第18話 千福まゆまゆ

 冬凪は右手の白い漆喰壁の土蔵に歩いて行く。その観音開きの漆喰扉には右に山椒の木の芽、左に六弁の花が彫刻されてあった。

「これすごいね」

 あたしと一緒にその重い扉を開けながら冬凪が、

鏝絵こてえだよ。大工さんが鏝だけで描く装飾。右は六辻家の印の山椒で、左はクチナシを象っている。千福はクチナシの別名だからね。ちなみに爆発前の屋敷にはクチナシの花が咲き乱れていた」

と言った。扉を開け切ると中にも重厚な格子引き戸があって、それを開けるとギシギシと砂を擦るような音がした。

「どうぞ」

 促されるまま土間で靴を脱いで上がると、外の暑さとは打って変わってひんやりとしていて背中の汗がすっと引いた。ものすごく年を経た物品の匂いに混じってかすかだが甘い香りがしている。

「誰に挨拶するの?」

「まあ、ついておいでよ」

 冬凪がドアを閉めると、もともと暗かった蔵の中はいっそう暗くなり、周りになにがあるかよく分からなくなった。木の床は磨き上げられているのかつるつると滑り、転ばないようにするのに苦労した。さらに奥に進むと、蔵の中心あたりに小柄な人くらいの、白地に五弁の花が金彩された和服の市松人形が置いてあった。冬凪はその前に正座し、あたしにもそうするように促した。そして、

「藤野冬凪がまいりました。ご機嫌麗しう」

 と挨拶した。その市松人形はデカい音声モニターになっているのだろう、

「「冬凪さん? こんにちは。お連れのかたはどなた?」」

 と返事があった。接続が悪いのか声が割れて聞こえる。

「姉の藤野夏波です。このたびお屋敷にお邪魔させていただきたくご挨拶に参りました」

 と言ってあたしに挨拶するように手で合図する。あたしはどこの誰かも知れない人にどう挨拶すればいいか分からなかったので、

「誰?」(小声)

 と聞いたが、冬凪はとにかく挨拶をと言う。

「えと、藤野夏波です。初めまして?」

 これでいい? と冬凪に目で合図する。沈黙がいやな間を創る。その気まずい感じを破るように突然排気音がして市松人形が縦に二つに割れた。そして開いた体の中から、

「「狭いのでここから出てもよろしいですか?」」

 とおかっぱ頭の少女が出てきて、開き市松人形の横にちょこんと正座した。中の人がいたんだ。デカい音声モニターでなかったみたい。その少女は小学生くらいのあどけなさが残るかわいらしい顔つきをして、出てきた意味あんのっていうほど市松人形の色柄そっくりの和服を着ていた。千福家の娘さんだろうか。三つ指をつき丁寧に頭をさげ、

