第42話 奪還
雄二は屋上のドアを潜った。
屋上の扉の先は小さな踊り場があり、そこには段ボール箱が積まれ、脇には掃除道具が置かれていた。普段誰も屋上を使わないので、鍵も掛けていないのだろう。もう少しセキュリティに注意した方が良いとさえ思う。
ふと上を見れば、監視カメラがある。カメラは階段の下を撮っており、こちらは写っていない。
ま、写っていたところで僕たちがやることは変わらない。
僕は尻尾の気でカメラを破壊した。
カメラは破裂して火を吹き、その残骸が煙を上げながら階段に落ちた。火事になると行けないので残骸を拾い上げて屋上に投げ、僕は階段を降りた。すると階段の下から人の声が聞こえてくる。
僕は階段の影に隠れて、彼らの話しに耳を傾けた。どうやら階下に数人いるようだ。
「医者の話しだと、あの女はもう大丈夫だってよ」
「じゃあ、そろそろ俺たちも準備するか。実働班に持って行かないといけないものもあるしな」
すると、女性の声がした。
「生贄班と合流班は部屋に戻って支度して。合流班は用意できたらすぐに荷を降ろして。鉄平、車を入り口につけておいて。いい?」
「はい!!」
どうやらここを取り仕切っているのは女性のようだ。
ドタドタと階段を降りていく音がした後、「警備班。ここをお願い。私も支度する」と女性が言うと、女性が階段を降りる音がした。
雄二は階段から、今し方人のいなくなった廊下を覗き込んだ。
すると、この階の奥から警備員と言うには些か装備が凄すぎる三人の男性が部屋の前へとやってきた。三人とも防弾チョッキを着て、手にカラシニコフを持ち、腰には切れ味鋭そうなナイフが揺れていた。ヘッドセットで何か会話をすると、三人は頷いて、ドアの前に二人が仁王立ちし、一人は廊下を数歩戻り、僕たちの方をじっと見た。
僕はサッと隠れ、人差し指を口に当て、源相に静かにするよう促した。源相は軽く頷いた。
さて、あいつらを倒すのは簡単だがどうしたものか…この組織は、あんな銃をどこから手に入れたのであろうか?ますますこの組織がどういう組織なのか分からなくなってきた。
敵が銃を持っているとなると、術式だけの戦いではなくなるので頭が痛い。
まさかモデルガンじゃないよなと、壁に隠れてもう一度三人の警備を見た。やはりどう見ても本物の銃に見える。
あの三人が銃を持っているという事は、実働部隊も銃を持っている可能性が極めて高い。そんな部隊が明治神宮を急襲したら、参拝者を盾に即座に本殿を制圧されてしまいかねない。境内にどれだけ結界を作っても物理的な兵器には敵わない。この事を早急に明治神宮の方に知らせなくてはならない。
こいつらは、千載一遇のチャンスが来たことで、日本の社会に戦争を仕掛けるつもりなのだ。そして、『犬』と手を組んだ時点で、後には引けないところまで来てしまっている。
僕が知らないだけかもしれないが、日本の中にこれほど過激な組織がいるとが信じ難いし、こんな銃火器の装備を持っているのに公安や警視庁の組織犯罪対策部の目をすり抜けられているのも信じ難い。もしかすると、九尾の狐の眷属たちは、このような社会に不安をもたらす要素を日本の各地に作っているのかもしれない。それらがまとめて顕在化した時、僕はそれに対処できるのだろうか?
