『後宮の悪魔』〜時空を遡るシリアルキラーを追う敏腕刑事が側室に堕ちた件〜
雨 杜和(あめ とわ)
第1部 第1章
警視正・獅子王朔vsシリアルキラー・森上莞
冬夜は、闇の訪れが早い──
西新宿の高層ビル街は山に囲まれた
コンクリートの雨に湿った匂いと……
排気口からの異臭と……
人の体臭に混じった香水と……
そんな都会の夜を、これまでも俺は嫌いじゃなかった。
「前後左右から徐々に輪を縮めろ、“まるたい”に悟られるな!」
「機動班、確保にむけて網をはれ!」
西新宿から高架橋をもぐれば新宿三丁目。夜の呼び込みたちが仕事帰りの会社員を快楽の地獄へと騒々しく誘いこんでいるはずだ。
平凡な都会の日常。
変わらない風景。
そして、そこに存在してはいけない怪物、
通称ピンキーフィンガーと呼ばれる悪魔を俺たちは追いつめていた。
「“まるたい”、三丁目を避け、裏新宿に向かうもよう」
「網を縮めろ」
「
直属部下である佐久間の声がイヤホン越しに響いた。
「どこかって、聞いてる場合かよ。抜かるな」
「了解!」
俺は警視庁捜査一課に出向して四年目の警視正だ。キャリア官僚としては異例の長さで所轄に陣取っている理由がある。
一つは巷を騒がすシリアルキラーを追い詰めるには、タガが外れた
おい、ここは苦笑する場面じゃないぞ。
震撼すべきところなんだが。
まあ、後になって考えれば、この時、俺は自分を過信しすぎた。お花畑であったことは否定できない。
シリアルキラー
事件番号『令和2(*)330』、事件名称『東京広域連続殺人事件』は、ちまたでは通称『ピンキーフィンガー事件』として知られている。
マスコミやSNSを大いに騒がせた事件であり、世間的に注目度が高い。
奴の逮捕が難航したのは、犯行に及び自分の手を極力汚さず他人を操るからだ。
最終手段として俺は奴を挑発するためにSNSサイトを公開した。
「アホな子どもぽい性格の」からはじまる五千文字に及ぶ挑発文。奴の心理分析を公開したことに反応があった。
「それほど、僕について詳しいなんて、愛しているよ。僕はあなたを愛している」
「僕はあなたを愛している」
それが奴の墓穴をほった。
奴を追い詰めたサイバー班を俺は誇りに思う。
「奴は?」
「非常階段を登った、あの駐車場ビルだ」
森上莞は高架下をくぐらず低層ビルの多い裏新宿に向かった。目的は三階建ての古びた駐車場だった。
「獅子王さん、こっちです。ここから階段を使って上に」と、部下の佐久間が囁いた。
「よし、周囲を固めろ」
北風が吹く寒い夜で鼻水が止まらなかった。
捜査員を配置し、俺は真正面から奴を追った。
スチール製の安っぽい階段から奴の靴音が響いてくる。その足音は一定で落ちついている。
駐車場の三階でドアを開ける音がした。
三階建ての駐車場は車のスロープと、二か所の階段があるほか逃げ道はない。その全ての逃げ道をふさぎ奴に迫った。
(今だ!)
三階のドアを開け放った瞬間、ふりかえった奴と目が合った。考えていたより背が低い。色白の女みたいな顔は冷静で、驚きも恐怖も見せない。
「確保!」
叫ぶと同時に、奴は屋上に登る螺旋階段に向かった。
カンカンカンカン。
奴の足音が響く。
「ライト!」
地上から駐車場を照らすなか、屋上まで奴は逃げた。その先はない。
駐車場の周囲は捜査員が取り囲んでいる。興奮が全身を駆け回る。
全員が固唾を飲んで俺の指示を待っている。
奴も、捜査員たちも、そして、俺さえも。
螺旋階段先のドアに耳をつけた。
静かだった。
俺は金属ノブに手をかけ、ぐるりと回した。仲間に合図を送り屋上のドアを開ける。
冷たい夜の風が吹き込んできた。
屋上へ飛び出した瞬間!
細いナイフが腹に突き刺さった。俺は、しまったと思うより、誰かカバーに入れととっさに思った。
ズブリとわき腹に刃が突き刺さり、ピリピリとしたイヤな感触がする。
あの決定的な瞬間……
それほど痛みを感じなかった。それは神経系を刺激する肉体の箇所を運良く刃が避けたからと、冷静に判断していたはずだ。
ナイフに気を取られ抵抗できなかった。俺は奴と一緒に地面に叩きつけられた。
いや、違う。
俺は落下の衝撃を避けるクッションとして使われた。
この俺が、天下の
落下する、わずか三秒ほどだが、しかし……。
脇腹を刺され、屋上から落ちた三秒は意外と長かった。
刃がアスファルトにあたり、カキンと金属的な音がすると同時に、グギャっといういやな音が体内に響いた。
奴は俺に被さったままダイビングして、傷ついた足を引きずりながら立ち上がった。
──確保しろ!
必死に叫んだが声にならなかった。ただ、ゲホゲホッと大量の血を吐いた。
体内にアドレナリンが駆け巡っているのか、状況に驚愕したのか、まだ痛みを感じなかった。
ビルを取り囲んで配備した部下が奴のあとを追う。
そこで信じられないことが起きた。
奴が、こちらを見てニヤリと笑ったのだ。その瞬間、光の玉が発光して、まぶしくて目を開けられないほど輝いた。
佐久間が俺に向かって叫ぶ声が最後の記憶になった。
「
屋上の手すりから叫ぶ佐久間和哉の顔がぼやけていく。
ここで死ぬのか……。
そう思った。
……俺は死んだ。
思考がバラバラに拡散して、脳が欠片になって飛び散る感覚。
死とは緩慢なものなのだろう。
ぼぅ〜と……。
ぼぅ〜として……。
薄目を開けると、赤い下地に黒い龍を金で縁取りした
もう一度、目を閉じて開いた。
見えているものは間違いないが、刑事を長くやっていると理解できることがある。
実際に見えるものが事実とは限らない。
赤い下地に黒い龍の天井絵。
夢か。
いや、そう結論づけるには質感が現実的だった。
何かがまずいようだ。どうまずいか理解できないが、まずい。
脇腹の痛みは消えている。ということは、だいぶ時間が経過したということだ。どれだけ意識を失っていたのか。
目だけをキョロキョロさせ周囲を観察した。すぐ隣に人の気配がした。
「お目覚めでございましょうか、お姫さま」
女性の深く落ち着いた声が聞こえた。
(つづく)
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