元魔法少女ですが、恋をしてもいいですか?

たもつ

第1話 再会

 舞台から降りた登場人物たちは、その後、どうやって生きていけばよいのだろうか。


 入学式の興奮もようやく落ち着いて、学校の木々も葉桜が目立つようになった4月中旬。

 まだ肌寒い風が吹き抜ける下校時間。

 水面に浮かぶ波紋のように、何重にも円を描くようにブロックで舗装された道路にへばりついた桜の花びらを踏みしめ、ローファーの靴底にがこびりつく感覚を不快に思いながら歩く少女がいた。

 ゆるい黒髪のくせ毛を一つにまとめ、指導を受けない程度にスカートの丈を短くした黒のセーラー服を身にまとった姿は、極めて平均的であったが、白い素肌、紫にも見える深く、黒く、大きな瞳、他者からの接触を拒絶する冷ややかな表情は、どこか浮世離れしているように見える。肩に掛けた艶やかな黒革のスクールバッグには女子高生らしいアクセサリーやデコレーションもなく、新品同様だ。

 女子高生という記号だけが、彼女を定義付け、それ以外の定義を拒んでいるような、そんな空気を孕んだ少女は、一人黙々と帰宅の途についていた。

 舗装された歩道でふと立ち止まる。風に揺れる桜は夕日に照らされて、ユラユラと明滅している。

 そこへ、桜を見上げて立ち止まっていた少女を追い越すようにクラスメイト走ってきた。

 クラスメイトとは認識できるが、名前が思い出せない。興味もない。

 少し追い越して、くるりと向き直って少女の進路を妨害し、少女に声をかける。

観羽根みはねさん、待って待って!今日、カラオケ行かない?」

 溌剌とした物言いは、入学したばかりの高校一年生らしい――友だちづくりに躍起になっている――しかし、眩しく、微笑ましく、そしてなんだか羨ましい、そんな雰囲気があった。

 観羽根瑞月みはねみづきは、相手に不快感を与えないように、けれど、にべもなく断りの言葉を口にする。

 「誘ってくれてありがとう。でも、夕飯作らないといけなくて。ごめんね」

 嘘ではない。しかし、クラスメイトと必要以上に関わりたくないというのが本音だ。

 ――それ以上、近づいてこないで。

 興味がない、関係を持ちたくない、嫌われない程度に、最低限の人間関係が良い。

 さも残念そうに困り顔で断る瑞月に、クラスメイトは「げー、夕飯作らないといけないの?大変だね。仕方ないね」と言って、後方に控えていたグループに合流していく。そのグループにも振り返って小さくて手を振り、最小限の交流も保ちつつ、その場を後にした。

 

 木の陰が、歩く瑞月を切り裂くように伸びている。

 西日の煩わしさが徐々に気にならなくなってくる。

 夕飯の献立、今日やった授業内容、小テストの予習について。

 彼女の今の生活を維持していくために必要なことを取り留めもなく考えながら、歩く。

 余計な思考を混ぜたくなかった。

 追加の買い足しは必要ないと決意した瑞月は、スーパーへの寄り道をする順路を取らず、アパートへの最短ルートに歩を進めた。

 古い大木の桜が御神体と言われる神社の前を過ぎていく。

 夜の帳が下りるにはわずかに早い黄昏時。彼女以外に人影や気配はなく、木々のざわめきだけが騒がしかった。

 舞い上がる花びらが、彼女の長い黒髪を一束、攫っていく。

 薄明の紫があたりを包んでいく。

 そのざわめきと夜を呼ぶ風が、ひどく寒々しい。

 黒のハイソックスとスカートの間の、僅かに直接外気に触れる肌の露出がひりつくように痛い。

 瑞月は僅かに歩む速度を早めた。


 築15年の、セキュリティ対策はそれなりの、飾らない外観のアパート。

 その一室へと帰宅した瑞月は、柔らかなグレーの部屋着に着替え、少し早めの夕食をとることにした。

 じゃがいもと玉ねぎの味噌汁。甘めの味付けの卵焼き。作り置きのえのきとほうれん草の和え物。昨日作った鶏の照焼きの残り。それから白米。

 「いただきます」

 食卓で一人、つぶやいて、箸を進める。

 自炊も3年目となると、工程を無駄なく、最小限の努力でこなし、満足のいく食卓にできる。

 食器の音と咀嚼音、外のささやかな喧騒が、部屋に響く。

「ごちそうさまでした」

 食器をさっさと洗い、その間にケトルでお湯を沸かす。

 週末なら丁寧に紅茶を淹れるところだが、明日も朝が早いことを考えて、インスタントのミルクティーを飲むことにした。

 キャニスターからスプーンで丁寧に規定の量の粉を掬い、少し歪な形をしたマグカップに入れる。どうやったらこんな色になるのか、いまだに不思議でならないが、淡いグラデーションのついた紫陽花のような色味のマグカップは、たった一つ、今も奥底に仕舞わない思い出だった。

 お湯を注いだマグカップを、ワークデスクの上のコースターに載せ、課題をカバンから取り出す。

「よし」

 高校一年生は、やるべき仕事が多いのだ。成績だって、簡単に落としていいものではない。

 そうでなければ、一人暮らしをさせてもらって、学校に通わせてもらって、真っ当な生活を赦してもらっている現状に、報いることができない。

 そんな気がしていた。


 

