第50話 蘇芳家

 千福家の土蔵のある竹林で鞠野フスキに会った後、ホンダ・バモスTN360の後部座席に乗せて貰った。

「全速力で行きましょう」

 と言って低速力で走り出したバモスくんは、しばらくしてN市へ向うバイパスに乗った。それから大曲大橋を越えて辻沢の南部へ向う道へ入る信号待ちをしているとき、

「これから山椒農家さんを訪ねるよ」

 鞠野フスキが教えてくれた。あたしはてっきり冬凪が親しくしている山椒農家さんの紫子さんのところだと思ったけれど、それは西山地区の四ツ辻という別の場所だった。

「蘇芳家というんだよ。千福家や調家とも縁のある旧家で、南辻沢の山間地のほとんどを所有している大地主さんだけど、今のご当主は若い女性で君たちとそんなに変わらない方なんだ」

 また辻沢の旧家が出てきた。冬凪を見ると、

「蘇芳家も六辻家の一つだけど、調、千福より格下」

 注釈を入れてくれた。あたしの頭には冬凪のヴァンパイアの権力闘争説があったから、調・蘇芳連合VS千福家的な構図をつい考えてしまう。

「その人が爆弾を作った人なんですか?」

「それは僕にもよくわからなくてね」

 昨夜、千福まゆまゆさんに土蔵に呼ばれて、明日冬凪とあたしが来るから蘇芳家に連れて行って爆弾を作った人に会わせるように言われた。それが誰かは聞いてないとのこと。

 今回の辻沢は前回から一ヶ月経った6月の下旬ということだった。ルーフなしドア板なしでボディーはポールとバーで出来たバモスくんは、暖かい日中でも吹きさらしだ。それなのに鞠野フスキは半袖半ズボン姿で流石に寒いんじゃないか。

「その格好寒くないですか?」

 冬凪も同じ事を思ったらしい。運転席の鞠野フスキに声を掛ける。

「僕はね。ちょっとでも長く夏を感じていたいんだよ。だから隙があったら夏の装いをするんだ」

 と青い顔をして言った。後部の荷台を見ると幌らしき布が畳んで置いてある。

「これ、掛けましょうか?」

「そうしよう」

 途中のコンビニに寄って鞠野フスキがバモスくんに幌を掛ける間、暖かい飲み物を買いに入る。冬凪とあたしはどの季節に来ることになるかわからなかったので夏冬両方の着替えを持って来たけれど着いたばかりなので夏用の格好で寒かったのだった。

 〈♪ピンポロローン〉「いらっしゃいませー」

 ここはギャラクシー方言ではないらしい。レジ横の暖かい飲み物コーナーを見たら、欲しかったコーンポタージュは無くて、雑草ブームかなんか知らんけど、大量に缶のオオバコ茶が並んでいたので仕方なくそれを買った。

「二つで240円です」 

 レジの男子もいたってふつーだった。せっかくこっち来たんだからギャラクシー方言が欲しかった。ちょっと残念。支払いは小銭で冬凪がした。

 〈♪ピンポロローン〉「ありがとうございましたー」

 出てきてプルトップを開け一口のむ。まっズ。雑草ブームが廃れて本当によかったって味だった。バモスくんに奪われた体温を取り戻すため一気に飲んでゴミ箱に捨てに行く時、コンビニの中を見るとコーヒーマシンがあって、コーヒーにすればよかったじゃんとめっちゃ後悔した。

 幌が付いたバモスくんの中は、寒さは収まったけれど幌が風ではためく音でやかましく、まったく会話が出来なくなった。窓の外を見ようにもビニルの小窓は黄ばんでいて砂嵐の中を走っているようだった。

 ずっと普通の道だったのが曲がり角を曲がったら悪路になった。フロントガラスから見えているのは身長の倍くらいの山椒の木々ばかりで山椒農園に入ったらしいことが分かった。その道をしばらく行くと前方に重厚な藁葺き屋根が見えてきた。バモスくんはその屋敷前の広場に入って停車する。

「さあ、着いたよ」

 幌のドアを開けて外に出ると、沢山の人が屋敷前の広場に集まっていた。背中に空の籠を担いでいて冬凪がそれを、

「これから山椒の収穫に行く人たち」

 と言った。

 その中のダッドキャップを被った半袖Gパン姿の大柄な女性に鞠野フスキが近づいて行って何やら話始めた。少しやりとりをした後、冬凪とあたしを呼んだのでそちらに行くと、その女性は半袖の裾の中にたばこを巻き込んでいるようで、どう見てもアニキみたいだった。年は鞠野フスキが言ったようにあたしたちとそれほど違わなさそう。

