第37話 龍が出た

 机に向かうと、まずは簡単に絵を描いてみる。想具はイマジネーションが大事なので絵を描いてその精度を上げていくのが効果的だ。想具の鎧も最終的には絵を描くことで仕上げたのだ。


 カリカリと絵を描いていると、後ろから凪が覗き込んできた。


「雄二くん、なかなか絵が上手いよね」

「そう?凪も想具創れるならちょっと絵を描いてみなよ?いいアイディアが浮かぶかもよ」

「え?私?そ、そうね…やってみるわ」

 凪は悲壮な顔をして僕の横に座り、想具で創ったと思われる紙と筆を取り出した。

 なぜ凪がこんなに覚悟を決めたような顔をしているのかは分からないが、まあ、楽しんでくれたら良いと思う。凪は筆に青い墨汁を付けると、勢いよく描き始めた。


 お互いに暫く絵を描いていると、集中した顔を崩した凪が筆を置いた。

「できたわ」

「お、早いね。見せてよ」

 凪の手元を覗き込むと、思わず「おおおお!!」と言ってしまった。


 リリィとヒメウツギが何事かとこちらを見る。


「な、凪…これは…」

「うふふふ。ちょっと本気出しちゃったよ」


 こ、これが凪の本気か…


 凪は何を考えてこの絵にしたのかは分からないが、そこには武器でも防具でもなく一匹の龍が恐ろしく緻密に描かれていた。今にも飛び出してきそうなほど迫力のある竜の絵は、普通に美術館に飾られていてもおかしくはない。西洋風のドラゴンではなく、いかにも日本風の龍の絵なのも良い。

 僕があまりに驚いていたのが気になったのか、ヒメウツギが僕の肩に駆け上がってきた。

「な…まさか…こんな…」

 凪の絵がヒメウツギの予想の遥か上を行っていたようで、言葉に詰まったようだ。

「ちょっと!私にも見せて!!」

 床でリリィが叫んだ。

 リリィを手のひらに乗せてヒメウツギの背中に乗せ、僕は絵の前に立った。リリィはヒメウツギに乗ったまま身を乗り出して絵を見た。

「何!!これ凪ちゃんが描いたと?」

「もちろん!!」


 その時、あまりにリアルな龍の絵がジロッとこちらを見た気がした。まさか絵が動くとは思えないが、凪は陰陽師で数々の式神を擁している。そのまさかもあるかもしれない。


「ねえ、凪、その龍ちょっと動かなかった?」

 すると、凪は青い顔をした。

「やっぱり動いた?陰陽師なら命を持った絵を描きなさいって師匠に言われたから、そのまま式神になりそうな絵を描く練習をしていたのよ。師匠が私の絵を必ずどこかに持っていってから実際に私の絵を使っていたのかも…」

 それを聞いたリリィは殊の外感心しながら「なるほど。絵が動くのであれば、そこは想具の一種と言えるかもな。いや、生きて動けるように想って描いた絵が動くのであれば、それは、式神か?」と言った。

「おお!!なるほど。私の式神ちゃんとこの絵の中の動物が一緒に戦えば…うふふ。凪ちゃんの戦闘力は鰻登りね」

 こんな感じで凪が調子に乗っている時ほど注意しなければならない。それは過去の統計から言って間違いない。


 凪が両腕に力こぶを作りながら鼻高々にそんなことを言っていると、絵の中の龍の首がこちらにクルッと向いた。これは間違いなく絵の中で動いている。なんだか嫌な予感が少しだけしたので、凪に聞いてみる。


「ねえ、この龍が絵から出てきたらどうなるの?」

「うふふ。この龍はね、私が今まで想像した龍の中でも最高傑作なの。その鱗は強靭でどんな刃物も切り裂けないし、その炎は鉄をも溶かし、そんでもって風のように速く飛べるの。そして、この前アニメで見たドラゴンみたいに魔法も使えるのよ!!そんなのが出てきたら『犬』も目じゃないわよぅ!!」

「あの、この龍さ、凪の言うこと聞くんだよね?」

「もちろん!!頭いいから人間の言葉も話せるのよ!!ちゃんと言うことも聞くわよ!!」

「そ、そう?」


 絵の中の龍は僕を見てニコッと笑った。これは一体どんな笑いなのだろう?