まあ、それはそうなった時にまた考えればいいか。その時までには、僕にももっと仲間が増えているかもしれない。
警備の人間に何らかの通信が入ったようだ。無線がガガッとなる音が聞こえた。
「はい。何でしょう?え?…はい。わかりました」
ドアの前に立っている警備が「何かあったか?」と階段を警戒する警備に尋ねる。
「屋上のカメラが故障したかもしれないってよ。全くこんな時に…ちょっと見に行ってくる」
「ああ。わかった」
警備の足音がこっちに向かってくる。よし。これで一人無力化できる。源相さんと僕は、すぐに階段を上がり、階段の曲がり角に隠れた。後を追うように警備が階段を上ってくる。僕は気を使うことにした。術式は効きすぎるので、なるべく人間には使わない方が良いとは、源相さんの教えだ。
警備が階段を二、三段上ったところで、僕は尻尾で警備の頭を包み、甘い匂いで神経を麻痺させて眠らせた。物理で叩くと骨が折れる可能性があり、感電させると内臓まで焼き切ってしまう恐れがあり、精神系だと立ち直れなくなる可能性がある。こう考えると、人間はあらゆる耐性が弱い印象だ。
警備は一言も発せず、眠りに落ちた。源相が素早く警備に猿轡をして、屋上の踊り場に寝かせた。
すると、階段の下から「おーい!!どうだった?」と声がした。
全く、警備なんだから持ち場を離れるなと言いたい。
僕は素早く階段を降り、同じように警備を眠らせて踊り場へと運んだ。一人目と二人目が戻らないので、すぐに三人目の警備がやってきた。こうなればやる事は同じだ。結局三人の警備が仲良く屋上の踊り場に並んだ。
報告が上がってこないので、無線がガガガッとなった。しかし、答える者はいない。連続でガガガッと鳴っているので、結果を聞きに何度も呼びかけているのだろう。
「源相さん。恐らく警備にバレました。僕はリリィを奪還してきます。何かの時のために屋上のドアに結界を施しておいてください」
「うむ。承知した。気をつけてな。車の方はヒメウツギが守ってくれているから安心してくれ」
「はい」
廊下にいた人の話しと警備の配置からすれば、あの扉の中にリリィがいるのは間違いないだろう。
僕は階段を駆け降りた。そして、警備のいなくなった扉の前に立つ。
すると、ポケットの中のリリィが、「うむ。自分がここにいるな」と言ってきた。
「間違いない?」
「ああ。自分の身体だ。間違えはしない。随分と長く離れていた感じがする…」
リリィは何だか感慨深げだ。
僕は扉を開けた。
すると、中から勢いよく何かが飛び出してしてきて、僕に覆い被さった。敵に襲われたと思って、瞬時に手印を作ったが、いつもの暖かいものを感じたので、すぐに手印を解いた。
「雄二くーん!!待ってたよー!!」
よく聞く声がする。この安心感は何だろう。この時ばかりは凪に触れられればと思った。
「よかった。凪、無事だったんだね」
「ねえねえ聞いてよ!!私ね、『犬』をやっつけて、リリィを解放したよ!!」
「さすがだね。さあ、ここからリリィを連れ出そう」
「うん!!」
部屋の中に入ると、白衣を着たおじさんとアンニュイな顔をしたお姉さんが、ベッドの周りで忙しそうにしている。この二人がリリィを診ているのだろう。ベッドの上には点滴などの管がたくさん付けられた人物が寝ている。あれがリリィに違いない。
「あそこに寝ているのがリリィだよね?」
「うん。そうだよ!!」
すぐに、医師が僕に気づき、殺気を込めた声で「お前は誰だ?」と聞いてきた。
「名乗るつもりはない。その娘を取り戻しにした。これ以上罪を重ねたくなかったら、そこをどいてくれ」
威圧感を出すために何度も練習した台詞を吐く。言うことを聞いてくれればいいが…
「おい!!警備!!何やってる!!敵が侵入してきたぞ!!」
あろうことか、医者は傍に置いてある無線を掴んで叫んだ。僕の台詞が迫力不足だったのかもしれない。こうなれば、無理でもリリィを連れて行くしかない。
「リリィ!!行くよ!!」と僕は大声でリリィに呼びかけた。
すると、ベッドの上で横たわっていた女性がゆっくりと上半身を起こした。凪が魂を戻したというのは本当のようだ。
「ぎゃー!!だめ!!見るなー!!!!」
