英雄を目指して
今日も今日とて行き慣れた道を進み、森の中を最短距離で歩いていく。
以前は手に絡んで鬱陶しかった道草も、今は膝元で静かに揺れている。
あれから四年、俺の魔術の腕は確実に進化した。
ラファールの技を殆ど再現し、繰り返すことで今や自分の思うままに使いこなせるようになった。
回復魔術の方も中級・上級まで習得し、アウレラからも「もう教えることはない」と太鼓判を押された。
だが、進化しているのは何も俺だけじゃない。
「ごめん! 遅くなって!」
反対側の茂みから見慣れた顔が鼓動を早めてやって来る。
背丈は俺の肩よりも高くなり、その体つきは華奢かつ強健。これまでの彼女の努力はしっかりと体に反映されている。
昔は短く切り揃えられていた髪も、今はすっかり膨らんだ胸元で黄金に輝いている。
「俺も今来たところだよ。それより、さっさと始めようぜ」
「アル、なんだかやる気満々だね」
「昨日負けたからな。今日は絶対俺が勝つぞ、ルルフィ!」
「ふふん、私も負けないよ!」
互いに距離を開け、地面に刻まれた線の上に立つ。
やることは至ってシンプル。
大盾を構えるルルフィに向かって魔術を放ち、時間内にルルフィを後ろの線まで押し出せば俺の勝ち。耐え切ればルルフィの勝ち。
いつもやってることだからこそ、この勝敗で俺たちは自分の成長を感じ取る。
「行くぞ!」
「うん!」
こうして、俺たちの訓練は始まるのだ。
* * *
一通りの訓練を終え、二人で木陰に入って休憩を取っていると、ルルフィが唐突に口を開く。
「ねぇ。アルってもう十歳になってるよね?」
「ん? あぁ、そうだけど」
ちなみにルルフィは俺の一つ上、つまり十一歳だ。初対面の印象では年下かと思っていたが、まさかの年上だと知った時は正直驚いた。
「けど、それがどうかしたのか?」
「アルは魔術学院に行ったりするのかなぁ……って思って」
「魔術学院?」
何だそれ?
聞いたことがない名前に首を傾げると、ルルフィが意外そうな表情を浮かべる。
「知らない? 『ユニバ魔術学院』って言ってね。英雄様も通ったって言うくらいすごい所なんだよ」
「すごいって、具体的に何が?」
そう聞くと、ルルフィはさも当たり前のことのように答えてくれた。
「魔術を学ぶなら大陸一だって言われてるくらい、魔術に関する知識が集まってるんだよ。それに商学や歴史、剣術とかも学べるみたい」
「へぇ〜、行ってみたいな」
正直このまま独学で訓練を続けていてもすぐに成長の限界が来る。そう思えるくらいには、積み上げれるものは片っ端から積み上げた。そろそろ次のステップへ進む時なのかもしれない。
それに何よりも、外の世界についての興味が絶えないのだ。
「……やっぱり、アルも行くんだね」
「ルルフィは行かないのか?」
この話を持ち出したのだから、てっきり魔術学院に興味があるのかと思ったが、彼女は首を横に振った。
「魔術学院に入りたいって、毎年沢山の希望者が集まるんだけど、そのほとんどは試験で落とされるみたい。アルはともかく私じゃ無理だよ」
今日の負けが堪えたのだろうか、しゅんとした態度で顔を伏せるルルフィ。
何か気の利いた言葉を掛けてあげたいが、魔術学院の試験がどれ程のレベルか分からない以上、下手なことは言えなかった。
「まぁ俺もまだ行くと決めた訳じゃないし、一度じっくり考えた方がいいかもな」
「……うん、そうだね」
そうしてその日はお開きとなり、各々が魔術学院について頭を悩ませながら帰路に着くこととなった。
* * *
「ただいまー」
どうやって話をどう切り出そうかと考えていると、アウレラが台所から顔を覗かせてきた。
「おかえり、アル。待っててね、もうすぐ支度が終わるから」
そうして台所に立つ献身的な姿に心が痛む。
この家が裕福ではないことは分かっている。
もちろん必要となる学費は自分で稼ぐつもりだが、入学費用や学院への移動費に関しては今の俺では工面するのが難しい。それをどうやって支援してもらおうかと色々考えていたのだが……。
「どうしたの、アル?」
「あっ! いやっ、えっと…………」
何か返事をしないと余計に怪しまれることは分かっているのだが、どうも言葉に詰まってしまう。
「……ごめんなさいね。我慢をさせてしまって」