「ちょっと、凪ちゃん。この龍動いてるよ」

 早速リリィが気づいたようだ。続いて「確かにこちらを見て笑っておりますな」とヒメウツギも言う。

「え?本当に動いてるの?」

 凪が絵を覗き込んだ瞬間、絵の中の龍がこちらの世界に飛び込んできた。

「ありゃりゃ?本当に出てきた」


 龍は絵と同じサイズで小さいが、凪の言う通り高速で空を飛べた。その速さは凄まじく、アニメのロードランナーのように手で捕まえようとしても絶対に捕まらない速さだ。天井をグルグルと回ってキィキィと鳴いている。ワイリー・コヨーテは毎回こんな気持ちでロードランナーを見ていたに違いない。


 凪は、天井付近を高速で飛び回る龍をポカーンと口を開けて驚いていて見た。そして、僕を見るとニコッと笑った。この顔は褒めてほしい顔だ。『これが吉に出た場合だけ』あとで褒めちぎりってあげよう。

「ふふふ。龍ちゃん。みんなに紹介するから降りてきて!!」

 凪は龍に呼びかけたが、聞こえていないのか言語を理解できないのか降りてこない。そのまま天井をグルグルと回っている。

「あれ?おかしいなあ。龍ちゃん!!降りてきて!!」

 しかし、龍は降りてこない。

「ありゃーん?」


 これは凪の想い通りにいかないパターンだ。僕の直感では、この龍は言語が通じないのではなく単純に凪の呼びかけを無視しているのだと思う。


「ブルードラゴン、カモーン!!」

 若干怒りながら凪は龍に呼びかけるが、天井を気持ちよさそうに飛んでいる龍は、ショパン猪狩のレッドスネークのように言うことは聞いてくれない。もしかすると壺を三つ用意すれば言うことを聞いてくれるかもしれない。

 いよいよ凪の堪忍袋の緒が切れた。

「ちょっと!!私の言うこと聞きなさいよ!!」

 龍は更に速さを上げて天井をグルグルと回った。あまりの速さに一秒間に三回くらい回っているように見える。

 凪は腰に手を当てると、少し顔を曇らせ、わざと僕に聞こえるようにぼそっと一人ごちた。

「そう言えば、昔、師匠がお前の絵はなかなか言うことを聞かないとか言っていた気がするよぅ…私が絵を描いた後、有無を言わさず絵を持っていってしまったのは、まさか…」

 凪が若干緊張気味だったのは、その時の記憶が微かに残っていたからかもしれない。

 きっと凪の師匠はこうなる前に凪の絵に細工をしていたのだろう。その細工がどのようなものか気になるが、今はこの龍が悪さしないかを考えた方がいい。

「この龍どうやったら紙に戻ると思う?」

「想具の一種であるなら、涼海殿が術式を解けば普通に消えるのではないかと思います」

 なるほど。ヒメウツギの言う通りな気がする。でも、凪はこの絵にこうなってほしいと願いながら描いた訳だから、反対のことを考えれば消えそうな気はする。

「ねえ、凪。この龍が実は飛べない龍で、地上をゆっくり歩くような想像してみて」

「え?うん…龍ちゃん、あなたは歩く…地上を歩くのよぅ」

 凪は、この龍が地上を歩くイメージを頭の中で展開させた。凪の頭の中では龍が地上を歩き始めた。


 しかし、凪の創造とは裏腹に、龍はずっと天井をグルグル回っている。おかしい。凪のイメージ通りにならないという事は、この龍は想具ではないのであろうか?


