3章⑤『未来』

とあるVtuberの話⑤

 夕食後、部屋に女性の研修指導職員が訪れ、私を呼んだ。


 部屋の中で緊張が走る。


「はい。なんでしょうか?」

「話があります。来てください」


 私は廊下で話かと思ったら、研修指導職員は廊下を進んで行く。


「あ、あのう? 話とは?」


 私は研修指導職員の背に向けて問う。


「付いてきてください」


 相手は前を進みながら言う。


 私は渋々、相手の後を追う。

 そして別棟4階の隅にある部屋へ通された。

 その部屋は3畳ほどの小さい部屋で中央にテーブルが一つと椅子が二つだけ。

 椅子は一つが丸椅子。もう一つは背もたれのあるパイプ椅子。


「座って」


 研修指導職員の言葉が荒くなった。


 私が丸椅子に座ると研修指導職員は何も言わずに部屋を出て行った。


 なんなんだろうか。


  ◯


 それから体感で10分くらい待たされてから、先程の女性研修指導職員ではなく、男性研修指導職員とキャリアウーマン風の女性が現れた。


 男性研修指導職員は私から見て左側の壁際に立ち、キャリアウーマン風の女性が対面の席に座る。


 壁に立つ男性指導職員は無表情な四角い顔にがっしりとした体格。ステレオタイプな体育教師のような人。


 対して私の対面に座るキャリアウーマンは肩幅はあるが、腰と脚は細く、髪を後ろで結び、インテリぶった細い赤フレームのメガネをかけ、不機嫌そうな顔した人。いかにも嫌われる女上司。


 白箱。

 それが脳裏によぎった。


 白箱に連れて行かれた者はむりやり内定自主辞退の一筆を書かされると聞く。


 でも、どうして私が?


 いや、一つある。前のイベントに対するダメ出しをアンケートに書いた。そして今日、個人面談があった。しかもその個人面談の担当がそのイベントの責任者だった。


 考えられるとしたら、これが原因なのだろうか。

 しかし、それだけ目をつけられるのか?


