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「撤去されちゃったんですよ」私は両腕でものを動かすジェスチャーをしながら言った。「老朽化か、他の理由かは分かりませんけど、とにかく竜の遊具は公園から撤去された。酒入さんが淋しがると思ったお祖母さんは、竜が旅に出たってことにしたんです」
ふわわ、と琉夏さんが口許を掌で覆いながら欠伸をする。「月曜ってさ、なんでこう眠いんだろうね」
「夜更かしするからでは。というか真面目にやってくださいよ」
「やってるよ。じゃあ皐月的には、竜はもうこの世にはいないと」
「残念ですけど、そうなると思います。でもここで終わったら中途半端なので、確かに公園に竜がいたって証拠を見つけたいんです」
「どうやって」
私は勢い込んで、「いるじゃないですか、歴史に詳しくて資料収集に長けてる人が。協力してもらって、当時のことを調べるんです」
途端に琉夏さんが表情を曇らせた。「いちおうお尋ねしますけど、誰ですかそれは」
「もちろん楠原さんです。ちゃんとお願いすれば手伝ってくれますよ。今から一緒に頼みに行きましょう」
やだ、と即答するなり、琉夏さんは机に突っ伏してしまった。厄介このうえない。こうした幼児性をときおり発揮する人なのだ。
「あいつに頭を下げるなんて一生の不覚だよ。倉嶌家の名前に傷が付く。先祖に申し訳が立たない」
「解決できるはずの案件を解決しなかったら、依頼人に申し訳ないでしょう。つまらない意地はいい加減に捨てましょうよ。楠原さん、そんなに悪い人じゃないですよ」
「皐月は何重にも間違ってる。まず、私の意地はつまらなくなんかない。次に、楠原の人格を過大評価してる。というか見誤ってる。最後に、私は依頼を解決できないなんて言ってない」
溜息が出た。「こういう調査なら、楠原さんに頼むのがいちばんじゃないですか。さすがの部長だって、あの人以上の調査能力を自認してるわけじゃないでしょう?」
ふん、と彼女は鼻を鳴らして、「あいつの能力はいちおう認めるよ。でも必要ない。あくせく手を動かしたりしないで、観察と推論で答えを導き出すのが私のやり方だから」
「自信たっぷりですね。でも頭を働かせるなら、正確な資料は必須じゃないですか? いくら推論を重ねたところで、土台となる事実が間違ってたら意味がないわけですし」
「それはそうだけどさあ」年取った猫のような緩慢さで、琉夏さんが頭部を持ち上げる。「ねえ皐月。考えたんだけど、公園の遊具説は間違ってる気がしてきたんだよね」
「はい?」
「だから、その説は間違い」
「私の説を検討してみようって、このあいだ決めたじゃないですか」
「確かに決めた。でも考えが変わったの。せっかく案を出してくれたとこ悪いんだけどさ、改めて――」
「じゃあいいですよ」頭に血が昇った私は、変に大きな声を出して相手の言葉を遮った。「そんなに気に入らないなら、このアイディアは私が検証します。部長は手出ししないでくれますか」
琉夏さんはとくだん動じた様子もなく、ただ目をぱちくりとさせ、「別にいいけど。でも非効率的だと思うよ。まるっきり無駄とは言わないけどさ、遠回り」
「私は必要とあれば自分の手足を動かすことも、人に頭を下げることも厭いませんから。部長に部長の意地があるように、私には私の意地があります」
「理解はするよ。ただ避けられる苦労なら、避けたほうがいいのになって思うだけ」
私は立ち上がり、自分の鞄を肩に掛けた。「お疲れさまでした。今から楠原さんと話してきます。文芸部ではなく、私個人として」
そういった次第で、私は足音荒く部室を後にして生徒会室を尋ねた。楠原さんはテーブルに向かって、なんらかの資料を読み込んでいる最中だった。
「――倉嶌に命令されて来たのか」顔も上げないまま、楠原さんが淡々と発する。この人はこの人で、相変わらずである。「だったら悪いけど聞いてやれない。自分で来いって言っとけ。まあ仮に来たところで、あいつのためには指先ひとつ動かしてやる気にはならないけど」
「違います。楠原さん、先日お会いしたとき、どうしても困ったら来いって言ってくださいましたよね。私に手を貸していただきたいんです」