「ねえ、ヒメウツギ。この龍って式神なの?」と、僕はこの素朴な疑問をヒメウツギに聞いてみた。

「いえ、涼海殿の式神もそうですが、式神は基本的に元々の動物が怨霊化したものを手懐ける場合が多いものです。それに、こんな形で生まれたというか、具現化した式神の話しは聞いたことがありません」

「じゃあ、あの龍は何なの?」

「何なのでしょう?」とヒメウツギは頭を捻った。

 ヒメウツギも定義できない式神なのだろうか?両面宿儺との戦いの中で凪が出した鳥の式神も初めは言うことを聞かなかったというから時間をかければ言うことを聞くのかもしれない。

「むうー。全然私の言うこと聞かないー!!」

 イメージをつくるのに飽きた凪が目を開けて口を膨らませた。

「まあまあ。凪が怒っているから降りてこないのかもしれないよ。凪が優しく声をかければ素直に降りてくるよ、きっと」

「そ、そうかなあ?じゃ、じゃあ、コホン。青い龍ちゃーん。降りてきてみんなに挨拶して〜」

 しかし、青い龍は天井をグルグル周り続けている。顔を見ると嬉しそうなので単純に飛ぶのを楽しんでいるのかもしれない。

「ぐ…」

 凪の額に青筋が浮かんだ。

「駄目かあ。ねえ、凪、僕が呼んでみてもいい?」

「もちろんいいよ」とあまり納得していない声で凪が言う。

 ではと、僕は上を見た。後ろから威圧するような凪の目線がビリビリと刺さる。何やら後ろがちょっと怖いが、僕は龍に呼びかけた。

「そこのかっこいい龍さーん。ちょっと降りてきて、すごい術式を見せてくださーい!!」

 皆が天井を見上げると、驚いたことに龍がグルグルと回るのをやめ、僕の前に降りてきた。そして、ふわふわと僕の正面に浮いくと、得意げな顔で僕を見た。


「ふむ。私がかっこいいとな」と嬉しそうに龍が言う。


「ええ。現実に動く龍は、世の中にあなただけです。その凄さを僕らに見せてください」

 後ろの視線が寒気がするほど苛烈になった。それでもこの負のオーラを無視してやり過ごそうと決めた瞬間、凪に尻尾をつねられた。やはり相当ご立腹なようだ。

 そんな凪に怯むことなく龍は、「よく分かっておるな。それでは我が力ちょっと見せてやろう」と言った。


 龍はまた天井近くまで飛ぶと、予想だにしない行動をとった。いきなり炎を吐き出したのだ。恐ろしく熱そうな灼熱の炎が線状に飛び、壁を黒焦げにしようかという瞬間、炎が消フッと消えた。これには皆が青ざめた。


 うはあ、火事になるかと思ったあ。


 僕は発動寸前だった水の術式を解いた。肩の上からは、ヒメウツギとリリィの安堵の息が漏れ聞こえた。

 これに凪がすかさず怒った。

「ちょっと!!この部屋を燃やさないでよ!!」

「大丈夫だ。このくらいの術式の制御、我にかかれば全く問題ないぞよ」

「なんで、私が描いたのに、あんたが上から目線なのよ!!」

 頭に血が上った凪が、ガニ股で手の指をウネウネ動かしなながら喚いた。

「凪もそんなに怒らないの。他にもできることはありますか?」

 そう言った瞬間に、物凄い力で尻尾をつねられた。これは相当に頭に来ている。暫く口をきいてくれないかもしれない。

「逆に我にできないことがない。何と言っても龍は最強生物だからな」


 なるほど。この自信である程度わかった。凪はありったけの想像をこの龍に入れ込んだのだ。ただ、恐ろしく頑固なのにちょろそうな感じがするのはきっと凪の性格を引き継いだに違いない。


「では、それを見込んでお願いがあります。これから凪はとても危険な場所に乗り込みます。そこには恐ろしく強い怪異がいます。その怪異から凪を守ってほしいのです」

「うむ。よかろう」

 この龍が僕の言う事だけを聞くのが不服なのだろう。凪は僕の尻尾の先端を掴んで怒った。

「うがー!!何で私が守られる側なのよぅ!!この龍を創ったの私だよ!!私はこの龍を使う側よぉぉぉ!!」


 なるほど。何となく分かってきた。


 凪の師匠は、凪の奔放な性格を把握し、その性格を色濃く受け継ぐ絵が凪の言うことを聞かないのを見越していたのだ。あるいは、初めて紙から出てきた絵でそれを悟ったのかもしれない。数百年経っても性格が全く変わらない凪は、ある意味で流石と言っていい。