突然ポケットの中のリリィが顔を真っ赤にして叫んだ。よく見ればリリィは何も着ていなかった。心電計に繋がる吸盤がいくつか肌から離れて落ちた。完全に覚醒しきれていない顔をこちらに向けたリリィは、顕になった胸を隠すことなく、腕に付いた点滴のチューブを抜いた。そして、ベッドから抜け出てきた。
うわ…下も何も履いていない…
本来ならすぐにでも医者と看護師を退かしたいが、何しろ全裸の女性など初めて見たので、僕は頭が混乱してどうしていいかわからなくなっていた。
「あわわ…」
「もう!!こいつら早く気絶させるのよぅ!!」リリィを直視できず、固まっている僕に向かって凪が叫んだ。
僕はハッとして、尻尾を医師と看護師の頭に巻き付けて眠らせた。
床に転がって寝ている医者の白衣を剥ぎ取り、フラフラと頼りなげに立っているリリィに着せた。白衣から見えるリリィの生足が絶妙に艶があって、どちらにしても直視できない。
リリィはそのままフラフラとおぼつかない足取りで扉を目指したが、余りに久しぶりに動いたからか、うまくバランスが取れずにつんのめった。僕は慌てて、リリィをが抱き抱えるように支えた。同じ人間とは思えないほど、リリィの身体は軽く感じた。コイツらはリリィに生きるための最低限の栄養しか与えなかったのかもしれない。
どこまでも許せない奴らだ。
「よし。もう大丈夫。あとは僕に任せて。ここを脱出しよう」
「…うん」と蚊の鳴くような声でリリィが答えた。
リリィの生の声は、想具を通して聞いている声よりも澄んだ声に聞こえる。
そんな僕を見ながら、ポケットの中のリリィは「くっ…それ以上私に触ったら後で…◯ろすかららららな」と事更に顔を赤くして言った。
「雄二くん!!リリィをおぶって!!早くここを出るよ!!」と、一人だけまともに判断のできる凪が雄二に向かって叫んだ。過去に何度も潜入捜査をした凪は、さっさと行動しなければ悪い結果になることを、嫌というほど知っているのだ。
そうだ。今は恥ずかしがって固まっている場合じゃない。
雄二は思い切ってリリィをおぶると、ドアを開けて部屋を出た。廊下に出た瞬間、誰かが階段を上がってくる音がした。警備の後詰めが上がって来たのだ。凪の言う通りにさっさと行動しておけば、鉢合わせを避けられたかもしれない。敵地では、一秒でも早く決断しなければ待つのは死だ。
僕はリリィを尻尾で包み込んで流れ弾に当たらないようガードした。そして、気を前面に貼って敵に備える。
階段を駆け上がって来たのは、やはり銃を携帯した警備だった。警備は僕に話しかける事なく、いきなり銃を向けてきた。話し合いの余地はないということだろう。
僕は、気を硬くして銃口を塞いだ。
警備は躊躇なく銃を撃った。しかし、出口を塞がれた銃は暴発し、警備の男は爆発をモロにくらって後ろに吹っ飛んだ。その傍から次の男が出てきて銃を放った。
しかしながら、きちんと構えていない銃はそう簡単に当たらない。
撃たれる直前に気で銃口を逸らしたのもあり、弾は廊下のガラスへと飛んだ。窓ガラスが派手に割れ、その破片がパラパラと下へと落ちていった。警備が二発目を撃とうと銃を向けたので、僕は尻尾の気を正面からぶつけて警備を吹っ飛ばした。警備の男は壁に頭をしこたま打ちつけて気絶した。
警備が持っていたのは、やはり本物の銃だった。これをどこから手に入れたのだろう?
下からは階段を上がってくる複数の足音が聞こえる。
一体この建物には警備が何人いるのか?
次なる警備がこの階に到達すると、同僚がやられたのを見て、何の躊躇いもなしに銃を放ってきた。勿論、弾丸は僕には当たらず、灰色の壁にヒビを入れただけだった。僕が銃口が僕に向かないように気を発しているので、弾が僕に当たることはない。それにしても、近隣に銃声を聞かれても構わないこのだろうか?
この建物はもう放棄されるのかもしれない。
弾を外した警備が再び弾を装填して発泡しようとしているので、尻尾を巻き付けて警備を眠らせた。人間相手にはこの方法が最も良い。水場や極寒の地でないかぎり、眠って死ぬこともない。眠りに落ちた警備は階段を転げ落ちて行った。その警備を踏み越えて次の警備がやって来る。あと何人くるのだろう?
