第十話 決意



『……また打ち切られた。今の帝国とは取引なんてできないって』


『そんなっ。これで十件目じゃない。どうするのよ、これじゃあーー』


 リビングに伸し掛かる重苦しい空気。

 

 どうやら我が家が経済的に追い詰められているようだ、とサラ・ハインベルが気づいたのはいつだっただろう。

 夜、お父さんとお母さんの二人が暗い表情で言葉を交わしあう日が増えたのはいつからだっただろう。

 それはよく覚えていない。

 ただ日に日に減っていくご飯のおかずや家の中の物、そして止まり始めた電気やガスを考えれば、もう既に限界が近いだろうことはサラの目にも明らかだった。


『どうしたの、ねーね?』


『いいえ、何でもなりませんよ』


 暗闇に包まれた部屋の中、幼い妹リラの手を握りしめる。

 

 お父さんたちが始めた仕事は外国に向けた娯楽品の販売。

 それも丁度どこかからお金を借りたタイミングで躓いてしまったらしい、サラが小学五年生に上がった頃には怖い人たちの取り立ての声まで家に響くようになった。


 何とかしなければいけない。

 お父さんたちのためにも、何よりも自分を慕う妹のためにも。


『お父さん、お母さん。私、これに応募してみる』


 だからその募集を見つけられたのは本当に幸運だった。 


 仕事内容は地球テラージュ侵略に赴くローゼ殿下の御側付きおそばづき

 期間は未定。報酬は一括前払いで、その金額はニュースでしか見たことがないくらい大きな桁の数。

 

 でも、それがまともな仕事じゃないことはみんな分かっていたんだと思う。

 あまりに低い対象年齢や、注意書きの欄に並ぶ「身の安全を保証しない」や「期間中の外部との連絡は不可」等の怪しい文面。そして女児好きなど、まことしやかに流れる彼女に関する噂。

 こんなの「お金をあげるから命をちょうだい」と言っているようなものだ。普通の人なら絶対に応募しない。

 その証拠に募集期間はどこまでも伸び続け、しまいには「対象年齢を数年超過していても可」という文章が追加する始末だった。


 けど、それでもサラは構わなかった。

 そのおかげで自分が応募できるようになったし、みんなを助けるためなら、自分の体なんて犠牲にしてもいいと思っていたから。


 お父さんたちは当然猛反発した。

 私たちのためにそこまでしなくていい、とかサラをそこに送るくらい死んだほうがまし、とか嬉しいことを言ってくれた気がする。

 でも結局、何度も「私は大丈夫だから」「きっと戻ってくる」「二人はリラを大事に育ててあげて」と説得すると涙ながらに許してくれた。


 沈痛な面持ちの二人ときょとんとした様子の妹に別れを告げ、サラが案内されたのはあの最悪な部屋だった。

 牢屋に閉じ込められた11人の少女たちと、部屋に並ぶ見たことがない道具。それが何なのかはサラには分からない。けれど年端もいかない少女たちを満足な食事も与えずに放置していた現状を考えれば、その用途がロクなものではないことだけは察せられた。


 ……ああ、やっぱりですか。


 それを見てサラの心に広がったのは小さな失望だった。

 帝国かれらの勝手に振り回される我が家をずっと見ていたから、ある程度覚悟はしていた。

 同時に、一番の年長者として他の子たちを守らなければいけないとも思った。

 かの悪逆令嬢ローゼ・ジンケヴィッツの魔の手から皆を守り、必ずや全員で生きて帰ってみせると心に決めたのだ。


『お前たち、よく来てくれたな。

 私がお前たちの主人、ローゼ・ジンケヴィッツだ。

 どうやら不幸な行き違い・・・・によりお前たちをここに閉じ込めてしまったみたいだが、それもここまでだ。

 皇女たる私のメイドになるのだ。私と並ぶに相応しくなれるよう、性根から鍛え直してやろうじゃないか』 


 だからこそローゼ様がそう言った時は本当に驚いた。

 正直、疑ってさえもいた。きっとこの後希望を抱いた自分たちを地獄に突き落とし、その様を眺めて悦に浸るのだろうと。

 

 さりとて、それから訪れたのは実に穏やかな日々だった。

 夜はローゼ様の部屋で一緒に寝て、昼間はタブレットで勉強とは名ばかりの娯楽を楽しむ。マリーナさんに渡された教材を読み込む以外の時間は、彼女たちの多くが絵本や漫画を眺めているのも、ローゼ様がそれを微笑ましそうに見ているのもサラは知っていた。