「この方が蘇芳ナナミさん」

 鞠野フスキが紹介してくれたけれど、

「まゆまゆのママに会いに来た?」

 なんの挨拶もなく要件を話し出した。それには冬凪が、

「あたしサノクミと言います。今日会いたいのは」

 と言いかけて口をつぐんだ。流石に爆弾を作った人に会いに来たとは言えなかったよう。ならば白まゆまゆさんに頼まれたお母様の消息を知れると思って、

「あたしはコミヤミユウと言います。まゆまゆさんのお母様に合わせてください」

「あんたコミヤミユウっていうのか? もしかしてフィールドワーカーの?」

 あたしはこの名前の設定まで考えてなかったので名付け親の鞠野フスキを振り返ると、

「はい、そのコミヤミユウです」

 と答えた。それには蘇芳さんは特に反応しないで、

「まゆまゆのママはうちいるよ。ちょうど今実家でいざこざがあって逃げて来てる。会って行きなよ」

「はい」

「じあ、玄関から入って作左衛門さんに案内して貰って。あたしはこれから山椒の収穫行かなきゃだから」

 と屋根のない運転席がむき出しになった軽トラに乗りこむと、集まった荷籠の人たちに声を掛けて広場を出て行った。農道に出る時、蘇芳さんは軽トラを停めてあたしに、

「おい。偽物のコミヤミユウさんよ。帰ってきたら本名教えてな。あんたはあたしの知ってるコミヤミユウじゃないから」 

 そういうとエンジンを吹かして農道の坂を上っていったのだった。あたしはびっくりして言葉を返すことが出来なかった。それなのに鞠野フスキは、

「そう言えばコミヤくんは山椒農家でお手伝いしたって言ってたな。ここの事だったか。しまったしまった」

 とお気楽なことを言っている。亡くなった鬼子は普通の人の記憶から消えてしまうんじゃなかったの? 冬凪を見たけど両手を挙げて分からないポーズをしていたのだった。

 藁葺きが重々しく垂れ下がる軒下の玄関を開けると土間になっていて、そこに菰が広げてあって青々とした山椒の実が山積みになっていた。山椒の香りの中を進んで上がりかまちの前まで進む。暗くて奥まで見渡せないほど広い居間の誰もいない空間に向って鞠野フスキが、

「すみませーん」

 と声を張り上げると、奥の暗がりから年は蘇芳さんのお兄様くらいの若い男性が出てきた。

「いらっしゃい」

「作左衛門様ですか?」

「はい、そうです」

「私ども、千福まゆまゆさんのお母様に会いに来た者ですが、蘇芳ナナミ様から貴方に案内して貰えと言われました」

「そうですか。どうぞお上がりください」

 とにこやかに案内してくれた。光の差し込まない廊下を二間分歩いて、

「こちらでお待ちください」

 と通されたのは囲炉裏が真ん中にある10畳ほどの部屋だった。入り口以外の三方の木張りの襖が閉じられていて暗かった。

「今、呼んで参りますので、お座りになっていてください」

 作左衛門さんが部屋を出て行って、鞠野フスキが囲炉裏端にあぐらを掻くのを見て冬凪とあたしもそれぞれの面に座ろうとしたら、

「そっちは主人の場所だから、こっちに座りなさい」

 と言われた。各面で誰が座るかが決まっているのだそう。鞠野フスキと並んで座り、上を見ると黒々としたぶっとい梁が見えた。何百年も経っていそうな古い匂いがしている。気になったのが沢山の手鏡が襖や棚の上に立て掛けてあること。何かからここを守る呪物のようで気味が悪かった。

 作左衛門さんがまゆまゆさんのお母様を呼びに行ってから20分? それくらいは経っている。鞠野フスキは口を開けて天井の梁を見上げていて待たされていることをなんとも思っていない様子。冬凪は暇すぎて近くにあった鏡を手に持って変顔を始めてしまっていた。

 突然冬凪が鏡を落とした。気づくと部屋中のものが無表情で味気なく音も遠のいて聞こえていた。例の別世界にずれてしまったような感覚が襲ってきていた。廊下から足音が近づいてくる。それは作左衛門さんのものではないとすぐに分かった。ふらふらとした足取りだったから。そして間口に現れたのは真っ白い浴衣姿に長い黒髪を垂らした女性だった。一瞬幽霊かと思ったけれど足が付いていた。黒髪の女性はあたしたちがいることに気がついていないかのように部屋の中に入って来て鞠野フスキが主人の座と言った場所にゆっくりと腰を下ろした。鞠野フスキも冬凪も黙っているし、あたしもそれを目で追うだけで言葉が出てこない。女性はうつろな瞳で正面を向いたままでいたけれど、何かに気がついたふうで、

「何歳になりましたか?」

 その声は井戸の底から聞こえてくるような不思議な響きがあった。誰のことを言っているのか分からなかったので、みんな黙っていると、同じように、

「何歳になりましたか?」

 と繰り返した。それに冬凪が、

「まゆまゆさんたちのことですか?」

 と答えるとまた、

「何歳になりましたか?」

 と言うので、

「今、4ヶ月です」

 確かまゆまゆさんたちは18年前、こちらの時間軸では生まれたばかりのはずだからそれくらい。ところが黒髪の女性はその答えには満足しなかったようで、

「何歳になりましたか?」

 と繰り返し聞いてくる。それで冬凪はまゆまゆさんたちのことではないと思ったらしく、

「18歳になりました。今年で18歳です」

 と答えた。それはあたしの年齢だ。冬凪は12月生まれだからまだ17歳。すると黒髪の女性は、小さく肯いてから立ち上がり再び廊下へ出て行ったのだった。廊下を足音が遠のいてゆく。それから少ししてあたしは別世界にずれ込む感覚から解放され、囲炉裏の部屋は再び色彩ある空間に戻ったのだった。

「あの人、なんであたしの年齢を聞いたのかな?」

 と冬凪に聞くと、

「違うよ。あの人はずっとまゆまゆさんの年齢を聞きたがってた。それも今の年齢をね」

 と言ったので、

「それって、もしかして」

 鞠野フスキが、

「うん。きっとあの人はここじゃない場所にいる」

 と言ったのだった。

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