階段を駆け上がってきた警備は、照準を合わせもせずカラシニコフを撃った。
何発も撃てば一発くらい当たる方式に切り替えたのかもしれない。その後ろにも銃を持つ警備が何人か控えているのが見える。私設の軍隊のようだ。
すると、先ほど降りて行ったリーダー角の女性の金切り声がした。見境無く銃をバンバン撃つ警備に怒っているようだ。
「ちょっと!!男は殺しても、生贄は絶対に殺さないでよ!!」
「分かっていますが、しかし、何故か銃が当たらないし、眠らされてしまうのです…」
「もう!!あんたたち、ちょっと下がって」
女性の声が聞こえた後、僕に向かって何かが投げ込まれた。あの女性が投げたのだろう。円筒形のものにお札が張り付いていた。僕は悪霊じゃないと言いたい。転がった円筒形の何かを尻尾で跳ね返すと、勢いよく階段の下へと落ちていった。
「ぎゃー!!返って来た!!」という悲鳴じみた声が聞こえたあと、火薬の匂いが僕の鼻を掠めた。これはまずい。
仕方なく、尻尾の力を解放し、超高速で警備をすり抜けて下の階まで移動すると、階段の踊り場に転がっていた円筒形の物体を気のバリアで覆った。
僕が気で包んだ瞬間、円筒形の物体が爆発した。空気の振動が僕に伝わってきた。
お手製の手榴弾なのかもしれないが、これは結構な威力だ。あの女性は、この爆弾が死なない程度に爆発すると思っていたのだろう。
爆弾を投げた女性は、腰を抜かして倒れながら僕を見た。
大きな黒い尻尾の生えた人間が、人間業とは思えないスピードで爆弾の爆発を抑え、自分の命を救ってくれたのだ。今、この女性の頭の中は?マークで一杯だろう。
警備も唖然として銃口をこちらへ向けるのを忘れている。
今が逃げるチャンスだ。
僕は警備の間をすり抜けて一気に屋上へと上がった。まずは、リリィの安全を確保しなければならない。
まさに飛ぶように上がったので、誰もついては来れない。
屋上では、怪異の攻撃に備えて、源相が術式を練っていた。
「源相さん!!怪異は襲って来ませんでした!!まずはこのビルを脱出します!!リリィを車に乗せて逃げてください!!」
源相は術式を練るのを止め、「雄二くんも一緒に行かないのか?」と当然の疑問を聞いてきた。
「僕は、ここで凪とこの組織について調べてから源相さんに合流します。さっき凪が僕に耳打ちしてくれてたのですが、どうやら、『犬』をまだ完全に封印しきれていないよう何です」
「そうか…分かった。雄二くんの実力なら大丈夫だろう。でも、決して無理はしないでくれ」
「はい。わかりました」
すると、後ろから足音が聞こえた。もう時間がない。。
僕は、源相さんを尻尾で巻くと、「では飛び降ります」と宣言して、ビルの屋上から外へと飛んだ。視界の端に警備と女性リーダーが屋上に上がって来たのが見えたが、飛び降りてしまえばもう何もできないだろう。
道路にぶつかる寸前で、尻尾の力で風を巻き起こして身体をふわりと浮かせ、僕は地上に着地した。フリーフォールさながらの落ち方に源相さんは完全に参ってしまったようだが、尻尾から解放すると何とか立って、フラフラと車の方へと向かった。
屋上では、銃を持った警備と女性が僕たちを見て、唖然としていた
僕は警備に手を振ると、そのまま源相の車へと走った。源相が駐車場の料金を払っている間に、僕はリリィを助手席に座らせ、シートベルトをつけた。
「ちょっと…キミも一緒に逃げるんじゃないの?」と、まだ辛そうなリリィが声を絞り出した。
「すぐに合流します。まずは都心に向かってください。僕はさっきの建物ででまだやることがあるんです」
体力的に厳しいリリィは渋々頷いた。でも、目は怒っている。何か話したいことがあるのかもしれないし、僕を心配してくれているのかもしれない。