「私は人事課の小松と申します。今日、貴女をお呼び出ししたのは意気込みに対して疑問を感じたからです」

「意気込み……ですか?」


 意気込みということはアンケートで書いたイベントのダメ出しとは関係ないのだろうか。

 とりあえず、むりやり内定辞退の一筆を書かされないようにしないと。


「ええ。それでいくつか質問をさせていただきますがよろしいですね?」

「はい」


 否定は出来ない空気なので私は頷くしかなかった。


「今朝のティッシュ配りの件ですが、報告によるいやいやだったのですか?」

「そ、そうではなく、やったことがなかったので……」


 ティッシュ配り。確かにその時、嫌そう顔をしてしまった。それで研修指導職員に目をつけられたのかな。


「やったことがなければ嫌と?」

「いえ、そのイメージといいますか……そのう……」


 何て言えば良いのだろうか。

 そういうことはしたくないが本音だ。

 けど、マイナスなことを言って、窮地に陥りたくはない。


「ティッシュ配りを馬鹿にしていたと?」

「していません」


 私は慌てて否定する。


「ただ、自分にはその……経験といいますか……そのやったことがないですし、苦手だな……と」

「ねえ、貴女は今までどんなバイトを?」

「カフェでウェイトレスを。大学1年から3年までやってました」

「他には?」


 なぜかその反応がどうでもいいという感じだった。


「日雇いでクリスマスケーキやお菓子の箱を作る仕事、あとは電化製品の検品を少々」

「貴女が今までやってきたそれらの仕事は我が社に通用すると?」

「いえ」


 御社は寿司のチェーン店。

 もし店内での接客ならカフェの働きは通用するかもしれないけど私は本社勤務。総合職として内定を取ったのだ。


「つまり本社で働くとなると新しいことだらけなのよね?」

「そうなります」

「だとしたら、やったことがないなら失敗もあるわよね?」

「まあ、はい。必ずしも上手くいくとは限りません」


 新人だからという言葉は言い訳と責められそうなので言わなかった。


「なら苦手になるかもしれませんね」

「かも……しれません」

「かも? どうして? 失敗したんだよ。嬉しくないよね? なら『かも』ではないよね? 失敗は嫌だよね?」

「はい」

「それって、苦手になるであってるよね?」

「……なるかもしれません」

「ということは仕事が嫌になる可能性も高いと?」

「いえ、そうというわけではありません」

「でも、苦手は嫌なんでしょ?」


 なんだろうか。

 頭が重くなる。

 なぜか前へ進もうとしているのが、後ろへと進んでいるようだ。


「……はい。苦手は嫌です。で、でも……」

「でも?」


 人事課の小松さんは苛立ったように聞く。


「…………」

「でも、なんなの? はっきりしてくれない?」


 すぐに答えなくてはと思い、私は頭を働かせて言葉を見繕う。


「失敗するのは嫌ですし、苦手になるかもしれませんけど、いつかは……」

「なら、嫌な仕事を押し付けられても良い顔できる?」


 考えた言葉はすぐに否定される。


「それは……無理です」

「そうよね。でも、社会というのは好きなことが出来るわけではないの。嫌なことも率先してやらないといけないわけ。分かる?」

「はい」


 今、私は何をしているのだろうか。

 いくつか質問があると言われてここへと呼ばれたはず。


「なら、貴女は嫌なことでも率先して出来るわけよね?」

「……それしかないならば……そうなります」

「貴女は商品開発部に入りたいのよね?」

「はい」

「商品開発部が何をするところか知っている?」

「新しい商品を作るところです」

「文字通りの言葉ね。具体的に」


 具体的と言われると困る。


「ええと、資料を作って、皆で……会議室で発表しあって、意見を交換したりして、最後は票で決める……」


 向こうからの相槌がないので私は「ですかね?」と締めくくる。


「それで貴女が考えた商品が選ばれたらどうなる?」

「え? それは嬉しいです」

「嬉しい? それだけ?」


 人事課の小松さんは眉を寄せる。


「責任は取れるの?」

「せ、責任……ですか?」

「社会人なら責任は取れるでしょ?」

「はあ」

「何その返事はイライラするのだけど」


 彼女は声を荒げた。


「すみません」


 私は恐縮して脇を締める。


「責任は?」


 もう一度問われる。


「責任があるなら……取ります」

「どうとるの?」


 すぐに尋ねられた。まるでそれを初めから聞くみたいに。


「どう……とは?」

「だから、貴女はどうやって責任を取るの?」


 人事課の小松さんはテーブルを指先で叩く。


「それは……分かりません」

「分かりません?」


 一際大きな声を彼女は出した。それにはありえないという驚きも含まれていた。


「あのね? 分からないのに責任を取るってのはおかしいよね?」

「…………」


 私が返事に窮すると、彼女はイライラしたように頭を振る。


「どうして考えてないの?」

「私はまだ働いて……」

「働いてから考えるの?」


 何その考えはという彼女は驚きと馬鹿馬鹿しいみたいな顔をする。


「まだ入社もしておりませんし」

「貴女、歳いくつ?」

「22です」

「成人しているわよね? それなのに何も考えてないの? 普通は成人になったら大人として後先のことをしっかり考えるでしょ? 貴女はそれをしてこなかったの? どうして? 親からきちんと教育を受けなかったの? 勉強すればそれでいいと思ってたわけ? どうなの? ねえ?」


 殴られるように私は詰問される。


「それは……あの頃はまだ……」

「まだ何? 何も考えてなかったの? ありえない。世の中には高校卒業して働いている人もいるわよ。それなのに貴女は大学に行って、ただ勉学だけをやっていたの? 人としてのことは何も身につけてないの?」