「「お初にお目に掛かります。千福まゆまゆと申します」」

 やっぱ声が二重に聞こえる。

「「この度は、調査にご協力いただきありがとうございます。千福家を代表して私どもからお礼申し上げさせていただきます」」

 代表して? わたくしども? 冬凪に説明を求める目を向けると、

「千福家の御当主だよ」

 遺跡調査の施主様だった。勝手に年寄りなのかと思ってた。

「遺跡調査は初めての経験ですが一所懸命頑張ります」

 と意気込んで言うと市松人形の中の人は、

「「遺跡調査? はて、なんのことでしょう?」」

 と冬凪の方を見て言った。

「夏波にはのちのち説明します」

冬凪が言いにくそうに答える。なんだか不穏な空気を感じたが冬凪があたしを騙すはずないので何も言わずにおいた。

「「それでは早速」」

 と千福まゆまゆさんが立ち上がり市松人形の腹の中に左手を差し出した。まるであたしに中に入るように促しているように見えた。すると冬凪が、

「今日はご挨拶のために参りましたので、実見は今度ということに」

「「左様ですか。では今度のご来訪を楽しみに」」

 と言いながら市松人形の中に入り、左右に開いた胸元を掴みながら、

「「さようなら。では、また今度」」

 と最初のように閉じこもってしまった。

「さようなら」

 そして吸気音がした後、市松人形は反応がなくなった。

「どういうこと?」

「いずれね。夏波もきっと気に入ると思うよ」

 こいつやっぱり何か企んでるな。

 土蔵を出ると熱気のせいですぐに額に汗が浮いた。竹林の中を歩いていても体中が汗ばんでくる。前を歩く冬凪に気になったことを聞いてみた。

「なんであの人が話すとき二重音声みたく聞こえたの?」

「双子だからじゃない?」

「一人だった、よね?」

 まさかあたしには見えてない人がいたとか? それとも後頭部にもう一つ顔がついてたとか?

「まゆまゆもお二方の総称だから。奈さんと乃さんの」

 と言われてもなるほどはならなかった。

「まあ、それはいいとして、まゆまゆさんが言ってた調査って何のこと?」

 と聞こうとしたら冬凪が急に走り出した。

「昼礼始まっちゃってる。夏波、急いで」

 防護壁の中を見るとハウスの前に作業服の人たちが集まっていてたのだった。

 午後も引き続き雑草の山の片付けだった。獅子奮迅の働きをするユンボブラザーズは別して、他のみなさんは灼熱の太陽にエネルギーのほとんどを吸い尽くされた感じで、赤い顔で作業をしていた。そんな中、冬凪はと言うと、ユンボくんたちが抱えやすいよう雑草の束を渡してあげたり、ビニル袋を広げてあげたりと、ユンボブラザーズのサポート役をしっかりこなしていた。

「小休止です」

 赤さんの号令が掛かる。みんながハウスに戻るのについて行く。用意したクーラーボックスのスポドリと麦茶をがぶ飲みしてようやく、頭が痛み出したのを抑えることが出来た。十五分経って、

「始めまーす」

 と集合が掛かる。作業している雑草の山に向かうと、雑草から湯気が立っているかと思ったら陽炎だった。

「今日中に終わるのかな」

 暑さのせいなのか、午前中より明らかに作業スピードが落ちている気がした。

「終わらなくても大丈夫だよ。今日は赤さん、みんなの働きぶりを見てるだけだから」

 そうか、まだ試用期間扱いなのか。

 その後、二時半の三十分休憩、三時半時の小休止を経て四時十五分になって、

「道具片付けて終わりにしましょう」

 となった。あたし至上一番長い日だった。女子用更衣室になるハウスで着替えをする。びしょびしょになったTシャツやヘルメットの下に巻いたタオルを用意したビニル袋につめながら、こんなに人って汗をかくものなのかと驚いた。下着も替えた。着替えを終えてスポドリを飲んでいたら冬凪に聞かれた。

「感想は?」

「生き延びたって感じ」

 本気でそう思った。最高気温35度、炎天下の作業。言葉にするとそれだけだ。けれど、どんなに苦しくても学校の授業のようにフケられない中、頭痛い、汗が異常なほど出てくる、息苦しい、動悸が変だ等、バグり始めた自分の体と、「まだ大丈夫?」「もうダメかも知れない?」「まだいける?」と対話しながら「休憩です」と声が掛かるまで作業を続けなければならない。ティリ姉さん、もとい江本さんは、

「ナミちゃん、いつでも木陰で休んでいいのよ」

 と言ってくれたけど、あたしよりお年を召した人たちが黙々と働いていたらそんなこと出来るはずもなかった。

「まあ、初日だしね。じきに慣れるよ」

 本当か? とてもそうは思えなかった。 

 辻バスで駅に向かう。バスの中はクーラーが効いていて初めて人心地が付いた。

「土日をまたいで月曜から5日間か」

 この状態で連チャンは厳しい気がしたから土日の休みはありがたかった。しかし、はっきり言って5連チャン後の金曜日の自分が想像できなかった。生きてるか死んでるか。大げさでなく。

「夏波は週三だから水曜日からね」

 え?

「初心者に週五は働かせられんって赤さんに言われた」

 そうだったんだ。予定の稼ぎよりずいぶん少なくなるけど死ぬよりいいかと思ってその場は黙っていたのだった。

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