そんな僕を睨む満身創痍のリリィに、ポケットの中の小さなリリィが「よく頑張ったな。さすが自分だ。コイツは私がちゃんと見ておくから安心しろ」と言った。魂に褒められた本体は、仕方ないなとばかりに薄く笑って頷いた。リリィの本体は想具をつけていないので、魂の言葉が響いたということだろう。
魂と本体は同体な気がするが、それぞれが意思を持っているのは面白い。
「さて、あいつらに追いつかれたらまずいので、源相さん早く行ってください。調査が済んだらすぐに連絡します」
「ああ。気をつけてな」
源相もリリィと同じように何か言いたげだったが、長居はできないと車を発進させた。すると、源相の車を追いかけるように敵の建物の方から黒いワゴン車が物凄いスピードで走ってきた。そう言えば、あの女性が誰かに車を入り口に付けるように言っていた。この先はあの組織の建物しかない。だとすれば、あの車はあの組織の車以外考えられない。
悪いけど、このまま行かせないよ。
僕は道路に転がっていた石をワゴン車めがけて投げた。尻尾の気でコーティングされた石は、矢のような速さでワゴン車のタイヤに当たり、タイヤは爆弾が爆発したような音を上げてバーストした。ワゴン車のハンドルが効かなくなり、派手に住宅に突っ込んで行った。非常に申し訳ないが、その住宅の玄関門は見るも無惨に破壊され、周りには瓦礫が散らばった。あれでは今日一日、玄関からの出入りは不可能だろう。
「雄二くん、容赦ないね…」と、ボディがひしゃげ、煙を上げている車を見ながら凪が言う。
僕はそんなことはないと手を振って「ちゃんと加減したよ」と反論したが、見た目が全く加減したようには見えないのは確かだ。
車のドアが開き、運転席から若い男が出てきたが、すぐに道路に倒れた。車が突っ込んだ時、気で包んであげたから死ぬことはないだろう。警察と消防が来るまでには数分はかかるはずだから、その間にやる事を済ませなければならない。
さて、凪と話すなら今しかない。
「改めて、凪。ありがとう。これからもよろしくね」
凪は満面の笑みで「うふふ。もっと褒めて!!」と言う。ポケットの中にリリィがいるので、ここは尻尾で撫でることで手打ちにしてもらい、敵のアジトへと再び向かう。
「僕らの凄さをもっと見せつけてやろうよ」
「うふふ。勿論よ」
気合の入った凪の空パンチを見ながら、雄二は凪に聞いた。
「あそこで何があったのか説明して。そして『犬』をきちんと封印するにはどうすればいいの?」
「うん。ええとね、簡単に話すよ。まず、『犬』は自分に降りかかった呪いをリリィの魂に移して、自分だけ助かろうとしたの。それを怒った凪ちゃんがそれを防いで、『犬』をこれに封じたの」
凪は想具の箱を雄二に見せた。
「あの龍は?」
「みんなと一緒に建物の中で、あいつらがおかしな動きをしないか様子を見てもらってるよ」
ああ。式神もまだ建物の中にいるのか。あのメンツならその辺の怪異は絶対に負けない。それこそ『犬』クラスでも苦戦するはずだ。
「分かった。すぐにみんなと合流しよう」
「うん。それで、『犬』をこれに封印した後、呪いから解放されたリリィの魂を身体に戻したのよ」
「それをたった一人で…凪はすごいなあ」
これは本当にすごい。そう思う。
だって単身敵地に乗り込んで、僕たちをここに導いてくれた上、リリィを救ってくれたのだ。凪が生きていた時は忍者でもやっていたのではないかと思ってしまう。
雄二に褒められた凪は、空中で三回転して喜んだ。
そして、真面目な顔をしてこう続けた。
「でもね、『犬』にしてはあっさりと封印されすぎなのよ」
「実は『犬』ではないものを封印したってこと?」
「ううん。あれは間違いなく『犬』だったよ。それでちょっと考えたんだけどね、多分リリィと同じ手を使ったんだと思う」
「私と?」
リリィは怪訝な顔をした。