「まあまあ。凪。この龍も手伝ってくれるんだから、そこはいいとしようよ」

 しかし、凪は涙目になって唇を噛むと、「うぐぐ…私がこの龍を使うの!!自分の創ったものに言うことを聞かせられないうちは三流だって、師匠が…」と悔しそうに呟いた。

 なるほど。凪が怒るには凪なりの理由があるようだ…


 見れば、凪は笑顔を崩さない龍を睨みながら悔し涙を拭いている。この龍のことで凪をこれ以上泣かせるわけにはいかない。


 さて、どうするか…この絵の龍は、絶対に凪の言うことを聞かない。凪の師匠はそれが分かっていたので、凪に絵を描かないよう色々と苦言を呈したのだ。凪を慮って強めに言うあたり、凪の師匠は中々の人格者と言える。凪の描いた絵は妙にリアルだし、頑張って色々できるように創造してしまうので、紙から出てきた絵は個々の能力も高い。となれば、あまりやりたくはないが、これから始まる戦いを有利にするためにも、僕はある想具を創ることにした。


 これから敵のアジトへ置くために磁石のような想具も創らなくてはならない。僕は、肩慣らしには丁度いいと、龍の手首に丁度ハマるサイズの腕輪を創った。


「これは、その敵の場所へ行くときに必ず必要になる腕輪です。これがないとそこへ転送できません。どうぞ付けてください」

 僕はたった今創ったばかりの腕輪を龍へ差し出した。龍はそれを受け取ると、早速腕につけてくれた。龍の腕で腕輪がきらりと光る。急造で創った割にいい出来だと思う。

「ふむ。中々良い腕輪じゃな」

「ええ。いい腕輪なんです。じゃ、凪はこれを付けてね」と、今度は凪用に創った龍の腕輪と対になる指輪を渡した。

 凪は指輪を受け取ると、その指輪を人差し指につけた。凪の指にキラリと指輪が光る。すると、凪の仏頂面が一気に和らいだ。意外とこの指輪を気に入ってくれたのかもしれない。

「これ、賜物よね?」

 賜り物をあげるほど僕は高貴ではないが、まあ、プレゼントという意味合いだろう。

「ん?まあそうだね。凪のために創ったものだからね」

「わ、私の為…」

 凪は頬に手を当てて、はにかんだ。そう言えば凪へのプレゼントは初めてかもしれない。想具なら色々と渡せるので、何か創ってあげればよかったなと今更ながら思う。


「では、凪、その腕輪に念じてみて」と僕は凪に言う。


「ほへ?何を?」

「まずは聞いてね。凪のその指輪は龍さんの腕輪と対になっていて、腕輪がついているものを収納できる指輪なんだ。で、その腕輪は僕しか取り外しができない」

 凪と龍は一瞬動きを止め、それがもたらす結果を考えた。

「うふふぅ。なるほど。これでこの龍を出し入れできると」

「う…まさかお前…」

 凪はゲスい笑みを龍に向けると、「ここに入れ!!」と龍に指輪を向けた。すると龍はアニメで見たランプの精のように指輪へと吸い込まれて行った。

「うふふぅ。龍の式神を手に入れたわ!!」

「あの龍は式神だったの?」

「まあ、式神と同じようなものよ!!」

 さすが凪。相当ないい加減さだ。

「さて、龍さんには凪と一緒に戦ってもらわないといけないから、一回指輪から出して」


「うん。龍よ、出ろ!!」


 すると、龍が再び僕らの目の前に出てきた。ただ、龍は相当ご立腹なようだ。それはそうだろう。ほとんど騙し討ちで凪の指輪に閉じ込められたのだから。

「さて、龍さん。ここで改めてお願いだけど、僕たちに協力して欲しいんだ」

「お主、この状況でよくそんなことを抜け抜けと…」

「まあまあ。怒る気持ちはよくわかります。でもですよ、あなたは凪が本気で存在を消そうとしたら本当に消えてしまいます。でも、せっかくだから現世を楽しみたいと思いませんか?」

