ヨモツヘグイ事件 問題編①

 教室で本を読んでいると、ふと自分が世界でたった一人になった気分になることがある。

 クラスメイトたちのお喋りは意識から遠く離れた場所で響き、自分の視界はただ手元にある本より外にははみ出さず、肉体は自分に与えられた机と椅子という領域から小指の先すら飛び出さない。

 ただその狭い領域に自分は一人きりで、この本に没頭する以外にできることはないのだと、漠然と思わされる。

 もちろんそれは自分に酔った妄想でしかなく、顔を上げればクラスメイトたちが当たり前にそこにいて、席を立ち話しかければそれ相応の返答があることだろう。

 しかし、なぜか思ってしまうのだ。自分は世界から取り残されたのだと。



◇◆◇



 期末試験が終わった後の学校というのはたいそう気の抜けたもので、日に日に近づく夏休みに全校生徒が浮かれているのを感じる。


「先輩も夏休みは楽しみにするものなんですか?」

「んー、まあそうだね。味気ない日々を繰り返すよりは、何をするか自分で決められる方が好きかな」


 本を読みながら答える空先輩は、こちらに目も向けやしない。つまり平常運転だ。


「どこか行くんですか?」

「自慢じゃないけれど、私の夏休みの予定はほとんど真っ白だよ」


 それはただの引き籠り宣言だ。本当に自慢じゃない。

 ……まあ僕も似たようなものなので、墓穴を掘る前にこの話題からは撤退しよう。


「夏休みは魔法部ってどうするんですか?」


 この活動目的不明の部は、放課後になんとなく集まっては魔法の勉強をして帰る部活だ。

 ほぼ無言でお互い本を読んでいるだけという日も多く、正直言って何のために集まっているかもわからない。ただ、たまに空先輩が魔法に関する特別講義をしてくれたり、部室に転がっている占い道具なんかでひと騒ぎしたりするのはそれなりに楽しい。


「去年だと、私は時々ここに来ていたよ」

「一人で?」

「一人で」


 それはまた寂しい夏休みだ。

 そういえば前に写真部の……なんだっけか。ああそうだ、伊崎さんが言っていた。空先輩は、教室ではただ本を読んでいるだけで、僕に対してするような表情を見せないらしい。

 僕と先輩は単なる先輩後輩で、僕らの間に特別な何かがあるわけではない。その特別ではない感情すらもクラスメイトには見せていないのだとしたら、それは要するに……


「先輩ってぼっちなんですか?」

「そういう言い方、好きじゃない」

「じゃあ決して他を寄せ付けない孤高の魔法使いなんですか?」

「……むぅ」


 先輩は拗ねた様子だったが、かといって怒った様子はない。ただ、本のページを捲る手が止まっているなと見ていて気づいた。顔もどこか虚ろだ。


「すみません、言い間違えました。決して蚊を寄せ付けない魔法使いなんですか?」

「いいや。そんな魔法があったら是非とも欲しいものだね」


 先輩が表情を和らげる。どうやら地雷は回避できたようだ。


「キュラ君こそどうなんだい?」

「まあ、僕はそれなりです。本読んでて友達放置することも多いので」

「本より下に置かれても友達付き合いを続けるその人に、同情を禁じ得ないね」

「失礼な、友達を本置き場にした記憶はありません」

「いや誰が物理的に置けと」


 下らない会話を続けながら、さて下校時刻まではあとどれくらいだろうかと時計を見る。部活は始まったばかりなので、まだ一時間半ほど余裕があった。

 このままダラダラと、いつも通り時が過ぎるのかと安らかな気持ちになり――


「空! いるんでしょう!」


 穏やかさを取り戻した部室の空気は、バァン!! と叩きつけられるドアと、突然の大声で破壊された。

 ビクッと肩を跳ねさせ、おそるおそるドアの方に振り向く。

 そこには腕を組んだ勝ち気そうな女子生徒が仁王立ちしていて、空先輩の方を見つめて……いや、睨んでいた。

 その視線を辿って空先輩の方を見ると、明らかに名指しされたにもかかわらず空先輩は無視を決め込み、本のページを捲っていた。


「ちょっと、空! 無視しないで!」

「……はぁ。茅野、何の用かな」


 再び呼ばれて、空先輩が心の底から面倒そうな声を絞り出す。その際も、先輩は本から顔を上げなかった。僕や白瀬さんへの雑な対応や、無関係の人への当たり障りのない態度とも異なる、あからさまな塩対応だ。

 見たことのない先輩の態度に、僕は疑問を抱く。確かにこういう強引な手合いは空先輩が嫌うタイプかも知れないが、それにしたって些か塩対応が過ぎる。


 この人――茅野さん? と何かあったのだろうかと、僕はもう一度茅野さんに目を向ける。

 すると、茅野さんの手首に異物を発見する。一見して数珠かと思ったけれど、よくよく見てみるとそれはブレスレットのようだった。黒い玉がリング状に並べられている様は、典型的なパワーストーンのブレスレットに酷似している。

 それに気づくと、他の違和感も少しずつ見えてくるようになる。首から若干安物っぽい銀色のロケットペンダントを下げていたり、それと一緒になって五芒星のアクセサリーが首から下げられていたり。

 ははぁ。なるほど。たぶんオカ研の人だな、と僕は見当付けた。どうやらそれは当たっていたらしいと、すぐに知ることになる。

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