「うん。『犬』も魂を分けたんだと思うの。魂の一部を私たちに見せて、大元の魂はどこかに潜んでやり過ごそうとしていると思うのよ」
「なるほど。まだあの建物の中に『犬』の魂がいると言うんだね?」
「うん!!」
なるほど。今は呪い返しで動けないとはいえ、時間があれば、何らかの手を使って動けるようになるかもしれない。将来の脅威は少ない方がいい。ここで少なくとも『犬』を食い止めたい。
「それに、リリィを襲った組織について、僕たちは何も知らない。少しでも情報を収集しよう」
「それはお願い」
胸ポケットの中で、リリィは頷きながら言った。
ジャンプ一番で屋上に降り立つ。僕は再び建物に戻った。
ふふふ。僕がまた屋上から戻ってくるとは、敵も夢にも思わないだろう。という訳で、もう屋上には誰もいなかった。おまけに、不用心にも屋上のドアの鍵は閉まっていなかった。僕に潜入してくれと言っているようなものだ。
「よし、行こう」
僕と凪は、屋上の踊り場から階段を降りた。
下の方から様々な声が聞こえてきた。
「どうすんだよ!!警察来るぞ!!」
「今すぐみんなで脱出しよう!!」
「生贄も誘拐されたし、共闘する予定だった『犬』はいなくなっているし…もう何がどうなっているのか…」
などなど、中々の混乱ぶりだ。
まあ、奴らの計画の根幹であるリリィがいなくなればそうなるのも不思議ではない。こうなると明治神宮を占拠して、怨霊を解き放っても封印はできないからだ。
階段の途中で隠れながら僕はリリィに聞いてみた。
「リリィがいなければ、怨霊計画はできないんだよね?」
「神を降ろせる巫女がればできなくはないが、向こうにそれができる者がいるかどうかだ。いたとしても、仲間を犠牲にしてまでその計画を実行するのかという事もある」
なるほど。素質を持った者はリリィだけとは限らない。この組織にもいる可能性はゼロではないかもしれないのか。
「リリィ以外に、その神降ろしができる巫女はいると思う?」
「まあ、今の世の中ではいたとしても数人だろうな。可能性があるとすれば、私の母くらいか」と言ってから、リリィは顔を青くした。
そういえば、リリィは巫女の家系だ。リリィの母にそのような素質があってもおかしくはない。
ポケットの中のリリィは、あからさまに動揺している。小さな声で、「私がいなくなったと知ったら、実働部隊が明治神宮を制圧し、怨霊を解放すると同時に私の母を連れ出す可能性もあるのか…」と呟くと、髪を掻き上げた。リリィの目は不安げに宙を見ている。
そう考えると、さっさと明治神宮に行かないと大変だ。
「凪、まずは『犬』をきちんと封印しよう」
「そうだね。じゃあ、まずはこっちに」
そう言うと、凪は僕を案内して階段を下りて行った。僕も見つからないよう、尻尾の力で、周囲に擬態して凪を追う。階段を下りている途中に何人かとすれ違ったが、特に僕に気づいた様子はない。かなり精度の高い擬態ができている。
凪は建物の一階に下りると、廊下を奥へと向かった。
「こっちよ」
凪はそう言いながら奥の部屋に入った。怪異の匂い漂うその部屋に僕も続く。
部屋の中は思っていたよりも怪異の匂いが濃く、嫌でもその匂いが身体にまとわりついてくる。中はがらんとしているが、奥には祭壇があり、祭壇から漂ってくるこの禍々しさは、間違いなく『犬』のものだ。『犬』の送り込んできた怪異と戦った僕には、敵にまとわりついてた匂いと同じものに感じられる。
「この部屋に『犬』がいたんだね?」
「そうよ。リリィの魂はあの祭壇に封印されて呪いを押し付けられていたの。全く酷いことするわ」
口を膨らませて凪は怒った。
リリィも無言で祭壇を睨んでいる。
この部屋にいた『犬』は凪に封印されたと言う。
何故、凪はこの部屋に戻ってきたのだろう?と考えていると、僕の思考が分かるのではないかと不安になるほど絶妙なタイミングで凪がその理由を話した。
