sweet melt
佐楽
蕩けさすにはまだ早い
ダン、と勢いよく拳が机に叩きつけられる。
拳を開けばそこには個包装の一口チョコレートが一粒。
「これならいいだろ」
「あー…まぁコーヒーのお供にはちょうどいいかな」
ぽりぽりと頭を書きながら男はその眼鏡の奥にある瞳になんの表情も浮かべることなくチョコレートを白衣のポケットに入れた。
「いっとくけどほんとはそんなんじゃなくてもっとちゃんとしたやつやりたかったんだからな」
端正な顔に悔しげにぶすりとした表情を浮かべた青年はほとんど睨むように男を見上げた。
「
「
ますます青年の機嫌が下降していくのが感じて取れたがあいにく男には青年の機嫌を伺う気はない。
「…俺めっちゃ我慢してんだよ。これくらいいいでしょ」
青年の声色が少しだけ湿り気を帯びる。
男がため息をついた。勘弁してくれといった気配を漂わせて。
「なぁ、
「そうだけど」
「だけど、じゃなくて。先生と生徒なの。だったら敬ってるかどうかはともかくとして一応態度には気をつけな」
青年が目を剥いた。
「俺にとってあんたは先生の前に」
男はそれ以上言うな、と目で青年を静止した。
「俺とお前は先生と生徒だ。それ以上でもそれ以下でもない」
きっぱりと言い放てば青年は今にも掴みかかりそうな怒気を放ちながらそれを抑えるように制服を握りしめた。
「先生と生徒じゃなきゃいいんだな。じゃああと1年待つよ。そしたら」
「期待しないでおくよ」
まるで話はこれで終わりだと言うように昼休みの終わりを告げるベルが鳴る。
「ほれ、昼休みは終わりだぞ」
その時、俯いていた青年がまるで殴りつけるように手を伸ばして白衣の襟を掴み顔を近づけてきた。
二人の唇の距離が縮まる。
しかしそれはあと少しというところで男が顔を背けた事で合わさることはなかった。
「やめろ」
「っ」
恥ずかしさかどうか青年の顔が赤く染まり、彼はそのまま保健室を駆け出していった。
ぱたぱたと廊下を走る足音が遠ざかっていくのを聞きながら男はまたため息をついて机の前の椅子にどかりと腰かけた。
彼はわかっているんだろうか。
わかってはいるのだろう、賢い青年だ。
だけれどそれすら激情が凌駕するのだろう。
「青いな」
我ながら年寄りくさいセリフだと思う。
そしてそんなセリフを吐いたくせに自身の心のなかにも十分どす黒い熱が渦巻いていた。
もしあのまま彼からのキスを受け止めていたなら。
危ないのは彼の方だと気づいていただろうか。
ふと思い立ってコーヒーをマグカップに淹れた。
インスタントだが特にこだわりがあるわけでもないので男にはこれで十分だった。
香りの良いコーヒーで喉を潤せば、甘いものが欲しくなった。
白衣のポケットから先程青年からもらったチョコレートを出す。
スーパーなどで大袋入りで売っている普通のチョコレートだ。
バレンタインだからとてそれはなんの変わりもない。
包装を剥いて口に放り込み、舌の上で転がせばそれはすぐに咥内の熱で蕩け始めた。
もし青年のキスを避けずに受け止めていたら、これより遥かに甘美な味わいが広がったことだろう。
絡めて転がしてなぞって。
そしてそれだけでは済まないだろう。
空いているベッドに押し倒して彼を腕の中に閉じ込めたなら後戻りできないところまで彼を暴き倒してしまうだろう。
たとえそこが学校という聖域の保健室であろうとも。
もしこれが公になれば男は破滅だ。
しかしそれ以上に青年という生徒が大事だった。
青年に言ったら激怒するだろうがいっときの迷いかもしれない。
そんな事で彼の大事な青春に汚点を残すわけにはいかなかった。
だからあえて突き放すのだ。
お前のこれは気の迷いなのだと。
それで彼が諦めてくれたなら良い。
ただもし諦めなかったら?
卒業し先生と生徒でなくなっても彼が想いをぶつけてきたなら?
こくり、と溶けきったチョコレートを飲み込む。
飲み込んでしまっても、いいかもしれない。
今でこそ表面上は拒否していても内面はグズグズに欲望がうずまいているのだ。
あーあ、俺って最低な先生
男は頭の後ろで手を組んだ。
チョコレートより甘いもんを教えてやるよ
その年のバレンタインには
「馬鹿か俺は…」
そんなワードがつい浮かんで男は机に突っ伏した。
sweet melt 佐楽 @sarasara554
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