裏アカ女子、アマビエちゃん ✨

木村直輝

前編

 朝起きたら、私はアマビエになっていた――。


     ✨


 私には、誰にも言えない秘密がある。

 と言っても、大した秘密じゃない。

 私は“裏アカ女子”にあこがれている。

 裏アカって言うのは『裏アカウント』の略で、ツイッターとかインスタグラムで普段の友達とか知り合いと交流するような表のアカウントとは別に使ってるアカウント、つまり裏のアカウントのことだ。

 それくらいなら私も持ってる。でも、私があこがれてる“裏アカ女子”っていうのは、みんなには隠れて愚痴を吐いたり、普段のイメージとはちょっと違うようなオタク趣味とかについて喋ったりするような可愛いものじゃない。もっとディープなやつだ。

 ツイッターとかでもちょっと検索ワードを選んで検索すれば、簡単に見つけることができる。自分のおっぱいとか太ももとかをスマホで撮った、エッチな自撮りを上げてる女の子たち……。中には顔や、口に出すのも恥ずかしいようなものを上げてる女の子たちまでいる。

 私はそれに、ひそかにあこがれているのだ。

 別に、エッチなことがしたいわけじゃない。そういうんじゃないんだ。むしろ、ツイッターで夜な夜なそういうアカウントを見てて、気持ち悪いと思うことだってある。

 でも……。彼女たちはみんなからちやほやされてる。ちょっと風邪を引いたり、体調が悪いって言うと、リプがいくつもついて心配してくれたり、アマゾンの欲しいものリストを公開して、会ったこともない人からプレゼントを貰ったりしてる人までいる。

 そういうのを見てると、いいなって、思ってしまう……。

 学校じゃ、誰からも見向きもされない大人しいネクラ女子の私には、そんな裏の世界でちやほやされてる女の子たちがキラキラして見えるんだ。アイドルとか女優みたいな遠くの存在じゃなくて、もっと近くて、自分でもそこに届きそうな、そんな彼女たちが、私にはとてもキラキラして見える……。

 私も何度か自撮りしてみようかと思ったことはある。でも、恥ずかしいのと馬鹿らしいのとで、結局撮ったことはない。

 だってそうだ。裏アカの女の子たちは、女子の私から見ても思わず見とれちゃうような、ドキドキしちゃうような体の子がいっぱいいる。確かに加工したり、上手く角度とかを調節してたりするんだろうけど、私にそんな技術はないし、もとの体もない。だらしなくて不細工な体があるだけだ。そんな私が自撮りなんて馬鹿らしい。

 そんな風に、夜な夜なキラキラした裏アカ女子たちを眺めては、もんもんとする日々を送っていた私だった。

 私だったんだけど……。

 ある朝起きたら、私はアマビエになっていた――。


     ✨


 幸い、すぐ元に戻った。

 夢だったのかなと思った。

 顔を洗っても、歯を磨いても、水を飲んでも、その後私はアマビエになることはなかったし、あれは夢だったんだと、そう思った。

 そう思ってお風呂に入って私は絶望した。

 シャワーを浴びたら、私はアマビエになっていた。

 そんな馬鹿な話があるだろうか? どうやら私はある程度水に濡れるとアマビエになってしまう体になってしまったらしい。それじゃあ朝は何で布団の中でアマビエになってたのかは全くわからないけれど、とにかくとりあえず、私はある程度水に濡れるとアマビエになるということだけがわかった。

 わかったけれどもわからない。いったいなぜ?

 そもそもアマビエとはなんなのか、私もよく知らない。ツイッターでたまたま流れてきたのを見ただけで、そのビジュアルと、それが疫病えきびょうに効く妖怪だということくらいしか私は知らなかった。新型コロナウイルスの流行で、アマビエがちょっとしたトレンドになったらしい。

 足まで伸びる長い髪の毛、鳥みたいな顔、うろこに覆われた体、三本の足。簡単に言うと、それがアマビエの姿だ。

 布団の中でいつもとは違う形でもんもんとしてた私は、そこでふと、妙案を思いついた。

 私は決めた。外出自粛、と耳にタコができるくらい言われてるご時世だけど、明日はちょっとだけ外出しようと!