「雄二くんの思っている通り、『犬』は私が封印したわ。でもそれは『犬』の魂の一部、本体はまだ隠れている。そこで、雄二くんにやってほしいことがあるの」
「うん。分かったよ。何をすればいいの?」
凪はニコッと笑って、「私の陰陽術をね、雄二くんの尻尾で大きくしてほしいの」と言った。
「大きく?」
そんなことができるのだろうか?まあ、自分の術式を強くできるのだから、凪の術式の強さを増幅できても不思議はない。時間もないので、やれるだけやってみよう。
「今から唱える呪言はね、本来は悪魔憑きの人に使う呪言なんだけど、その対象をこの建物全体にしたいの」
「建物にか、ふむふむ…」
分かったような分からないような話だが、本来呪われた人間にピンポイントで使う呪言を、僕の尻尾で増幅して威力を大きくして建物全体に行き渡らせてほしいと言いたいのだろう。
凪はもう説明は不要とばかりに僕の尻尾を掴むと、早速術式を唱え始めた。それと同時に僕も余計な事を考えずに、目を瞑って尻尾の調整に神経を集中させた。
「付くも不肖、付かるるも不肖、一時の夢ぞかし。生は難の池水つかりて淵となる。鬼神に横道なし。人間に疑いなし。教化に付かざるに依りて時を切ってすゆるなり。下のふたへも推してする」
普段の声とは全く違う威厳のある声が部屋に響く。
凪が言葉を紡ぐ度、僕の身体の中に呪言の強烈なエナジーが流れ込んでくる。言い方が難しいが、地獄の穴に飲み込まれそうな感覚も混在してくる。そう言えば僕に力をもたらしてくれている九尾の狐は怪異だ。呪いとは違うものの、どちらかと言えばそちらの方に近い。呪いが術式で消滅させられる時は、こうしてどこかに吸い込まれて消されるのかもしれない。
雄二は身体の中に滞留する凪の術式を更に大きくするため、更に気を尻尾に集めた。
背中がゾクッとした。
尻尾の中で急激に凪の術式が大きくなっていく。地獄に引き込まれそうな感覚が増して何だか落ち着かないが、この術式の凄さは嫌でも分かった。
「うふぅ。さっすが雄二くんの気だねえ。私までヒリヒリするよぅ。でも、これならいけるよ!!」
凪は興奮しながらそんな事を言った。
実際、凪の術式はほとんど完成している。その上で凪がそう言うのなら、きっといけるのだろう。
それにしても、凪の時代の陰陽師は、皆こんな強烈な術式が使えたのだろうか?
そうだとすれば、それはとんでもない時代だったのだろう。
九尾の狐のような巨大な怪異がいて、それをも倒す『獣狩り』がいて、凪のような陰陽師もいた時代。何故時代が進む毎に、人間にそのような力がなくなっていったのだろうか?
「よし!!雄二くん、いくよ!!」
「うん。分かった!!」
凪の掛け声で、余計な考えを捨て、雄二は術式の拡大に集中した。
術式が充分な強度になったと確信した凪は、この悪魔祓いの術式を解き放った。すぐさま雄二は尻尾の力を使って、この術式を建物中に飛ばした。術式はコンクリートの壁をものともせず、建物の端から端まで透過して行った。
雄二が一息ついた頃には、悪魔祓いの陰陽術が建物全体に広がっていた。
その効果は覿面だった。目の前の祭壇が震え出すと、凪の術式に耐えきれずにひっくり返った。祭壇の上に乗っていたお札、何かの木の葉、呪物が散乱し、禍々しさが急激に衰えていく。怪異と呪いに絶大な損傷を与えたのは間違いない。
すると、雄二の耳に上階のどこからか悲鳴が聞こえた。
「凪、聞こえた?」
「ん?何か聞こえたの?」
どうやら、凪には叫び声が聞こえなかったようだ。しかし、僕は断言できる。あれは紛れもなく怪異の声だ。
僕と凪は、祭壇の部屋を出て、声の聞こえた上階へと向かった。
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