第70話 鬼子とヒダル

 クロエちゃんとあたしは冬凪の手を借りて船底のような所から出て、さらに階段を上って空祭壇の間に戻ってきた。

「山の上はさすがに寒いね」

 クロエちゃんは奥の暗闇からブルーシートを引き摺って来ると空祭壇に寄りかかって座った。クロエちゃんを真ん中に冬凪とあたしを左右に座らせて、

「これでしのげるといいけど」

 ブルーシートをかけた。それを掛けてすぐには暖かくならなかったけれど、クロエちゃんにくっついているだけでポカポカした。そのうち皆んなの体温で中も温かくなって来た。そうなると隙間が気になってしまい、こっちのを無くそうとすると、あっちが開いてしまい、あっちを閉めるとこっちがってなって、冬凪とあたしとの争奪戦がしばらく続いたあとどちらからということもなく急に止んだ。社殿の中に沈黙が広がる。ブルーシートについていた砂埃がサラサラと音を立てて板間に落ちる音が、やけに大きく聞こえた。

 それからクロエちゃんが色んなことを話して聞かせてくれた。それは、どうしてここの地下が船底のようになっているかとか、どうやって地獄に行ったかとか、地獄で何をしたかとか、どうやって戻って来たとかの話しだった。それを子守唄のようにうとうとしながら聞いているうちに寝てしまったようだった。

「おはよう。よく寝られた?」

 ブルーシートの外にいるクロエちゃんが膝と手をついてあたしの顔をのぞいていた。いつから見ていたんだろう。

「夢も見なかった」

 床に横たわってブルーシートを掛けられているのはあたしだけだった。冬凪は?

「外に顔洗いに行ったよ」

 顔をあげて出入り口の襖を見ると外はもう明るかった。

「何時?」

「6時過ぎた所」

 わりと早起き。

「顔洗っておいで。手水気持ちいいよ」

 ブルーシートを避けて起き上がり、簡単に畳んでから外に出た。空は雲ひとつない晴天だったけれど、お日様はまだ見えていなかった。それはここが急な斜面の底にある神社だからだ。目の前の3本足の鳥居、石畳の参道。その脇に小さな手水舎。そこで冬凪が目をつぶって腰にぶら下げたタオルをまさぐっていた。階を降りていって、

「おはよ」

「おはよ」

 冬凪は顔を拭きながら答えた。

「冷たくて気持ちいいよ」

 龍口から落ちる水の中に紫と黄緑色の綺麗な実がいくつか浮いている。

「お腹すいたから裏のイチヂクとって来た」

 突然、あたしの頭の中で声がした。

「それ虫が沸いてるぞ、ミユウ」

 目の前にユウさんが立っていたけれどすぐかき消えた。軽いデジャヴに襲われた感じだった。

「これ食べちゃダメなやつ」

 咄嗟に手が出て一つ取って中を割って見ると小さな黒い虫がわんさか蠢いていた。

「ほら」

 冬凪がそれを覗き込んで、うぇっと言ったあと、

「なんでわかったの? クロエちゃんに教えてもらったの?」

「ううん。なんでかわかった」

 冬凪が不思議そうな顔であたしを見たけど、あたしのほうがよっぽど不思議だった。というのは、あたしはここに来たことがないはずなのにここのことをよく知ってる気がするからだった。

 社殿に戻って、

「ご飯食べに行くよ」

 クロエちゃんの号令で鬼子神社を出発した。でもご飯にありつけるのは山道を1時間以上ひたすら歩いて四ツ辻に着いてからだと言った。それを聞いただけであたしのお腹は猛烈な空腹に襲われた。だって、昨日の異端のタコライス以来何も口に入れていなかったから。

 来た時とは別方向にある石段を登ると、杉木立の中にまっすぐな石畳の道があった。それは正式な参道らしく杉木立のトンネルが切れるあたりに朱に塗られた3本足の鳥居が見えていた。

「気をつけて。すべるから」

 クロエちゃんが言ってくれたのに、早速こけたのはあたしだった。敷き詰められたゴロタ石全てが苔むして緑色をしていた。尻もちはつかなかったけれど、手をついた時に手首を捻ったらしく、それからずっとズキズキと痛みに耐えながらの山道になってしまった。