 そこで大きく溜め息をつかれた。


「貴女はここ以外にどこを受けた?」

「え?」

「我が社以外にもエントリーシート送ったでしょ? 面接を受けたでしょ? まさかないなんて嘘はつかないよね?」

「はい。受けました」

「どこ?」

「それは……」

「どこ?」


 強く詰問された。


「色々と」

「だからどこなの? はっきり言いなさいよ! なんでうじうじしてるわけ? 言いたいこと言えないの? ねえ? 貴女、どうかしてるわよ?」


 ここでライバルチェーン店や有名どころを言うと機嫌が悪くならそうなので、比較的規模の少ないチェーン展開している会社名を告げた。


「内定取れたの?」

「いえ?」

「嘘よね?」

「本当です。私、ここしか取れてないです」

「じゃあ、他の会社は貴女を切って、我が社は貴女を取ったということ?」


 その言い方は下に見ている会社がいらないと感じたものを当社が間違って拾ったと言ってるみたいだった。


 返答に失敗したと私は悔やんだ。


 ここは一流企業の名を告げるべきだったか? いや、それでも滑り止めとか言われそうだ。


「どうなの?」

「どうと言われても私には何と言えばいいのか……」


 またしても大きな溜め息をつかれた。


「我が社を受けて落ちた子もいるのよ。貴女はそれを自覚しているの? 落ちた子に申し訳ないと感じないの?」

「……感じています」


 と、そこでドアがノックされた。


「どうぞ」と人事課の小松さんが言うと女性が部屋に入ってきた。


 かわりに男性指導職員が廊下へ出る。


 部屋に入ってきた女性は個人面談を担当していた方で、私がアンケートでダメ出ししたイベントの責任者であった。名前は門倉さん。


 人事課の小松さんが立ち、かわりに門倉さんが座る。


「彼女は貴女が否定したイベントの責任者なの」

「……はい」


 私は初めて聞いたていで頷く。


「彼女はイベントのためにどれだけ苦労したか知ってる?」

「いえ、知りません」

「知らないのに貴女はどうして上から目線で否定したの?」

「べ、別に上から目線で否定したわけでは……」

「彼女がどれだけ傷ついたか分かる?」


 人事課の小松さんが咎めるように言う。


「いえ……」

「社会人なら謝罪をすべきでは?」

「すみません」


 私は前に座る門倉さんに謝罪する。


  ◯


 門倉さんが部屋を出る際に、「貴女に私の苦しみは分からないでしょうね」と恨みごとを言われた。


 どうしてそんなことを言われないといけないのか。


 私は別にきちんとしたことを書いただけ。


 門倉さんの後、廊下にいた男性指導職員がかわりに部屋に戻ってきた。

 

 人事課の小松さんが席に座り、男性指導職員はまた壁際に立つ。


 そしてまた質問が再開された。


  ◯


 どれくらい時間が経ったのだろうか。

 時計がないから分からない。

 ルームメンバーの皆はもう寝たのだろうか。


「聞いてるの!?」


 怒鳴られた。


「聞いてます」


 その怒鳴り声に驚き、ぼんやりとした意識は現実に引き戻される。


 けれど現実がどういう状況なのか判明できず、相変わらず頭は混乱している。もう考えることをやめたい。


 というか、もう眠い。

 そしてしんどい。

 もう嫌。

 寝たい。


「ねえ? もしかして眠いの?」


 人事課の小松さんが訝しげに聞く。


「……はい。少し疲れました」


 自分がもうここで何をしているのか分からなってきた。


 質問はずだった。

 今は質問だろか。

 詰問? 尋問?

 なんか相手の言うことを最終的に認めているような。

 なら確認なのか?


 私は何の意味があって、ここにいるのか。なぜ終わらないのか。これ以上、人事課の小松さんは何を聞きたいのか。


 もう帰りたい。もう嫌。助けて。しんどい。嫌。眠たい。


「眠い? 疲れた? あのね、それは私のセリフ。それに隣の彼を見て。ずっと立ってるの。貴女はどう? 座ってるだけでしょ? それでつらいの? しんどいの?」


 彼女は信じられないという顔をする。


「えっと、一応……しんどいです」


 というか本当にしんどい。

 そりゃあ、ずっと立っている彼よりかは楽だ。でも、頭の中はずっと重くて、首が疲れた。


「座ってるだけまだマシでしょ? ねえ?」

「……はい。そうです」

「なら彼が根を上げてないのに、どうして根を上げるの? 甘えてるの?」

「……すみません」


 私は俯いて謝罪する。


 というか疲れたかを聞いたのはそっちだったはず。


 それに人事課の小松さんが座る椅子には背もたれがあり、今は身を預けて楽にしている。


 私は丸椅子のため、体が倒れないようにするため座っているだけでも辛い。


 なのに私が悪いの?


