笑い飛ばせるようなもの
「っ⁉」
僕はがばっとベッドから身を起こす。冷や汗が僕の体の全身を包み、まるで悪夢から目が覚めた時のような気持ち悪さを抱いていた。
真っ暗な部屋を見渡す。いつもの午前五時半を伝えるデジタル時計。
そして、暗闇の中ぽつんと立っているハイイロさん。
「さ、いろいろ訊きたいことあるんじゃないの?」
ハイイロさんは、明るい声でそう言う。
何故制限時間が三日間に縮まったのか、何故一度腕を切っても罰欲センサーが発動しなかったのか。ハイイロさんの言う通り、訊きたいことはたくさんあった。
だけど今は、何も考えたくなかった。心を落ち着かせる時間が欲しかった。
「ごめん、今は、誰とも話したくない……」
「そっか。でも、あんたにとって話さなきゃ都合が悪いことがいっぱい溜まってるんだ。そのことは忘れんなよ」
そう言って、ハイイロさんは消えていった。
そのあと、僕はずっとベッドの中でうずくまっていた。
六時。お母さんが朝食の用意をし始めるころ、僕はリビングへと歩いた。
ドアを開け、リビングに入る。お母さんは、いつものように目玉焼きを作っている。
「おはよ、眞白」
フライパンに目を向けながら、お母さんは言う。
「おはよ……」
僕はその背中に挨拶を返す。
そして何も言わない時間が流れる。その空白を埋めるように、テレビの中のアナウンサーが政治のニュースを伝えている。
「眞白、昨日は大丈夫だった?」
フライパンに目を向けながら、お母さんは話す。
「え……」
「詩織先生から電話があったのよ。お友達の亜黒君が倒れて、眞白が助けてくれたって。帰るとき、眞白の表情が暗かったから、詩織先生は心配してたんだって。亜黒君はあの後、ちゃんと体調は良くなったみたいよ。昨日私、残業があったから帰りは遅かったけど。とにかく、亜黒君のことが心配だったんでしょ?」
お母さんの優しい声色に、僕の心は和らいでいく。そうだ。僕は僕の大好きな亜黒が倒れたのが心配で、これ以上自分を傷つけてほしくなくて……。
「眞白はすごいよ。眞白、あなたはちゃんと人のことを思いやれる子だよ。でもね、人一倍自分を責めちゃうところがあるんだよね?」
僕は息を呑む。お母さんには、僕がそんな風に見えていたのかと思う。
「小学生の時の事覚えてる? 私あの後分かったの。本当は、眞白はやってはいけないことをしてしまったとき、きちんと反省できる子なんだって。本当は、人の感情に敏感な子なんだって。でも眞白は、それで一緒に苦しんじゃう所があるんだよね。時には自分を責めて、時には自分を傷つけて。私はその、自分を大切にしないところがとても心配だった……」
違うよお母さん……。と、僕は心の中で呼びかける。僕は人の心なんて分からない、自己中心的な人間なんだよと。
それでも、お母さんの言葉は的を得ているようにも感じてしまった。僕はそれが余計に辛かった。人の感情に敏感だから、自分の事を大事にしないから、あの時パニックになってしまったんじゃないか、罰欲センサーに縋ってしまったんじゃないか。そんな気がしてならなかった。僕がもっと冷静になれる人であれば、今このような状況は起こり得なかったのではないか。
お母さんは出来上がった目玉焼きをお皿に盛りつける。お母さんがフライパンをホットプレートに戻すと同時に、僕はしゃがんで泣き始めた。
「ああああああああっ……」
ずっと溜め続けた感情が、溢れ出していく。
僕はずっと辛かった。自分を傷つけることが。自分を責めることが。だけど、そうでもしないと自分を保っていられなかった。亜黒と出会ってから今まで、僕はずっと亜黒のことを考えていた。ずっと一緒に居たかった。でも僕は亜黒に告白して、亜黒の思いを踏みにじってしまった。友達だった関係を壊してしまった。だけどそのことは、思えばただの青春の一ページとして、苦い思い出として刻み込まれるはずのものだったんじゃないか。いずれ大人になって、そんなこともあったな、と笑い飛ばせるようなものだったんじゃないか。
でも、僕は自分が嫌いだったから。そのせいで感情的になってしまったから。僕はあんな事故を起こしてしまった。笑い飛ばせるような出来事ではなくなってしまった。罰欲センサーに縋ってしまうような人生に足を踏み入れてしまった。
要するに、僕は自分の罪に向き合うことに耐えられない人間だったんだ……。
誰だって、誰からも許されるような人生を歩むわけではない。間違いを犯さない人間なんて一人もいない。そんな世界の中で、僕はそのことに耐えられなかった。だから自分を傷つけて、僕はきちんと反省しましたよと、誰かに示したかった。でも誰も、そんなことを求めていなかった。
気づけば、僕は不器用な温かさに包まれている。
「お母さん……」
僕はお母さんに、抱きしめられていた。
「眞白、あんたは成長したね……」
違うよ。違うよ。僕は心の中で声を上げる。
何も僕は成長していない。罰欲センサーなんかに縋って、自分勝手に許されて、いいはずがない。こんなこと、小学生の時に鋏で自分を傷つけようとした時よりもっとひどい。
僕のやっていることは自分勝手だって、罰欲センサーを使ってようやくわかった。でももう、何もかも遅かった。
「ねえ、お母さん……」
救いを求めるように、僕は言った。
「僕、ずっとね、あっくんのことが好きなんだ……」
僕の支えになるものは、ずっと亜黒だった。亜黒はとても優しくて、人の感情に敏感で、自分の感情に敏感で、そのせいで自分を責めて。僕はそんな亜黒に惹かれていったんだ。僕の最大の心の拠り所は、亜黒だったはずなんだ。放課後に亜黒と過ごす時間がとても大切で、お互いに自分を認めあうような時間は、とてもかけがえのないものだった。
僕は亜黒の奏でる音色を聴きたい。亜黒と一緒にいたい。そして亜黒は、僕がピアノを聴いてくれるのがとても嬉しいと言ってくれた。まるでお互いの存在意義を確認し合うように、僕達は放課後一緒にいたんだ。友達として、長い時間を過ごしていたんだ。
「そう……。ほんとに眞白は、大きくなったね。ちゃんと友達もできて、好きな人だって出来て、私、凄くうれしいわ」
お母さんの言葉に、僕はまただらだらと涙をこぼした。
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