     ✨


 私は電車に乗って、四駅ほど離れたちょっぴり遠くの町まで来ていた。

 万が一のことを考えて、ちょっと遠くまで来ておいたのだ。運よく電車の中はいてたし、あれならコロナがうつることもないだろう。普段はソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のことばかり考えてる私だけど、さすがにこんな状況だとソーシャルディスタンスのことも少しは考えてしまうのだ。あっ、私今、うまいこと言った? これツイートしたらバズるかな?

 いつも電車の窓から見るだけの知らない土地に降り立った私は、さっそくそれなりと人通りのある駅前を離れ、人気ひとけのない住宅地に足を踏み入れる。

「おい、ちゃんととれよー!」

「ごめーん!」

 獲物を探す私の耳に、無邪気で可愛らしい男の子たちの声が聞こえた。

 見てみると、行き止まりの道路で、小学校中学年くらいの男の子たち三人がボール遊びをしている。学校も休校になってだいぶ経つし、流石に毎日家の中にいるのも飽きてしまうんだろう。今時の子供たちはそれでも、家でライン通話でもしながらゲームとかして遊んでるのかなと思ってたけど、ああいう子たちもいるんだなと私はなんだか感慨深い気持ちになった。

 ボールを使ってよくわからない遊びをしている男の子たちの距離は、よく見ると二メートル以上離れてる。案外、大人たちよりもソーシャルディスタンスに気を使って遊んでいるのかもしれない。……これはバズるかな?

 私は辺りを見回す。行き止まりなこともあってか、周囲に人通りはない。行き止まりなら彼らの逃げ場もない。完璧だ。

 私はさっそく電柱の陰でハンドバックからペットボトルを取り出すと、中に入れてきた水を思いっきり頭からかぶった。すると私はたちまちアマビエになっていた。

 それじゃあ、レッツゴーだ!

「おい、そこの子供たち」

 声色を作った私の声に、ボール遊びをしてた男の子たちが一斉に振り向く。

「……」

「……っあ、っあ」

「……やべー。犯罪者だ! 通報しないと」

「ちょっと待ちなさい!」

 一人だけ冷静にスマホを取り出す男の子を私は慌てて止める。よかった。スマホを持ってる。

「私は犯罪者ではない。アマビエだ」

「アマエビ? 俺、マグロの方が好きだ!」

「アマエビではない。アマビエだ。……てか、マグロが好きって可愛いな。なんか小学生っぽい」

「はっ?! かっ、関係ないだろ! マグロが好きで何が悪いんだよ! つーか、マグロ好きな大人もいるし! そんな偏見持ってるから、変なコスプレして子供に話しかけるような犯罪者になっちゃうんだろ!」

「ごっ、ごめんなさい……」

 私は彼より年上のお姉さんのはずなのに、理路整然とした反論に返す言葉もなくこうべを垂れた。普通に恥ずかしくなってきた……。

「……ねっ。ねぇ、ケンちゃん」

「なんだよサトシ」

「ぼっ、ぼく、知ってるんだ……」

「はっ? 何をだよ」

「アっ、アマビエだよ……」

「アマビエ? この犯罪者のこと?」

「違うよ、ケンちゃん。アマビエは犯罪者じゃなくて妖怪だよ」

 度重たびかさなる犯罪者扱いを否定しようとした私より早く、サトシと呼ばれた男の子が説明してくれる。

「妖怪?」

「うん。アマビエと言うのは江戸時代後期の肥後国ひごのくに――今の熊本県だね――で目撃された妖怪なんだ。弘化こうか三年の春、海から現れて諸国で豊作になるけど疫病が流行するという予言をし、自分の姿を描いた絵を人々に見せるように言ったと伝えられているんだ」

「へぇー、流石サトシ。妖怪博士!」

「やだなぁ、ケンちゃん。僕はまだ博士号はくしごうは持ってないって、いつも言ってるじゃないかぁ」

 私はサトシ君のボケなのかツッコミなのかわからない発言にツッコミを入れたい気持ちをおさえながら、彼の解説に感心していた。そうだったんだ……。

「じゃあこの犯罪者は、アマビエのコスプレをしてる変態ってこと?」

「ううん。これは本物だよ! だって、この姿は水木しげる先生のイラストそのものだ! パステルカラーのファンシーな色合い……、淡い青緑色の頭髪にピンクがかった体色、うろこもピンクと水色で……。ああ、もう感激だ!」