 すると私の顔の前で人事課の小松さんが手を鳴らす。


「ほらはら、しっかりしないと。なにぼんやりしているの?」


 彼女は苛立ちげに言う。


「すみません」


  ◯


 蒸し暑い。

 部屋に熱がこまり、息苦しい。


 空気の入れ替えがないため酸素が薄くなっていないだろうか。


 私も目の前の人事課の小松さんも互いにじんわりと汗をかいてる。


「私は人事課の人間なの。だからやる気のない人を我が社に受け入れること出来ないの」

「やる気はあります」

「具体的に?」

「ぐ、具体的に……」


 また具体的だ。具体的って何? これ以上何を聞きたいの。


「やる気があるなら言えるでしょう?」


 彼女は私を小馬鹿にしたような視線を送る。


「え、えっと……」

「どうしたの? 早く!」


 返答に困ると彼女は指でテーブルを叩き、急かしてくる。


  ◯


「貴女は自分を動物でたとえると何になる?」


 急な質問で私は驚いた。


「ええと……猫ですかね」


 自分を動物に喩えたことないから分からないので無難な答えを言った。

 もうどうでもよかった。

 どうでもいい質問だし。


 いや、心理学とか?


「猫ってことは飽きやすいってことよね」


 棘のような言葉が人事課の小松さんから発せられる。


「そう……なのですか?」

「そして無責任」

「無責任では……」

「無責任ではないならさっきの質問にはきちんとお答え出来たのでは?」

「それは……」


 どうして責任とかそういう話になるのだろうか。


 また説教が始まった。


  ◯


「ねえ? 貴女って、自分勝手とか自己中って言われない?」


 人事課の小松さんは鼻で笑いながら言った。


「いいえ」

「言われるでしょ?」


 押し付けるように。

 断定のように彼女は言う。


「いいえ」

「いいえじゃない!」


 怒鳴られた。


「そういうところが自分勝手でしょ?」

「待ってください。意味が分かりません。何をどう解釈すれば──」

「今までの自分をよく見直しなさい」


 彼女は眉を八の字にさせて言う。

 その下唇も下がったその顔はまるで人を馬鹿にするような表情だ。


  ◯


 窓から夜闇ではなく、ピンク色の朝焼けが伺えた。


 もう早朝ということ。

 長時間、私は拘束されている。

 一睡もしていないため眠い。


「初日のディスカッションだけど、あまり積極的ではなかったらしいけど?」

「そんなことはありません」


 疲れで声に力が出ない。


 そのため相手に聞き取れなかったようで、「なんて?」と鬱陶しげに聞かれる。


「そんなことはありません」


 私は声を振り絞って答える。


「本当に? それに2日目にあった聴講の感想や自己分析も簡素だし。やる気が見えないのよね」


 もう嫌だ。

 いつまで続くの?

