第七稿 ちょっとした気の迷いみたいな?

「おーい、聞いてますかー? それ成人女子が晒してていい顔じゃないからね~」


 あの出来事から数日が経った自宅兼仕事場にて。

 気付けば正面に座っていたまりもは、テーブルに頬杖をつきながら気だるそうに私に声を掛けた。


「ん? すっぴんの事言ってるなら、いつもとなんら変わりないけど?」

「それはまったく問題ない。あたしがしてるのはその腑抜けた顔の話だからね。ていうか、今月に入ってから明らかに集中できてないでしょ」

「あれ……ゆめちゃんいなくなってない?」


 ほっぺたを伸ばしたり元に戻したりしながらも、普段との違和感に気付く。今日はやかましいくらいのメッセージが来てない。視線を向けると遊びに来てたはずの夢子の姿はなかった。


「夢子、いつも以上に暗く沈んでてさぁ。れながずっとその調子なのもあるんだと思うけど……そのまま帰ってっちゃったよ」

「何かあったのか聞いてない?」

「あたしにはまったく懐いてくれないからわかんない。だからさー、あの子の事少し気に掛けてやって欲しいのよ。いつもちょいちょいやり取りしてるんでしょ?」

「すぐに送っとくよ。で、私って今日どこが変だった?」


 メッセージアプリを開く片手間に言葉を投げる。


「何聞かれてもうんうんとしか言わないとこだよ。心ここにあらずって感じ。もしかしてだけど……男でもできた?」

「は……? それだけは絶対にあり得ないんだけど?」


 送信してもすぐに既読にはならない。一度スマホから目を離して彼女を軽く睨んだ。


「あ。いや、ごめんごめん。ノーマルっぽい女子にやったらと気に入られるし、ついにそういう子と特別な関係でも持ち始めたのかな。そこんとこどうなの、重度の男嫌いさん?」


 私には中高を通じてあまりいい思い出がない。彼らは妙にガツガツしてるし、察しや諦めの悪いところもうんざりだし、単純に力で敵わないところも怖い。

 もちろん全員が全員そうだとは思わない。だけど一度ついてしまった苦手意識を払拭するのは正直難しいわけで。彼女の言うとおり私は男性の存在を避けて生きてきた。


「やだなぁ……まだそういうのじゃないよ。でもそっちはそっちで、男でも女でも誰でも大歓迎なんだったよね?」

「ちょーい待てぇ! それはかなりの誤解があるよ? さすがにこっちにも選ぶ権利くらいある。そもそも、あたしは好きになったら性別は関係ないってスタンスなだけで誰でもいいわけじゃない」

「ごめんなさい。さーてと、コーヒーでも淹れるかな。まりもも飲むでしょ?」


 彼女は基本的に良き理解者だ。ただ、恋愛に関してだけはかなり意見の相違が見られる。

 それは向こうも感じてるのか、お互い言い合いになる前にさっと引くのが暗黙の了解みたいになっている。


「砂糖多めでよろしくー」

「あれ、コーヒーはブラック一択だったんじゃなかったっけ?」

「あー。ちょっとした気の迷いみたいな?」


 カップに沸いたばかりのお湯を注いでコーヒーバックを蒸らす。それを繰り返す事3回。しばらくしてバックを引き揚げティースプーン4杯分の砂糖を落とすのがいつもの流れ。もう一つのカップも同じように溶かし終えて、それをまりものいる正面のテーブルへ置いた。


「お待たせしましたお客様、1杯200万の品です」

「はい、御代は今夜この体でお支払いします……」

「多く見積もってもそれだと1年は掛かるねぇ?」

「嘘、あたしの価値低すぎ……?」


 度々繰り返されてきた意味のないやり取りもまた、まりもと過ごしてきた証のようなものだ。


「砂糖足りたかな。もう2杯くらいいっとこうか?」

「いやいやこれ以上は人としてヤバいっしょ。んーで、あたしが言いたかったのは仕事くらいは集中しなよって事だからね。それこそ夢子にも示しつかないしお願いしますよ?」

「そんなのわかってるって。明日から頑張るからそこで見てなよ、可愛い子猫ちゃん?」

「今すぐって言わないとこがらしくて大変よろしい。じゃあ子猫からのお願いなんだけど、ちょっとこれやろ?」


 彼女は猫のようなポーズをして携帯ゲーム機を私に見せた。画面には、複数人での対戦ができるバトルロイヤルゲームのタイトルが映る。


「それいつも私が圧勝してるやつじゃん。負けばっかりで不貞腐れてるの誰だったっけ?」

「まあまあ、やろうよ」

「今日も私が『敗北を知りたい』ってなるのは目に見えてるのに?」

「うん。でももしあたしが勝ったら一つだけ何でも言う事聞いてよ。もちろんれなが勝ったら、あたしが何でも言う事聞く!」


 彼女は確かににやりとした。何か狙いがあるように思えて怪しいから、当然私の答えは「やだ」となる。


「せめて聞いてから断って欲しいんだけど?」

「だってこの後絶対いかがわしいお願いするよね? もちろん性的なやつを」

「はぁ? あのさー。このあたしをなんだと思ってるわけ?」

「両刀ビッチギャルアシスタント」


 その返答にまりもは大きく溜息を吐いて頭を抱え始めた。


「もう完全に見た目だけで判断されてるし、おまけに違った意味でのアシストも決めてそうじゃん。れなさんよ~、それこそあたしへの名誉毀損ものだと思うんだけど?」

「違ったの? じゃあ具体的に何をお願いしたいのか教えてよ」

「ただちょっと抱きつかせて欲しいだけだよ」


 と言ってまりもはまたとしている。


「無理」

「だーかーらー。何で有無を言わさない勢いで即答するかなぁ」

「だって煙草臭そうだもん」

「んー。あたしって、言うほど臭いきついかなぁ……?」


 彼女はくんくんと全身を隈なく嗅ぎ始めた。


「どうして私に抱きつきたいの?」

「なんとなく興味があるだけだよ。下心なんてあるわけないじゃん」

「力づくでえっちな事とかしない?」

「あのさ、さっきから妄想たくましいれなの方がよっぽどなんですけど。友達同士でそんなのするわけないでしょ?」


 そう言ってまりもはぶーと口を尖らせている。


「もししたら、まりもは強制わいせつ罪だよ。ドキドキ書類送検待ったなしなんだからね。絶対に何もしないって私のママとペットのダグラス、弁護士とか神様、それから私に誓える?」

「いや、アメリカにいる犬まで入ってんじゃん! ちょっとよく考えてもみなよ。あたしがれなに嘘ついた事なんてあったっけ?」

「ないね」

「でしょ。ていうか、そもそも負けないなら罰ゲームなんて気にする必要なくね? たださ、断るって事は敵前逃亡と言えなくもないよね~。このままだと戦わずにして負けちゃうわけだけど、れなさんはそれでええんか?」


 じゃあそういう事で、とまりもは立ち上がりきびすを返した。


「はあっ……? 当然私が勝つに決まってるし! やってやろうじゃん!」


 彼女にさせたい事は特にないけど、勝負を挑まれたからには応じよう。なぜなら私は超のつくほど負けず嫌いなのだ。

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