『ああ、川に落ちそうなところを助けてくれたのね。ありがとう、佳き人』

「どういたしまして」


 言葉はわからないけど、なんとなくお礼を言われた気がしたので、そう言っておいた。


 綺麗な岩の上に彼女を下ろす。

 彼女のたおやかな両の掌がオレの頬を挟んだ。


「何を」


 彼女の顔が近づいてくる。


 ――キス?


 魔法使いまであと三年にして、ついに? しかも、こんな美少女と?


 パニックだ。

 我ながら情けない。

 どうしていいか分からずに、オレはぎゅっと目を閉じる。


 柔らかな感触。それは額からだ。


 ちょっとの安堵と大きな落胆に包まれながら、オレは目を開けた。

 彼女の美貌が目に入り、額同士を合わせている事に気付き、至近距離で目が合った。


 ――綺麗だ。


 凡庸な感想の直後、それは来た。


 頭が内側から破裂しそうな情報の濁流。古今東西の魔法や魔術の基本から秘奥まで、錬金術や魔法工学、神学、精霊術、工学、建築学、社交に権謀術数ありとあらゆる専門知識が脈絡なく流れ込んできたのだ。


 オレは知識の濁流に呑み込まれないように、必死で足掻く。


 それは爪楊枝で風車に挑むような無謀な試みだったと、すぐに気づかされた。





『お師匠様、世界は一つしかないの?』


 オレの意識が濁流に呑み込まれそうになった時、幼い女の子の声が聞こえた。


『たくさんあるぞ、それこそ星の数ほどあるそうだ』

『すごーい』


 知らない言葉なのに、何を言っているか分かる。


『あたしも大きくなったら、いっぱい世界を旅する!』

『そうかそうか、ならばもっと勉強せねばならぬぞ』

『はい! お師匠様!』


 お爺さんお師匠様の言葉に、女の子が勢いよく頷いた。


『お師匠様、魔法書を全て覚えました!』

『偉いぞ、次は精霊達との契約だ』


『お師匠様、聞いて下さい! ついに精霊王と契約できたんです!』

『ほう、さすがはワシの弟子じゃ』


 オレは美少女の人生が走馬灯のように流れるのを見つめ続ける事で、己を保った。

 石に引っかかった木の葉のように、情報の奔流に押し流されまいとしがみ続けたのだ。


『お師匠様! 目を開けてください』


 場面が変わった。

 女の子が成長して、空から落ちてきた美少女の姿になっている。


『泣いてはいけないよ。わしは我が神の御許に旅立つだけだ』

『行かないで、お師匠様。わたしはまだまだお師匠様から学びたいんだから!』

『いいや、もう学ぶ事は残っていないよ。わしの愛しい弟子――いいや、次代の賢者よ』


 美少女が身罷る老賢者にしがみついて号泣する。

 また場面が変わった。


『賢者様、どうか魔王を討伐する為、御力をお貸しください』

『こんにちは、今代の勇者。わたしが与えるのは知恵だけ、それで良ければ力を貸しましょう』


 泣きはらしていた少女のはかなさはもうない。


『賢者様、国の行く末にお知恵を――』

『賢者様、荒れ地に麦を植えるにはどのようにすれば――』


 新たなる賢者として風格を備え、教えを請う王や為政者達に、己の知識を惜しみなく与えた。


『賢者様、国を豊かにする知恵を――』

『賢者、蛮族を打ち払う知恵を貸せ』

『賢者様、どうか亡国の民にお力添えを――』


 幾つもの国が栄え、己の欲望で滅んでは、また興っていく。

 異なる世界でも、人の営みは大きく違わない。


『大賢者様、どうか私めを弟子に』


 弟子が増え――。


『大賢者、現人神よ、我らの諍いに知恵を貸したまえ』


 ついには、神々までが美少女――大賢者に頼るようになった。


『どうしても行かれるのですか?』

『ええ、この世界で得られる知識は全て修めたわ』


『ですが、この世界にはあなたが必要です。叡智の大賢者様』

『そんな気弱な事を言わないで、あなた達には必要な知識を与えたわ』


『まだまだ学び足りません』

『それなら今度は人々に、世界に学びなさい』


 若いままの美少女が、自分よりも年嵩に見える弟子達を慈愛の目で見回す。


『それでも足りないなら、わたしが世界中に残した塔を訪れなさい』


 脳裏に白い塔が過った。


『そこには知恵を残してきました。あなた達にはまだ早い知識です』


 都市を一瞬で焼き払い、無から大都市を生み出し、世界を渡るような、常識から逸脱した力――。


『番人が出す試練を乗り越えなさい。そうすれば番人が守る知識を得る事ができるわ』


 多彩な番人が脳裏に映る。

 精霊、神獣、ホムンクルス、ゴーレム、竜、悪魔、そして神の一柱まで。


『それじゃ行くわ』

『『『大賢者様の仰せのままに』』』


 弟子達が美少女の前にひれ伏す。


 その態度に、ほんの少しだけ、美少女の心がチクリと痛んだ。

 いつしか、彼女の事を名前で呼ぶ者はなく、何百年も経つうちに彼女も自分の名前を忘れてしまった。崇める者は数多いたが、友人と呼べる気安い存在は半世紀以上前まで遡らなければいけないほどだ。


『子を産み育て、継承して行きなさい』


 それは彼女にはできなかった事の一つ。

 平凡な家庭は持てなかった。


『また、ね』


 寂しそうな笑顔で、美少女が光の門を潜る。

 オレの視界が真っ白になり、いつしか意識を失っていた。




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【あとがき】

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※拙作「デスマーチからはじまる異世界狂想曲」の漫画版15巻とスピンオフ漫画2巻が3/9に発売予定です。こちらもよろしくお願いいたします。


※※※ご注意ください!※※※

 本作は一話当たり2000文字から3000文字の縛りで書いております。

 一話当たりの文字数及び物語の進捗速度に関する要望ご意見は受け付けておりません。

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