 眠い。帰らせて。


「ねえ? 恥ずかしくない?」


  ◯


「紙とペンを持ってきて」


 ふと、人事課の小松さんは男性指導職員に命じる。


 男性指導職員は外に出て、しばらくして戻ってきた。そして紙とボールペンを彼女に渡す。


 人事課の小松さんは紙をテーブルに置き、ボールペンを私の前に置く。


「今から私が言うことを書いて」

「はい」


 今度は何だと思い、私はボールペンを握る。

 これから筆記テストでもするのだろうか。


「この度は誠に勝手ながら一身上都合により……」


 私は人事課の小松さんの言葉を紙に記していく。


「内定を辞退させていただきたいと……」


 そこで私の手が止まる。止まった手は震え、ボールペンもガクガクと震える。


「どうしたの?」

「こ、これはどういうことですか?」


 声も震えている。


「内定の自主辞退よ」

「嫌です。ど、ど、どうしてですか?」

「これは貴女のためよ。よく考えて、今、貴女がこのまま我が社に入って仕事が出来る?」

「それは分かりません。まだ仕事をしていません。だから分からないです」

「いいえ。分かるわ。私はね、沢山の人を見てきたの。貴女みたいなタイプはね、五月病になって、すぐ辞めちゃうのよ」

「そんなことは──」

「あるの!」


 人事課の小松さんは声を張り上げた。


「今ならまだ引き戻せる。そうでしょ? これはチャンスなの。貴女はまだ若い。これからまだまだ頑張れる。そうでしょ?」


 こうやって無理に内定自主辞退の一筆を書かせていたんだ。


 そう考えると反骨心が生まれる。


「む、無理です。そんなの無理です」


 私が否定すると──。


「いい加減にしろ!」


 野太い怒鳴り声が私の鼓膜を叩く。


「ひゃあっ!」


 私はすくみ、首を引っ込める。


 怒鳴り声の主は左側の壁に立つ男性指導職員だった。

 おそるおそる顔を向けると男性指導職員はテーブルを凹ませる程、強く叩く。それに私はまた震えて、体を縮こませる。


「お前は馬鹿か。こっちは人事部だ。お前がここで内定辞退しなくても、入社後にクビすることが出来るんだよ! そんなことも分かんねえのか? ここで辞めるか、後からクビ宣告されるかどっちがいい? あぁ?」

「そ、そんな」

「そんなではねえんだよ!」


 男性指導職員のけわしい目が私を射竦いすくめる。心臓はうるさいくらいに鳴り、体が震える。息を吐くと涙が溢れる。抑えようとしても私の意思に反して涙が出る。


 生まれた反骨心もすんなり折れてしまった。


 どうして私は怒られないといけないの。


「いいからつべこべ言わずに書け!」

「待ってくだ──」

「書け!」

「あ、あの──」

「分からんのか! 書け!」


 そう言って、私の懇願を遮って、彼はまたテーブルをドンドンと叩く。


「書け!」


 どうして私はこんな目に遭わないといけないの?


 もう嫌だ。


 私は怖くてうつむく。


 涙が膝に落ちる。


「聞いてるのか!」


 頭から怒声が降り注ぐ。


 嫌だ、嫌だ。


 ぽろぽろと涙が落ち、ジャージに斑点が生まれていく。


「ねえ、ここでずっといたらルームメイトにも迷惑がかかるわよ?」

「え?」


 人事課の小松さんからまさかの言葉が告げられて私は顔を上げて驚く。


「まさか他の皆に迷惑をかけていないと考えている? 貴女がここに呼ばれて、言うことを聞かなければ、周りの皆もまた同じ目に遭うのよ? 当然でしょ?」

「そ、そんな、えっ? な、なんで?」


 目が意思に反して泳ぐ。


「周りの子は真面目なのに貴女と一緒のせいで疑われるんでしょうね? 可哀想」


 私のせい?


「助けたいと思わない? 思うよね? 自分勝手なことはいけないわよね? 常識よね?」


 彼女は指先でテーブルを叩く。


「さっき貴女は自分が自分勝手な人間ではないと言ってたわよね? それならもちろん書けるよね?」

「書け!」


 私の左にいる男性指導職員が吠える。


「さあ、書きなさい!」

「書け!」

「泣いてても先に進めないよ!」

「泣くな! みっともない!」


  ◯


 私は泣いていた。

 怖い、悔しい、辛い、悲しい。そういったものをごちゃごちゃに混ぜて、私は泣いていた。


 手は震え、手に持つボールペンも震える。

 それでも私はなんとか人事課の小松さんの言葉を紙に書き写す。


 間違ってる?

 間違ってない?

 間違ってないよね?


 分からない。


 でも──。


 もう嫌だ。

 もう帰りたい。


 こんな人達と一緒にいたくない。

 辞めてもいいよね?


 こんな人達と一緒に仕事なんかしたくない。

 逃げてもいいよね?


 間違ってないよね?


 分からない。


 もう嫌だ。

 もう帰りたい。

 帰りたいよ。


 疲れた。

 しんどい。


 もう全てをかなぐり捨てて、楽になりたい。

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