「ふん、その口車には乗らんぞ。それくらいなら我は消える方を選ぶ」

「そうですか。残念です。じゃ、凪、次の竜の絵を描いて」


 僕はなるべく冷徹に見えるように無表情を作った。龍にそう見えているかは分からないが、多少の効果を期待しよう。


「え?いいの?」

「うん。その指輪にはまだまだ何体も入れられるから、次に描いた絵の式神に護衛をお願いしようよ」

「この龍ちゃんは?」

「まあ、ベンチメンバーだね。ドラクエで言うと、馬車からほとんど出ない感じのキャラだね。仲間が多くなったら指輪から追い出されて違う場所に行ってもらうけど」

「え?まさか、この日本のどこかにモンスターじいさんがいるとでも言うの?」

「ああ。いるんだよ。モンスターじいさんはね、実は黄泉平坂の近くに住んでいて、送られてきた式神が悪さをしたと認定した瞬間に、その式神を黄泉の世界へと送り込むんだ。モンスターじいさんは、またの名を閻魔大王とも言うね」

「まさか閻魔さまが日本のモンスターじいさんとは…日本怖いね…」


 凪が本気で怖がっているのを見た龍は、若干表情をこわばらせた。これならいける。凪は何でも信じてしまう性質に違いない。


「さて、龍さん。僕たちに協力してくれる限りは、あなたが消えることもないし、モンスターじいさんのところに送られることもないけどどうする?」

 龍は目を瞑って熟考した。この龍の様子を見る限り、どうやら本気で悩んでいるようだ。

 モンスターじいさんが閻魔大王なんて考えるまでもない嘘っぱちであるが、凪と同じ思考なら、凪とヒメウツギがバルスに恐怖したように信じてくれるかもしれない。

「く…卑怯な…あんな無限地獄に行くくらいなら…少しばかり力を貸してやろう」

「うん。ありがとう。凪、もう次の竜の絵は描かなくていいよ」

「あ、そう。もっと可愛い女の子の龍を描こうと思ったのに」

 すると、龍がこほんと咳払いしつつ「いや、それは描いても良いぞ」と言う。

 まあ、つがいの龍で仲良くしてくれるなら、お互いにやる気を出して手を貸してくれるかもしれないし、多ければ多いほど凪の守りも硬くなるだろう。

「じゃあ、描いてみてよ」

「そう?ちょっと待っててね」

 凪はこの龍を描いたのと同じ青い墨と筆を取り出すと、筆を迷わせることなくサラッと描き上げた。このスピードで何故これほどの絵を描けるのかと言いたくなるが、これが才能というものであろう。上手すぎることで紙から絵が出てきてしまうのは難点だが、凪の絵が一枚でも残っていたら、正倉院の中に入っていたかもしれない。


 「ほい。できたよ」


 凪の手に新しい龍の絵があった。どこが女の子なのかは説明し辛いが、確かに女性っぽく見える。これが絵の上手い人間の描き分けなのだろう。

「うふふぅ。どう?可愛いでしょ?」

「うむ。素晴らしい」

 どうやら龍はこの絵を気に入ったらしい。さて、この絵も出てくるのだろうか?