 食に困るわけでも、厳しいしつけがあるわけでもない。

 まるで裕福な家庭で生まれた姉妹たちがのんびり暮らしているかのような生活。

 そこに流れるゆったりとした時間が、サラは好きだった。

 ここ数年、お父さんたちは仕事に、サラは家事に追われ、家族団らんの機会なんてないに等しかったのだ。

 むしろあちらに残したリラに申し訳ないと感じるくらいには気に入っていた。

 とはいえ借金も今回の報酬で簡単に返せるらしいし、あの真面目な二人の元でなら彼女もそんなに不自由な思いはしないだろう。

 ローゼ様はサラと彼女の家族、その両方を確かに救ったのだ。


 恩人たるローゼ様と一緒にご飯を食べてお風呂に入る。

 こんな日々がずっと続けばいい、と確かにそう思っていたのにーー


『ローゼ様が活躍する映像を借りてきたでありますっ。

 鑑賞会ですよ、鑑賞会っ』

 

 ロゼッタが持ってきた一つの映像。

 それはローゼ様と敵との戦闘場面だった。


 勿論、最初はサラもかっこいいと思った。

 でもすぐに気付いてしまった。ローゼ様は信念や自国民の為ならば自分の身すら顧みずに飛び込める、飛び込んでしまう人なのだと。


『ありゃりゃ、てっきりこれで終わると思ったのに。

 はっ、いいねェ、戦争はやっぱそうじゃねえとな』


 画面では敵が放った攻撃がローゼ様が乗る機体を掠めるところだった。


 ……もしそれが当たっていたとしたら、自分たちは、この生活はどうなっていた?

 それ以上にローゼ様本人の命は?


『もし、もしもだ。

 私が道を踏み外したらーーサラ、お前が私を止めるんだ。分かったか?』


 そして極め付けは、不安で眠れなかった昨日の夜に聞いたあのセリフ。


『ローゼ様はひきょうです、かってですっ。

 私達にはローゼ様しかいないのにっ』


 本当に卑怯で、自分勝手だ。

 サラたちを絶望の淵から救っておきながら、その恩返しの機会すら許してくれない。その重荷をたった一人で抱え込み、あまつさえその主従関係を利用して自分を止めろなんて酷なことを言う。


 結局、ローゼ様はどこまでも自身の幸せに疎いのだ。

 だからこそ簡単に命を危険に晒せるし、己より周りを優先しようとする。サラたちが彼女にどれだけ救われたのかも分かっていない。


 そんなの、許せるはずがなかった。

 ローゼ様が苦しそうに微笑む姿なんて見たくなかった。


「どうしたの、サラおねーちゃん、こわいかおだよ? 

 ほら、にぃーってしないと」


「……わかってますよ」


 のほほんとしたエリーの指摘に、サラは口を緩める。


 ……とはいえ、昨日のは流石にやりすぎましたね。

 あれではただの子供の癇癪じゃないですか。

 

 別にローゼ様に悪気があったわけではないのだ。

 ただ良かれと思って行動しただけ。怒るなんて筋違いもいいところだ。


 サラたちに出来ることはーー彼女の助けとなるべく研鑽を積むこと。

 そして分からせて・・・・・あげるのだ。サラたちがどれだけローゼ様を思っているのかを。


 そのためにまずはみんなの意識改革から始めるべきかもしれませんね、とサラはあたりを見渡す。


「サラ。なんかローゼ様が呼んでるみたいだぜ」


「? わかりました」


 ニーナに呼びかけられ、サラは応接間を出る。

 廊下で待っていたのはどこか挙動不審気味のローゼ様。

 昨日の夜の事があってからローゼ様はどこかに行ってしまったので、こうして顔を見合わせるのは半日ぶりだ。

 しばしの沈黙の後、彼女は頬をかきながら話し始めた。


「その、なんだ。

 さっき向こうの奴らに命令して、お前たちの実家や付近の孤児院と連絡を付けてな。契約を違えることになるが、一応私の世話係になる以外の道もーー」


「は?」


 思わず、サラの口から純粋な驚嘆が漏れる。


 家族との連絡はまだいい。

 問題は孤児院にも連絡したと言っていた事でーー


 ーーローゼ様はサラたちを遠ざけようとしてる? 

 なあぜ、なぜなぜ?

 

 ……なんて、分かり切ってますよね。


 僅かな息を吐いて、迸る怒りを抑える。


 間違いなくそれはサラたちを思っての事だ。

 ここに来るしかなかった自分たちに、ローゼ様は選択肢を与えようとしているのだ。それも家庭環境が良くない子たちに配慮した形で。


 周りから自身がどう思われるかなんて関係ない。

 ただサラたちだけの事情を考えた提案。


 ……ああ、もうっ。本当にこの人はっ。


「そうですか。

 でも私、ローゼ様の傍を離れるつもりなんて一生ありませんから。

 ーー私を救った責任、ちゃんと取ってくださいね?」


 目を白黒させるローゼ様の前で、サラはそう決意を固めるのだった。

 

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