 山道をしばらく歩いていて、クロエちゃんが、

「休もう」

 と丸太のベンチに腰掛けた。そこは休憩所兼見晴し台で、遠くに霞んで見えるのはおそらく辻沢の街並みなんだろう。

「あれって青墓の杜だよね」

 西山の裾野に近い所から黒々とした森が広がっていた。真ん中あたりに小高い丘がハゲ頭を出していて、それが青墓で一番高い亀山だとクロエちゃんは教えてくれた。それから北の端の辺りはヒイラギ林でその根の下は流砂地帯なのだそう。なんでそんなに詳しいのかと聞いたら、

「学生の頃ユウと一緒にスレイヤー・Rというバトルゲームに参戦したから」

 と言った。

「スレイヤー・Rって、あの?」

「逆に夏波は知ってるの?」

 知ってるも何もプレイヤーに襲われた。でもそのこと、クロエちゃんが知ってる範囲なのかどうかわからなかったから冬凪に目線を送って確認を取る。冬凪は小さく首を振ったので、

「町誌を読んだら出てた」

 と苦しい言い訳をした。

「そんなことまで書いてあるんだ。顕示欲お化けの元辻川町長だな、それ作ったの」

 なんとか誤魔化せたけど、後でどこまで言っていいかとか冬凪と擦り合わせしておいた方が良さそうだと思った。

 再び山道を歩き出したけれど、お腹が空き過ぎて歩けなくなった。するとあたりの草陰から例の音がし始めた。下草を掻き分け踏み分けて付き従う音。ヒダルが森の中であたしのことを伺っている。冬凪はこっちが死なない限り大丈夫だと言ったけれど、こう執拗に付け狙うからには、ヒダルとあたしとの間に何か特別な繋がりであるんじゃないかと思ってしまった。闇落ちのエニシ的な。すると冬凪が、

「あの人知ってる」

 と草陰の怪しげな姿を指した。向こうもそれに気づいて大きな木の後ろに隠れたけれど、あたしにもその顔がハッキリと分かるくらい緩慢な動作だった。まるで見られても平気と言っているよう。

「誰なの?」

 そっちをじっと見つめる冬凪に聞いた。

「知り合い。以前は鬼子だった人。あの人はずいぶん前にヒダルに取り憑かれてしまった」

 クロエちゃんがさらに付けてして、

「きっと宿主の体がそろそろ死ぬから次の体を探しているんだよ」

 クロエちゃんは山道を歩きながら鬼子とヒダルの関係を話してくれた。行旅死亡人の残留思念と言われるヒダルは、他人の魂を吸い取って体を乗っ取り、その人に成り代わる人外だ。それに対し鬼子の魂は、舟にのる人のように体から体を乗り変えて前世、現世、来世と生まれ変わってゆく。それは鬼子の体が魂の入れ物ということだから、ヒダルにしてみれば乗っ取りやすい存在となって鬼子に群がるらしい。これまで多くの鬼子がヒダルに体を乗っ取られてきたため、鬼子の最後はヒダルと諦めている人までいるそう。

「そんなことないのに」

 クロエちゃんは寂しそうに言った。

 四ツ辻に着いたのは8時を回ったところだった。

「ここも結界になっててね」

 冬凪に言われなくても、それはなんとなく感じた。集落に入った途端に木の芽の香りを感じたからだった。それは山椒農家の集落というだけではない気がした。

 冬凪があたしの手を引いて、

「こっちだよ」

 と案内をしてくれる。いつになく楽しそうだ。ここは冬凪が夏休み前に山椒摘みのボランティアで来た場所で、前から仲良くしてもらっている紫子さんがいる。その紫子さんの家に向っているからだろう。

 坂の上の大きな茅葺き屋根の家の玄関先で冬凪が、

「紫子さーん。夏波連れて来たよ!」

 めっちゃ大きな声で叫んだ。すると奥から出てきたのは藤色の和服姿の女性で、びっくりするくらい綺麗な、というかこの人……。あたしが声が出なくて黙っていると、冬凪が、

「分かった? そうだよ。この人が」

 まで言ったのを、その和装の女性が引き継いで、

「紫子です。よろしく夏波ちゃん。初めましてじゃないんだよ」

 と言ったのだった。

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