 すると、僕の心配などどこ吹く風で、絵がピクピクと動き出した。これは新しい龍が紙の外へ確実に出てくる。

「ねえ凪、この龍は何ができるの?」

「この龍ちゃんはね、誰でも心配させることができるの」

「へ?何と?」

「だから、誰でも心配させることができるのよ」

 まさかの精神改変系の能力だ。もっと攻撃的なのを創るのかと思ったので意外だ。

「なんでそんな能力なの?」

「え?みんなが心配してくれれば優しくしてくれるでしょ。敵にも心配されれば絶対にやられないし、この娘の後ろにいれば、敵の攻撃も飛んでこないのよ!!」


 よくよく考えると、これはすごい発想かもしれない。


 盾にも色々あるが、普通の発想では、どんな攻撃でも弾き返すという盾を作るのがセオリーだ。しかし、心配で攻撃できないとなれば、頑丈で壊れることのないアイギスの盾を作らなくとも良いのだ。ただ、世の中には人を人とも思わない人間がいるように、誰も慮らない怪異もいる。この能力が全てに効く事はない。

「でも、何の心配もしない怪異だったらどうするの?」

「その時は、みんなで守るのよ!!この娘を守ろうとする人には大きな力が宿るのよ!!」


 僕は凪を見直した。この発想力はすごい。バフとデバフを両方かけられる龍とはイカしている。敵を萎えさせ、味方を鼓舞する龍。確かにこの龍がいれば敵と対峙しても有利に戦いを進められそうだ。


「じゃあ、龍さん、何かあったらこの女の子の龍さんを守ってね」と僕が言うと、龍はさも当然とばかりに「ふん。言われなくとも仲間は守るわ」と胸を張った。

 さて、どんな龍が出てくるのだろうか?僕が暫く凪の絵を見守っていると、紙から新たな女の子の龍が出てきた。男の龍と同じようにすぐに天井へと向かい、気持ちよそそうに天井をグルグルと回って飛び始めた。

「うわ。あんなに速く飛んだらぶつかるんじゃないか?」

「大丈夫じゃ。ぶつからないように壁に風を纏わせた」


 龍も雄二もヒメウツギも心配そうな目を天井へと向けている。


 龍が出てきて間もないのに、すでにこの体たらくの三人の男どもを見て凪は悟った。

 これはみんなを心配させるのではなく、男どもを心配させる仕様になっていると。確かにあれだけ高速で飛んでいると若干心配にはなる。しかし、男の龍はもっと速く飛んでいたし、何より凪自身が、男どもと違って龍を助けたいと微塵も思わないのだ。

 ここで、凪はちょっと絵を描いている時のことを思い出してみた。

 私はこの女の子の龍を、私もおんなじように雄二くんに心配してもらいたいと思って描いていた。だとすれば、こうなるのは必然だったのかもしれない。これだと、敵が女だった場合は、反発されて敵が強くなってしまうかもしれない。女は女の敵を嫌うのだ。その時は指輪から龍を出さない方が賢明だと凪は思った。


 凪は、微妙な龍を創ってしまったとため息を押し殺しながら「そこの男どもが心配しているから降りてきてー」と女の子の龍に言った。

 

 しかし、龍は天井をグルグルと回ったまま降りてはこなかった。ここで、凪の額に青筋が浮き出た。凪はやはりこの龍は女を苛立たせると感じた。そして、雄二は、目に怒りを灯す凪を見ながら、またこのくだりをやるのかと気が重くなった。まあ、凪も大人ので今回は黙って見てくれるだろう。

 

 外野がうるさいので、少しだけ冷静になれたヒメウツギは、女の子の龍に苦慮する雄二と凪を交互に見た。そして、この二人は本当に似ているなと思った。変にソリが合わないよりは、これくらい波長が同じ方が連携が取れるだろうとも思う。二人とも性格が違うように見えるが、お人好しで根が単純なのは同じだ、


 それから三十分ほどかけて、雄二は女の子の龍に呼びかけ続けた。


 飛ぶのに飽きたのか、女の子の龍がようやく天井から降りてきた。ふう、これでやっと話しができる。

「あ、あの…あなたを見ていると、僕たちは何故か助けなくてはと思ってしまいます。できれば、そう思わせてしまうその能力を、僕たちに貸してくれませんか?」

 しかし、女の子の龍は冷たく言い放った。

「え?嫌よ。私、インドア派なのよ。それに痛いのは嫌。戦いなんてもってのほかよ。私が怪我したらどうするのよ?」

 そう言われると、雄二は女の子の龍が怪我するのが徐々に心配になってきた。そして、この龍を前戦に出すのをやめた方がいいのではと思いながら、これは能力だと理解している頭の片隅で恐ろしい能力だとも思う。しかし、すぐに頭の片隅で思っていた警戒はなくなった。どうやらどれだけ警戒していても無駄なようだ。すでに術中に放っている男の龍も「そうじゃな。戦場なんて野蛮な場所に連れて行くことはない」などと言いだす始末だ。