 予定のタスクが一段落して時計を確認すると、22時を過ぎていた。

 課題も予習もある程度終わったし、寝る準備に入ってもよいのだろうが、ミルクティーのカフェインのせいか、なんだかまだ目が冴えていた。

 褒められた行動ではないけれど、近所の神社まで散歩しに行くくらいは許されるだろう。

 なんとはなしに思い至って、外着に着替える。

 白いパーカーに黒いショートパンツを合わせ、黒いスニーカーを履く。

 外に出れば、夜風が冷たく、勉強で煮立った身体には心地良い。

 体を涼ませるように、人影のない街灯で照らされた道を歩いていく。

 ――夜のほうが自分に似合う。

 そんな感覚を覚えながら、夜の孤独を楽しむ。

 夕暮れの喧騒のような煩わしさのない、夜のざわめき。

 雑音が、不要な思考を取り除き、ただ、空気に身を任せるように揺蕩う。

 ――何でもないこの幸福を享受できている今に感謝しなくては。

 そういう強迫観念があることは自覚している。

 もっと普通にできればよいのに。でも、今という幸せが、普通ではない。それが、たまらなく、怖くて、寂しくて、不安だ。

 一度その思考の沼に嵌ってしまえば、夜の静寂は何の癒しにもならない。

 思考にノイズが走る。

 ――青い血に染まる父の姿。

 ――あの子に抱きしめられたぬくもり。

 ――精霊と交わした約束。

 ――腕を引いてくれた彼の声。

 ――何でもない人間として生きていくことを決めたあの日。

 「さよなら」はちゃんと笑って言えていただろうか。

 思い出さないように注意深く閉まっていた記憶の明滅。

 もう、なかったことにして生きていかねばならない。

 それが、自分にとっても、周囲にとっても、一番幸せなやり方だから。

 

 取り留めもなく、考えたくもないことについ現を抜かしていると、いつの間にか神社までたどり着いていた。

 月光に照らされた桜が幻想的で、昼間とは別の異世界のように感じられる。

 一礼して境内に入ると、荘厳な大樹から差し込む、夜の木漏れ日が足元を照らしていた。

 ふと、砂利を踏む感覚が、妙に気になる。

 葉の擦れるささやきに、ぞくりと背筋が冷えた気がした。

 神社の中は、まるで異界のようで。

 ――まるで、異界?

 不意に冷たい風が境内を吹き抜け、瑞月の周りに花吹雪が舞った。あたりは薄紫のうねりに覆われる。

 尋常ではないことが、瑞月の目の前で起こっている。

 耳に残る騒々しさ、視界の悪さに体を縮め、目を瞑る少女に向かって、突然、影が降ってきた。

 花吹雪を切り裂いて、がやってくる感覚に、目を見開いて、思わずそちらへと振り向くと、大きなが降ってきている。

 スローモーションのようにみえる人影の落下運動。

 降ってくるそれを、瑞月は衝動的に抱き止めようとした。

 驚き、畏れ、という感情が、エネルギーへと変換され、瞬時に彼女を包み、淡く、白く、輝く。

 自分と同程度か、それ以上に大きな質量の物体が、それなりの加速度で落下してくる。

 無傷で済ませるために、衝動的に、は放出されていく。

 光で包み込むように人影を抱え込む。

 「っ!」

 衝撃は殺しきれず、境内の砂利をえぐるように吹き飛ばされる。

 それでも、抱えた人影は離さず、賽銭箱に背中を打ち付けて、止まった。

 ジンとした痛みが体中に広がる。

 体内からあふれ出た光が、収束し、痛みを和らげていく。

 ――契約を破棄しても、魔力はとっさに使えるのね。

 多少緩んでも、容易く動くことは許してくれない痛みに、大きく息をする。

「っはぁっ!」

 胸いっぱいに息を吸い込むように、酸素を取り込む。

 はぁ、はぁと連続で息を継いで、ようやく状況が把握できるようになった。

 抱え込んでいるのは、どうやら自分より大きな人間。匂いから察するに男性のようだ。

 闇に紛れて判別は難しいが、白髪にも銀髪にもみえる色素の薄い少し固そうな髪が、瑞月の顔の前を塞いでいる。

 ――お、重い。

 気を失っているのか、完全に脱力しており、光を失った今、瑞月は男性を立って支えることができず、押し倒されるような形で、ズルズルと倒れた。

 賽銭箱と男性に挟まれた瑞月は、中途半端に斜めに倒れた形になり、全体を確認すると、瑞月の胸元に、気を失った青年が顔を埋めている格好になっていた。

 羞恥で沸騰したように顔が熱くなる感覚を覚えながら、青年を引き剝がそうとするが、うまくいかない。

 そうして格闘していると、ふと、その顔に見覚えがあることに気が付いた。

 

 1年、顔を見ない間に、少し顔つきが変わっていた。

 

 ――どうして、こんなところに。


 忘れたくて、忘れられなくて、思い出に蓋をする度に勝手について回ってきた。

 そんな初恋の記憶。


 初めて恋をした男子が、目の前にいた。

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