「はいはい。で、そのアマビエが俺たちになんの用だってんだよ」

 そうだった! まさかの妖怪ガチ勢小学生との遭遇に面食らってしまってた私は、ケンちゃん君の言葉ではっと当初の目的を思い出す。危ない危ない……。

「コっ、コロナが流行ってるのはお前たちも知っているだろう」

「……コロナ。その表現はよくないな。病名ならコヴィド・ナインティーン、ウイルスならサーズ・コヴ・ツーと言うべきだね」

「流石サトシ! 妖怪以外にも詳しいんだな!」

「やだなー、ケンちゃん。僕は医療は専門外だ。外国語の発音もよくわからないし、今のを褒められると恥ずかしいよ……」

 私は予想外の指摘で話の腰を折られ、心まで折れそうになる。最近の小学生って、みんなこうなの? 違うよね? えっ、私、すごいの引いちゃった?

 気を取り直して、私は咳払いをしてから続ける。

「疫病が流行っているのは、君たちも知っているね」

「うん。だからママがあんま人のいるとこには行くなって言ってた」

 ケンちゃん君、お母さんのことママって呼ぶんだ。ちょっと可愛い、という思いを胸にしまったまま、私は本題に入る。

「私の予言では、その疫病はまだしばらく続く。だから、私の写真をそのスマホで撮って、早々にエスエヌエスにアップしなさい」

「サトシの言う通りだ……。しかも、絵を描いて広めるんじゃなくて、写真撮ってエスエヌエスでってところが現代っぽいな! 妖怪も社会に適応してるんだな!」

 さっそく、ケンちゃん君がスマホを構える。よしっ! 計画通り!

 そう、私はこれが狙いだったのだ。

 私のエッチな自撮りなんて大した需要もないだろうし、あったらあったでなんて言うか、そういうのを見せるのも恥ずかしいし、ちょっと怖いけど……。このアマビエの姿ならほくろの位置とかで身バレすることもないだろうし、問題ない。でも、流石に自撮りしても自演とか言われちゃうだろうし、だから誰かに目撃されて写真撮らせてバズって貰おうと思ったんだ。我ながらさえてると思う……。

 そして、ケンちゃん君が私の写真を今まさに撮ろうとしたその時だった。

「まって、ケンちゃん!」

「なんだよ、サトシ」

「やっぱりこの妖怪、バズろうとしてるんだ……」

「どういうことだよ」

「これは僕の仮説なんだけど……。アマビエは『私は海中に住むアマビエと申すものなり』と自己紹介をした後、『これから六年の間、諸国は豊作なり。しかし疫病が流行る。早々に私の絵を描いて人々に見せよ』と言って海中に消えたと伝えられてるんだ」

「うん。それはさっきも聞いたよ」

 ケンちゃん君の言葉にサトシ君は無言でうなずいた後、言った。

「……ちょっと考えてみて欲しいんだ。アマビエは疫病が流行ると言った後に、自分の絵を描いて人々に見せるように言ったけど、別にそうすれば疫病が流行らないとは言ってない。そこに繋がりはないんだ」

「……ふうん。でも、話の流れ的にそういう意味なんじゃない?」

「普通に考えたらね。でも、ちょっと他にも気になることがあるんだ」

「気になること?」

「うん。アマビエと言う妖怪について伝えられてる話はこれだけで、その後具体的にご利益があった話も、他の話も何も伝わってない。でも、似たような特徴の妖怪にアマビコっていうのがいるんだ。昔は手書きだったし、聞き間違いとかも考えたら『エ(ヱ)』と『コ』がどこかで間違って伝わってもおかしくはないとも思うけど……」

「うん」

「なんか、全体的にうさんくさくない? そもそも、これから疫病が流行るけど私の絵を広めれば大丈夫って、その効果を確かめる方法ないし。もともと疫病なんて流行んなかったかもしれないじゃん」

「たしかに、一理ある……」

「しかも、勝手に自己紹介するし、すでに記録がある妖怪の名前と一文字違いとかなんかパチモンっぽいし……。トイレットペーパーが品薄になるってデマを流してアクセス数を稼ぐブロガーみたいじゃない?」

「たしかに……」

 ――えっ、サトシ君? この子、アマビエになんの恨みがあるの? なんか捉え方、酷くない?