 これを見ていた凪は、文句を言いたいのを抑えて黙っていた。


「やはりこいつは女の敵ね」と口をへの字にして小さく呟きながら、男どもはすでにこの女の子の龍の能力にかかって腑抜けていると確信した。自分で創っておいていうのも何だが、全ての男がこうなるなら、これはろくな能力ではない。ここで、自分が皆の目を覚まさなくてはいけない。


「ちょっと待ったー!!」


 いきなり発せられた大声に、皆が凪を見る。

 凪はどこからか取り出した紙を勢いよく机に置くと、滑らかな動きで文章を書き始めた。あっという間に文章を書き終え、凪は完成した文章を自慢げに僕たちに見せた。しかし、達筆すぎて僕は文章を全く読めない。

「うふふぅ。これはねえ、幻惑を解消できるお札だよ!!」

 その意味が分かったのか、女の子の龍は、目を少し大きくした。

 凪の書いた文章は全く読めないが、掲げているお札を見ていると確かに女の子の龍への過剰な心配が薄らいできた。

 ふふふと不気味に笑いながら、凪は僕のおでこにお札をペタッと貼ると、耳元で「あれ創って」と言った。脳が痺れたような感覚がなくなり、何となく目が覚めたような気分の中で、僕は凪ご所望の想具を創った。

「それ、さっきのと同じよね?」

「うん」

 女の子の龍は何のことかと首を傾げている。

 その瞬間、凪が恐ろしい速さで女の子の龍を捕まえると、「じゃあ、それをこの腕に」と言う。

「お前ら!!その龍に何をする!!」と、慌てる男の龍に構うことなく、僕は想具の腕輪を女の子の龍の腕につけた。腕輪は女の子の龍の腕にガッチリとくっついた。もう取れることはない。


 女の子の龍は現状を理解できずにオロオロしている。それを男の龍が、心配するなと宥めている。


 これで、男女の龍を凪の指輪に入れられるようになった。

 僕はチラッと凪を見た。それにしても龍を捕まえた時の凪の動きは凄かった。あの動きは陰陽師という事を差し引いても速すぎる。凪はまだ本気を見せていないのではと思う。


「じゃ、その龍ちゃん二人、凪が乗り込む場所で凪の言うことをちゃんと聞いてね」

「私は嫌よ!!」

 女の子の龍が怒髪天を衝きながら、僕らから顔を背けた。

「じゃ、モンスターじいさん行きか…」

「残念ね…」


 凪が神妙な顔をしたので、女の子の龍は焦って「何よそのモンスターじいさんって?」と男の龍に聞いた。

 男の龍は閻魔の事を告げると、女の子の龍は観念したように首をうなだらせた。

「この卑怯者…」

 女の子の龍が憮然として言うので、「でも、凪に協力してくれれば普段は普通にしていていいから」と僕がフォローした。

「仕方ないわね。ちょっとだけ協力してあげるわ」

 ため息をつきながら女の子の龍は観念した。


「ありがとう。じゃあ、龍吉と龍子ちゃんよろしくね!!」

 このネーミングセンスゼロの名前に、二人の龍は顔を歪めたが、凪の性格からして面倒になるだけなのでもうその名前で行こうとなった。この龍吉と龍子に加えて、強力な式神と陰陽術を駆使すれば、凪が単独で敵地に乗り込んだとしてもそう簡単にやられはしないだろう。それは、向こうに『犬』がいたとしてもだ。そして、凪なら反撃のチャンスをもぎ取ってくれるはずだ。


 ようやく騒動が収まり、僕は本来作ろうと思っていた磁石の想具の製作に入った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る