彼女は椅子を回転させ、こちらを振り返った。「どういう頼みだ」
「ある公園の歴史についての資料が欲しいんです。できれば写真付きで」
事情を説明した。琉夏さんよりよほど真剣な面持ちで、楠原さんは話に耳を傾けてくれた。
「このあたり出身の芸術家で、十何年か前に公園のデザインに関わったとなると――おそらく天沢清雲だろうな。自治体絡みの計画だったんだろうし、なにかしらの記録は残ってるはずだ。探してやってもいい」
「本当ですか」
「天沢清雲は竜をモチーフにした作品をいくつも残してる作家で、慈善活動にも熱心だった。たぶんお前の考えは間違ってない。なにより、きっちり資料に当たろうって姿勢に感心した。ここで少し待ってろ」
生徒会室の質素な椅子で待機しているあいだ、やはりこの人に相談に来て正解だったと私は思った。一歩ずつ着実に歩を進めて金に成るような楠原さんの思考法は、真似できるかはともかくとして、私にも深く理解できる。素直な敬意を抱ける。
いっぽうの琉夏さんは桂馬飛びだ。考え方にも言動にも、ついていけない部分がかなり多い。よくよく話を聞いてみれば論理的には違いないのだが、彼女が自身の能力を遺憾なく発揮する場面はきわめて限定的で、日常的に接している私からすれば「のらくらな人」という印象がどうしても強くなってしまう。
そんなことをあれこれ考えているうちに、楠原さんが戻ってきた。携えてきたファイルをテーブルに広げる。古い新聞記事のスクラップだ。
「これだ。例の公園をデザインしたのは、やっぱり天沢清雲だった。竜の遊具も確かにあったよ。尻尾は階段、顎の下には上り棒。二か所から背中に登ったり下りたりできる仕組みだったみたいだな」
私は顔を近づけて写真に見入った。高校生の私でも本物と見間違えそうなほど見事な竜が、そこにはいた――。
どっしりとした四本の脚に支えられた胴体。両の肩から伸びた、蝙蝠を思わせる翼。奇怪な突起に覆われた頭部。どれを取っても公園の遊具の域をはるかに超えている。むしろ幻獣をこの世に顕現させたうえで、遊ぶための機能を後付けしたように見えた。
「かなりの出来栄えだろ。当時はずいぶん話題になったらしい。ところがこの遊具っぽくないビジュアルが、かえって仇になった。安全面は本当に考慮されてるのかと、どこからかクレームが付いたんだ。で、実際に事故が起きたわけでもないのに、こいつは撤去されることが決まった。今から十一年前の話だ」
時期も合致する。私は楠原さんを見上げ、慎重に、「せっかく作ってもらったのに。それに作者側、天沢清雲はなにも文句を言わなかったんでしょうか」
「別の記事に、本人のコメントがあった」楠原さんが頁を捲り、読み上げる。「子供たちの安心、安全が最優先です。それに竜は決していなくなったりはしません。会いたいという思いさえあれば、必ずその姿を見せてくれます。竜はいつでも皆さんと一緒なのです」
昂奮と物淋しさが綯い交ぜになった感情が、胸中に込み上げた。
「その記事を、きっと酒入さんのお祖母さんは読んだんでしょうね。天沢清雲の思いを巧みに汲んで、自分の孫に伝えた。竜は消えたんじゃない。旅に出ただけなんだって」
「満足したか?」楠原さんが唇の端を湾曲させて言う。「資料は特別に貸してやる。せっかくだから倉嶌に見せてやれ」
「はい。ありがとうございました」
私は深くお辞儀をし、ファイルを受け取ってドアへと向かった。廊下へ歩み出そうとした瞬間、ふと思い付いて、
「あの、もうひとついいですか」
「なんだよ」早くも自分の作業に戻りかけていた楠原さんが顔を上げる。
「前回の模試の古文で、竜の話が出たそうですね。オリジナル版と、のちに芥川龍之介が書いたバージョンだと、結末は正反対になっている。なぜだと思いますか」
急に質問したにもかかわらず、彼女は澱みない口調で、
「芥川は単にラストをひっくり返したわけじゃなくて、別の物語とミックスしたんだ。あの話の舞台になった猿沢池には、もともと龍神の伝説が残ってる。『春日龍神』って能の演目もある。その前提を踏まえれば、現れても不思議じゃないだろ。竜は存在してたんだよ、初めから」
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