第43話 3つめの爆心地

 喧嘩をしたおじさんと江本さんは、安全管理主任でもある佐々木さんにハウスに呼ばれて注意を受けた後、3時の休憩を待たずに帰されてしまった。

 休憩が開けて作業員が集められ、安全心得の再確認を促された後、

「喧嘩をしたお二人には頭を冷やすために帰っていただきました」

 とだけ説明があった。その時赤さん初め調査員の全員が相当ピリピリしているのが分かった。事故や怪我もそうだけど喧嘩もまた、現場保全の重大なリスクなのだと冬凪が教えてくれた。

 四時過ぎ、浮いた土を片付け道具の泥落としをするよう指示があって終礼となった。

「お疲れ様でした。また明日よろしくお願いします」

 赤さんの言葉で本日の作業は終了。

 ハウスで念入りにシーブリをぶっかけて着替えを済ませ、冬凪とあたしが現場を後にしたのは四時半だった。五時には早いようだけど、これは喧嘩のせいではない。遺跡調査では5時前に上がるのが普通のことのようだった。

 六道辻からヤオマン屋敷のある元廓へは直通バスがないので、辻女前まで辻バスで行ってそこから歩くことにした。

「辻女前まで」〈♪ゴリゴリーン〉

 バスにはあたしたちの他に誰も乗っていなかった。車内はガンガンにクーラーが効いていた。冬凪とあたしは降車ドアに近い二人席に一人ずつ座った。送風口からの風で体に溜まった熱が冷まされて行く感覚が心地いい。

 窓の外を流れて行く辻沢の町並みを眺めながら、頭の中はVRルームにいた十六夜の姿を思い出していた。

「十六夜。よくなってるといいね」

 それを願いながら無理なことは分かっていた。体中に管を付けられ血液を吸い取られる浄血状態から解放されない限りよくなりようがないのだ。

「そうだね」

 そのことは分かっているのだろう、冬凪も窓の外を見たまま気のない返事をしたのだった。

 辻女前で降りて、まだ日が明るい道を歩き出す。一日体を使って働いた後、家に帰るテンションの時には気がつかなかったけれど、歩くだけでクーラーボックスが邪魔なことに気づく。中身は大方飲み尽くしたので軽くはなっているけれど、肩のベルトがすれて痛いし、堅い角が腿に当たって歩きづらい。冬凪も着替えが入った登山用のバッグを担いで大変そうだ。ヤオマン屋敷までの道のりが余計に遠く感じてきたのだった。

 元廓のお屋敷街の長いだらだら坂に出た。そういえば前はここを「元祖」六道園から持ち帰った長竿を担いで歩いたんだった。やっぱりあの長竿、高倉さんに頼んで持って帰らせて貰おう。

 途中まで来た時足が止まった。それは、急にお腹が空いて足の力が抜けるというヒダルに襲われたわけではなく、前来た時には気づかなかった空き地に目を奪われたからだった。

「ここ、なんか」

 とあたしが言いかけると冬凪が、

「うん。爆心地みたいだよね。小規模だけど」

 そこは手入れされていない垣根があって意識して覗き込まないと中が分からなかった。けれど今あたしたちが立っている生け垣が崩れた一角から見ると、敷地全体が空から大きなお玉で掬ったようにえぐれていて、そこにコンクリートの分厚い土台がむき出しになっていた。

「あたしもそう思って調べてみたら、ここって辻女バスケ部員連続失踪事件の被害者の家だったんだよね」

 一人娘だったその子が失踪した後、母親は自殺、父親も行方不明となって建物だけが残り、母親の亡霊が出るって噂が立って幽霊屋敷って言われていたのだけれど、丁度18年前のある日、爆発して吹っ飛びこの状態になったのだそう。

「前園家と調家があった爆心地も坂を上がったすぐそこ。それをこの『爆心地』と結びつけると、関係なさそうな二つの出来事、要人連続死亡事案と女バス連続失踪事件とが繋がりそうなんだよね」

 と冬凪は『』のところで両手のピースサインをクニクニっと曲げて言ったのだった。冬凪的にまだ確信が持てないけど一応、という意味らしい。そういえば辻川ひまわりが掠われたのも、六道辻で遺跡調査中の、千福オーナーが殺された爆心地の近くだった。偶然にしてはよく出来ている。