「それに……」

「それに?」

「極めつけは見た目!」

「見た目?!」

 私は思わず大きな声を出してしまった。

「色については伝わってなかったから、あれは水木しげる先生の着色ではあったけど、本物がそうだったのを見て余計に思ったよ。なんかぽわんとした可愛い系の色で奇抜な配色! 完全に目立ちたがり屋の色だ!」

「えぇ……」

 ――サトシ君、ひどい……。ほんとに、アマビエになんの恨みがあるの……?

 ……でも、確かに、言われてみれば筋が通ってなくもないようにも思える……。

 てか、私がアマビエになっちゃった理由ってもしかして、それ? “裏アカ女子”にあこがれて、キラキラした女の子になりたかったから? バズりたかったから? えっ、待って……。なんか憶測でしかないけど、ちょっと納得しちゃうんだけど? えっ、何それ……。

 ――めちゃめちゃ、恥ずかしい――。

 もう泣きそうで、顔から湯気が出そうな私に、ケンちゃん君がスマホを向けた。

「ケンちゃん?」

「なんていうか、別によくね? 不安に付け込んで悪いデマ流すのはよくないけど、不安なみんなの心の支えになるならさ、いいんじゃね? 神様とかって、そういうもんだろ?」

「ケンちゃん……」

「だからほら、バズらしてやろうぜ? 人助けだと思ってさ。それぐらい、いいだろ?」

「そうだね。人じゃなくて妖怪だけど、まあ、ケンちゃんがそう言うならいっか」

 ――ケンちゃん君……。てか、私、人だし……。

 私は恥ずかしさと馬鹿らしさと嬉しさと感激でもう泣き出しちゃいそうなのをこらえて、威厳のありそうなそれっぽいポーズをとってみる。

「おー、いい感じ! ハイ、チーズ」

 カシャッとシャッター音が鳴り、アマビエ姿の私の写真が撮られた。

「よーし、さっそくツイッターに上げるぞ。こんなん絶対バズんじゃん!」

「だね。ていうか、もしかしてケンちゃんもバズりたいの?」

「はっ? ちっ、ちげーし……。ん?」

 スマホの画面を見てたケンちゃん君の顔が急に曇る。

「どうしたの?」

 隣で画面をのぞき込んだサトシ君の表情も固まる。

「どっ、どうしたの?」

 私も不安になってケンちゃん君たちの後ろに回り込み、画面の中をのぞきこんだ。

「……」

 そこには、落書きみたいなアマビエのイラストとその背景が描かれていた。絵心がないようにも、これはこれで味があるようにも見える、とにかく独特な絵のタッチだ。背景はちょうどさっき、私を写した時に写るはずの背景に似ている……。

「これは……」

「わかるのか、サトシ?」

「うん。これは、京都大学付属図書館収蔵のアマビエの出現を報じた瓦版かわらばんに実際に描かれていた挿絵だ……」

「瓦版……? 挿絵……?」

「でも、背景だけ違う。これはたぶん、あそこの家だよね?」

「……ヘタクソでわかんないけど、たぶんぽいな」

「うん。ケンちゃん。もう一回撮ってみて」

「おっ、おう」

 カメラを起動するケンちゃん君の前に、私はさっと立つ。

 今度は緊張した空気の中、カシャッというシャッター音が馬鹿に軽快に響いた。

 私たちは再び写真を確認する。

「やっぱりだ……」

 画面にはやっぱり、落書きみたいなアマビエと背景が映っていた。

「……たぶん、アマビエを写真に撮ると、必ずあの瓦版の挿絵風の絵になってしまうんだ……」

「マジかよ……。それじゃあ、バズらないじゃん……」

「うん……、おそらくは……」

 途方に暮れる私たちの耳に、不意にパトカーのサイレンが聞こえてきた。

「ん?」

 そういえば、私が話しかけた時には男の子たちが三人だったのに、気づけば一人足りない……。

 パトカーのサイレンは、だんだんこっちに近づいてくるような気がする……。

「アマビエさん、逃げて!」

「えっ?」

「今、ただでさえ世の中はコヴィデで混乱してるのに、本物の妖怪が警察に逮捕されたら世界は大混乱だよ!」

「たっ、たしかに……」

「だからほら。早く逃げて!」

「ああ。ここは俺たちに任せて、逃げてくれ!」

「うっ、うん……。ありがとう、少年たち!」

 私はそう言うと、清々すがすがしい笑顔で私を送り出す少年たちに背を向けて、その場を後にした。

 空は青かった――。


     ✨

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