あなたの影に溶ける
ヒロ
第1話
「おはよう。」
私の一日は傘をさすところから始まる。
真っ暗な部屋に挨拶をして、私は傘をさす。内側にライトが取り付けられた特殊な傘だ。
真っ暗な家の中でライト付きの傘をさす、という奇妙な行為には大きな理由があった。
「おはよう。」
キッチンの方からヒカルの声がした。美味しそうな匂いも漂ってくる。
今日の朝ごはんは何だろう。
うきうきしながら、私はリビングへ向かう。
私には『影に触れると体が欠けてしまう』体質がある。
暗闇に体を置くと少しづつ欠けていってしまうのだ。勿論、全て欠けてしまえば、私は消えることになる。だから、このおかしな傘は私の命をつなぐ生命線だった。
けれど、それだけでは家の中で傘をさす理由にはなり得ない。
「今日は、アンの好きなオムライスだよ。」
キッチンでは、ヒカルが玉ねぎを炒めていた。
「楽しみ。」
私が言うと彼は柔らかく笑う。
もう一つの理由は、私の夫であるヒカルにある。
彼は『光に触れすぎると消えてしまう』病を患っている。私の体質とは対照的な病だ。
光に触れているとそれが体にだんだんと蓄積されていき、最後には光そのものとなって散ってしまう。これまでの人生の中で浴びた光で、彼の体はすでに蛍のように鈍く光っていた。
光に溢れているこの世界では、きっとヒカルのほうが生きづらさを感じることだろう。
私の体質とヒカルの存在こそが、私が室内で傘をさす理由だった。
暗いところにいられない私と、明るいところにいられない彼を繋ぐ架け橋。
それがこの傘、というわけだ。
「美味しそうな匂い・・・。」
出来上がったオムライスを前に、口の中が唾液で満たされる。
「最近は毎日オムライス食べてるけど、大丈夫?」
困ったようにヒカルが言う。
「大丈夫だよ!だって私の一番好きな食べ物だから。」
ケチャップを塗り拡げてからスプーンで一口分、口に運ぶ。
「やっぱり美味しい・・・。」
頬に手を当てて顔をほころばせる私を見てヒカルが目を細めた。
「こんなに美味しく作れるのはオムライスだけだよ。」
それから、二人でまた笑い合う。
ご飯を食べ終わると、私達はソファに腰掛けた。
お気に入りの音楽を流して、それに耳を傾ける。このなんでもない時間は私達の日常で、私の一番好きな時間でもあった。
「手、繋いでいい?」
ヒカルが尋ねる。
「いいよ。」
手を繋いでいると、否が応でもヒカルが私の傘の光に当たってしまう。
だから、長時間そうしていることはできない。それでも、私達はいつも手を繋いでいた。
「アン、また指先が欠けちゃってるよ。」
私の薬指を撫でながらヒカルが言う。
「ああ、この前うっかり・・・。」
「・・・ごめんね。」
心配させまいと言ったつもりだったのに、ヒカルが悲しそうに目を伏せるので私まで辛くなってしまう。
「大丈夫。私より、自分のことを心配して?前より光ってる気がするよ。」
「・・・うん。」
私達はどうしても、お互いを蝕みながら生きていくしかない。
この生活を続けていれば、私達はいつかきっと消えてしまうだろう。
けれど、それでも構わない。この幸せな時間を最期まで共有できるなら、この人と一緒に消えていきたい。
私は、そう思っていた。
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