「じゃあ、女バス関係者が爆殺に関与してるってこと?」

「かもね」

「よし、分かった! 犯人は川田校長だ!」

 冬凪はじとっとした目であたしを見つめ、

「夏波は等々力警部なの?」

 誰それ? リング端末で調べたら古い映画の登場人物だった。動画をチェックすると、ホロ画面に厳つい顔をしたおじさんが映し出された。そのおじさんはあたしが言ったセリフそのまんまを口にしていたけどあまり賢いキャラには見えなかった。だからか、冬凪が悲しそうな顔をしているのは。

 ヤオマン屋敷の正面玄関に行く手前で脇道に入り高い石垣に沿って裏門まで来た。黒い鋼鉄製の門で中が見えないという所は表玄関と同じだった。ここでピンポン、もといゴリゴリンすれば高倉さんが応対してくれるはず。

〈♪ゴリゴリーン〉

 少し待ったが、返事がない。

〈♪ゴリゴリーン〉

 もう一度。でも返事がなかった。もう一度ベルを押そうとしたら冬凪が、

「あんまり押すと高倉さんが困るかも」

 そうか、高倉さんが裏門を指定してきたのは、すんなりあたしたちを受け入れられない状況だからかもしれない。

「どうしよう」

「待とうよ」

 それしかなさそうだった。

 空は一面あかね雲だった。その隙間から群青色が覗いていた。そろそろ夜がやってきそうになっていた。冬凪とあたしたが裏門横の石垣にもたれている間、まるで石垣の谷間のようなこの道を、通る車も人もなかった。この先に行っても行き止まりなんじゃと思って薄暗くなった道の先を見ていると、女性一人がこちらに近づいてくるのが見えた。その女性は黒髪を腰の辺りまで垂らし白いワンピース姿をしていて、足取りもおぼつかなさそうにフラフラとよろけながら歩いてくる。女性が裏門のすぐ近くまできた時、その顔を見た冬凪とあたしは言葉が一緒に口をついて出た。

「調、「由香里」さん」

「調由香里」と言ったのはあたしで、「由香里さん」と言ったのは冬凪だった。

 調由香里は、雄蛇ヶ池の水門で取り上げた時の顔をしていた。目をつむったままアルカイックスマイルを貼り付けていた。首のぐるりには手荒く縫い付けられた跡が見えた。あの時あたしたちが見付けて辻川ひまわりが持ち帰った首と、盗まれて行方が分からなかったはずの胴体とが人工的に接続されてそこにあった。いや、そこにいた。だって動いてるんだもの。

 冬凪もあたしも動く調由香里にそれ以上声を掛けることもできず、見つめるしか方法がなかった。調由香里は、あたしたちの目の前を過ぎ、真っ黒い門の前まで来るとそこに額を付けるぐらいに近づいて止まった。すると重厚だけど耳障りな音が響き、ゆっくりと門が中に開いた。門の中には和装の高倉さんが立っていて、

「由香里奥様、お帰りなさい。藤野夏波様と冬凪様もどうぞお入りください」

 と中へ招き入れてくれたのだった。

 調由香里を先頭に、冬凪とあたしは高倉さんと並んでヤオマン屋敷の勝手口にしては巨大すぎる裏口から中に入った。それが裏口だと分かったのは、入ってすぐの部屋がうちのリビングとキッチンを会わせた広さの倍ぐらいしかなかったから。前に通された時の玄関の中は、テニスコートくらいの広さがあるロビーだった。バケツとかデッキブラシとか分別用のゴミ箱とか置いてあればもっと分かりやすいのに。

 その裏口の部屋を出ると、調由香里はそのまま止まらず廊下を奥に向かって歩いていってしまった。あたしたちもそれに続こうとしたら高倉さんが、

「こちらです」

 と言って廊下の反対にあるエレベーターを指した。エレベーターに乗って何階か上がると、そこは見慣れた廊下だった。終業式の日、十六夜が倒れて一緒にミニバンに乗って来た時に、高倉さんに案内して貰って歩いた宮殿ような廊下だ。この先は応接室だったけど、

「突き当たりが、十六夜様のお部屋です」

 以前そこに来た時のあたしは、意識がなくなった状態で高倉さんに運び込まれたから、巨人が通るようなその大きな扉にあたしはまったく覚えがなかった。扉の前に立った。あたしは、その中に入るのが怖くなった。もし、とんでもなく酷い状態になっていたらどうしよう。それはあたしたちがグズグズしていたせいだから。

「さ、どうぞ中へ」

 高倉さんが扉を開いて言ってくれたけれど、あたしは足が震えて入ることが出来なかった。

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