「え?」
アウレラは腰を落とし、俺の目線に顔を合わせる。
「あなたもわかっていると思うけど、うちはあまり裕福とは言えないわ」
「けど、少しくらいは我儘を言っていいのよ。アルは私たちの大切な家族なんだから」
そう言って、アウレラはいつもの優しい笑顔を見せる。
「読まれた」というより、最初からバレていたのだろう。
別に無理をしてたわけではないが、家のことを考えて極力不満は漏らさないようにしていた。
確かに前世の俺なら、このくらい年齢の時はもう少し親に迷惑をかけていたような気がする。
肉体に不釣り合いな今の精神状態が完全に裏目に出てしまった。
『……バレてしまっている以上、正直に話した方がいいな』
俺は今日のルルフィとの会話で生まれた我儘を打ち明けることにした。
* * *
「――ってことがあってさ、その魔術学院に行ってみたいなと思って」
「……そう」
一通りの説明を終えるとアウレラは立ち上がり、戸棚を開けて何かを探し始めた。
しばらくして戻ってきたアウレラの手には確かな重量を感じさせる袋が握られていた。
「これはね、アルのためにお父さんと一緒に貯めておいたお金よ」
「えっ?」
そんな素振りは今まで見せていなかったので、予想外の話に意表をつかれる。
「あなたが生まれてすぐ魔術を使えるようになったのを見て、二人で思ったの。『この子はきっとすごい魔術師になる』って」
「だから、そんなあなたが将来自分の進むべき道を見つけた時、私たちがきちんと送り出してあげられるようにこうやって貯めておいたのよ」
アウレラはその袋を俺に差し出す。
「行ってきなさい、アル。お母さん、応援してるから」
袋を受け取った瞬間、アウレラとハイリス、二人のこれまでの努力が俺の身体に期待となってのしかかってくる。
だがこの重さを受け入れずして、俺にこの袋を受け取る資格はないのだ。
「――分かった。ありがとう、お母さん」
俺はこのお金でこの家を出て魔術学院の試験を通過し、その門を叩く。
最初は「新しいステップに進みたい」という俺自身の我儘から始まった進路だが、今は違う。
俺は注いでもらった愛情に応えるために魔術を学ぶ。魔術を学び、それを活かして金を稼ぎ、この家を豊かにする。
俺が二人にとってのヒーローに……いや、言い方が正しくなかった。
俺達のヒーローはこの世界にはいない。彼らという光はあの世界だけのものなのだ。
なら、俺がこの世界で目指すべきなのは......。
――まるでお話に出てくる英雄様みたいだった!
そう、
『俺が、二人にとっての英雄になってみせる』
そしていつかは、あの日夢見たヒーローに。
具体的なプランは何一つない世間知らずの俺だが、その決意だけは決して揺るがなかった。
* * *
「ということで、魔術学院の試験を受けることにした」
次の日の訓練で、情報源であるルルフィに俺はそう伝えた。
すると、ルルフィはいつもより気の乗った様子で口を開く。
「――なら、私も受ける!」
「いいのか? 別に無理して合わせなくても……」
そこから先は、彼女の瞳の輝きによって遮られた。
「ううん、無理してるわけじゃないよ」
ルルフィは自身の掌、無数のマメで硬くなった皮膚を見つめる。
「今の私のままじゃ、憧れの人にはまだまだ遠い。だからもっと努力して、もっと力を付けないとけないの」
ルルフィの瞳は光影が激しく入り混じり、どこか引き込まれそうになるような迫力を感じさせる。
「もしユニバ魔術学院で学ぶことが出来れば、私は私の憧れに一歩近づける。そう思うんだ」
詳しいことはよく知らないが、ルルフィにはルルフィなりの覚悟がある。それだけは分かった。
「よし、じゃあ行くか! 一緒に!」
「うん!」
俺の突き出した拳にルルフィの拳がぶつかり、コンと音が鳴る。
これは、俺たちにとっての決意のゴング。
お互いの夢や目標へ向けて挑みかかる、戦いのゴングなのだ。
「……ところで、さっきから言ってる『憧れの人』って、一体誰のことだ?」
そう聞くとルルフィは顔を赤らめ、先ほどの威勢はどこへやらといった様子で「……内緒」と一言呟くのだった。
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