夜伽とは戦いだ(獅子王談) 2




 今こそが、『自らを律し、自らを修める』とき。


 ?……、??


 なぜ、ここで、このタイミングで警察学校時代の訓戒を思い出したかって? そこは自分でも意味不明すぎるが、考えている場合じゃない。


 たぶん、たぶんな、俺……、すごく、きっと、むっちゃ、完璧に混乱している……、たぶん……、そう、いや、いかん!


 緊急事態である時ほど、冷静沈着な対応がものを言う。冷静に氷の心をもて、獅子王。

 恐れるな。

 麗孝リキョウに飛び込め!


 俺は眠り薬を口に含んだまま、ほろ酔い気分の麗孝リキョウの胸に、谷底に飛び込む勢いでダイブした。


 勢いをつけて押し倒すつもりだったが、奴は軽く受け止めやがった。

 まったく魅婉ミウァンの身体は軽すぎる。

 あと十キロは太れ、それも筋肉で太るべきだ。こんな細くふわふわの身体は観賞用でしか用途がない、つまり実用向きじゃないんだ。


 ほれ、胸にすっぽりと抱かれて収まったじゃないか。


 麗孝の肌が熱っぽい。

 熱く身体中が燃焼している。


 いや、男として、今がどんな沸騰点か、どういう状況かわかりすぎる。

 麗孝、おまえも自分を受け止められないところまで来ているんだな。情緒的状況を通りすぎた下半身……。


 で、つい好奇心から奴の顔を見てしまった。


「魅婉……、なんて可愛いんだ……」


 無理、俺には、ぜったい無理だ……。


 いや、ここまできて尻込みしてどうする、獅子王。


 今、ここで怯んだら、次はこいつに抱かれるしかない。想像するだけで意識が飛んでいきそうだ。


 一手がダメなら、二手目に進む。今こそ三手目を繰り出す絶好のタイミングだ。


 いいか、ここは緊急事態における対応を思いだせ。今回のミッションは眠り薬を麗孝の口に押し込むこと。

 麗孝の唇は射撃訓練用の赤い的だ、これは唇ではない。


 警察学校の射撃訓練において、過去、俺の腕前は最上級だった。


 的の中心をけっして外さなかった。それほど、がむしゃらに練習してきた。


 的は……。


 射程距離二十センチほど。


 こいつの薄い唇(いや、ちがう。唇じゃない、これは的だ)をこじ開けて、眠り薬をねじ込む。


 だめだ、できない。射撃訓練を想像するには、この状況で無理がありすぎる。


 そうだ、救命訓練だっ。

 間違いなく、それだ。相手は心肺蘇生用に使うAED訓練人形、CPRマネキン麗孝型。


 ほら、薄い唇が半開きになっている。

 獅子王、誇りを持って任務を遂行しろ。これは救助訓練で、けっして恥ずかしいことではない。


 これは、CPRマネキン麗孝型だ。

 これは、CPRマネキン麗孝型だ。


 マネキンは心臓発作で息ができない設定。わかっているな、獅子王。訓練通りに人命救助をやり遂げろ、必ず蘇生させるんだ。


 胸を規則的に押して、そして……。


「おお、おおや、み、魅婉」


 おい、人形が話すな!

 気が散るじゃないか。


「俺の胸をはだけさせるなど、積極的なのも嫌いじゃない。いや、むしろ……」


 うっせえわ!


 ぐはあ、南無三、必死の形相で奴の口に唇をくっつけた。

 や、柔らかいし、あ、熱い!


 ともかく、流し込め、思いっきり、酒と薬を飲み込ませよ。

 麗孝が俺の背中を抱くと、逆に強く唇を吸い寄せてきた。


 や、やめてくれぃ〜!

 発狂するぅ。


 しかし、ミッションを、な、なんとか……、やり遂げた。


 ええい、このCPRマネキン、まだ、この後に及んで強く抱きしめてくる。そんなことは訓練にない。

 最近のマネキンロボットは出来がいい。

 うん、そうだ。獅子王、思考をコントロールしておけ、己のためだ。


 麗孝が何か言っている。


「みぃ、魅婉よ。余の女。そぅなたはぁ、余のものぉだぉ」


 やっと酔ってきたのか。言葉が、しどろもどろになりはじめた。そして、なんとか離れようとする俺の腕のつかんだ。


「こらぁ、かってに離れるとはぁ……、この、ふ、ふ、不届き者がぁ!」


 強力な睡眠薬で酔いがまわったのか、呂律が回らないくせに強く抱きしめてくる。


「待て! 待った! タイムだ、ロープ、ロープ」

「おまえ、余の言葉がわかっているのかぁ? 余は……、余は……、ほんと、にぃ、口先だけでぇ、言ってるんじゃあないぞぉ。皇太子の言葉をぉ、おろそかにぃするのは、罪だぞぉ。余は、余は、そなたにぃ、ゾッコンなんだ。わかるかぁ? ゾッコン、ゾッコンだぁ」


 完璧に酔っ払っている。


「みぃ、みぃ、魅婉よぉ……、◇*X@△&#……、は、は、なぁれすまぁ……」


 言葉が支離滅裂になり、抱き寄せる腕に力がない。

 やっと電池切れになったのか。

 タチの悪い酔っ払いだが、なんか、可愛いぞ。いやいやいや、何を言ってるんだ、俺も酔ってるのか。


「……僕の愛する人……」


 身体を離そうとする瞬間、麗孝リキョウが耳もとで囁いた。

 一瞬で身体が凍りついた。

 この言葉。

 この言い方。

 忘れるはずがない。


 あの時の囁きだ!


 森上を追い詰めビルの屋上から落ちる寸前、奴が耳もとで囁いた言葉と同じ。


『ここは冷静になってよ。僕の愛する人』


 あの時、やつはそう囁いた。

 俺は、はっとして乱暴に身体を突き離した。


 麗孝リキョウは軽くいびきをかいて眠落ちしている。ひとしきり酔ってクダを巻き、それから安らかな寝顔を見せ眠っている。

 まさか、こいつのなかに森上はいるのか。


「森上……、おまえが、おまえが森上莞しんじょう・かんなのか?」


 身体をゆすったが、完全に眠りこけてしまい返事がない。麗孝リキョウを観察してきたが、これまでの行動に森上らしさはなかった。


「どういうことだ」


 その時、障子戸が静かに開く音がした。

 燭台の灯りに、青白い姿を見せた男は、暁明シァミンだった。彼が忍びこんできたのだ。


暁明シァミン。なぜ、ここにいる」

「魅婉さま、ご無事ですか?」

「いったい何をしている。太華たちは」

「薬で眠らせました。さあ、行きましょう」

「どこへ?」

「このまま残って、麗孝リキョウと夜を過ごすおつもりですか? わたしと一緒に逃げましょう」

「おまえと?」


 おれは衣を整えると立ち上がった。


「だめだ、行けない。こいつを尋問しなければならない。今宵はチャンスだ。麗孝リキョウがここにいる、めったにない機会だ」




(第2部第3章完結:最終章につづく)

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