第13話 貧血、瀉血、浄血

 十六夜とあたしは、教室に半数の生徒もいない終業式に真面目に出席していた。十六夜は相変わらず青ジャーで防寒対策をしていて、あたしはそれほどでもないつもりだったけれど、川田校長先生の長話のせいなのか、体が冷えたせいなのか、目が明けられないほど眠くなってきていた。

黒板モニタに映し出された川田校長先生が、

「夏休み中、地下道には降りない、青墓の杜へは行かない。守れますか?」

 と手を当てた耳をこちらに向けて停止した。まるで小学生を相手にしているようだ。

「「「「はーい」」」」

 小学生ならぬいい年のJKが返事をする。しないと川田校長先生はバグったように動かないから。

「いいですね。きっとですよ。それでは校長先生のお話はこれでおしまいです。では新学期まで元気でね」

 続いてモニタに現れたのは関口教頭先生。鞠野フスキの後任者で教頭になって五年だそうだ。

「これにて二〇××年度、前期終業式を終了します」

 ブツっという耳障りな音を立ててモニターが暗くなった。それを合図に担任の遊佐先生が教壇にあがって、

「みんな、高校生活最後の夏休みを楽しんでね。それでは、ごきげ、あ、さようなら」

「「「「さようなら」」」」

 辻女の挨拶は一時「ごきげんよう」になった時期があったが川田校長就任と同時に撤廃された。遊佐先生は両方の期間をまたいでいるため未だに「ごきげんよう」がぬけないようだ。

 教室にいた子たちが、カバンを持って教室を後にしはじめた。

「夏波、夏休み明けね。バイ!」

 それほど親しくないミヤビが珍しく扉のところから手を振ってくれた。いつもつるんでいる乙葉がいないせいだろう。

「バイバイ」

 あたしもカバンを手にして園芸部に向かう。廊下に出てから十六夜に、

「地下道や青墓って、誰があんな恐ろしいとこ行くかよ。そんなの辻沢の常識じゃんね」

 返事がない。

「どうした?」

 と振り向くと、付いて来てると思った十六夜がいなかった。慌てて出て来た教室を覗くと、自分の机のところにまだ座っていて、頬杖をついて窓の外を見ていた。あたしは慌てて後戻りして、

「いつからミュートしてた? それとも既読無視か?」

 Vゲーニンが流行らせた死語構文で声をかけたけど反応なし。顔を覗き込むと目はどこを見ているのか焦点がずれていて唇が紫色だった。

「十六夜?」

 肩をそっとゆすると一瞬目を見開いて息を呑んだ後、あたしのほうに顔をゆっくりと向けた。

「なんだ、夏波か」

 と言ったけれど、その目はあたしのことが見えてなさそうだった。

「大丈夫?」

「何が?」

 まるで今ここにいるのは自分でないかのような言い方だ。

「部活休む?」

 体調がすこぶる悪そうに見えたから。

「何で。今日は制限時間いっぱいまでやるって言ったじゃん。帰りたくなったのか? 夏波」

 口調はいつもの十六夜だったけれども唇が震えている。

「医務室行かないで平気?」

「行かないよ。なんでそんなこと言う?」

 と立ち上がったが、顔がスッと蒼くなったかと思ったら、よろけてあたしにもたれかかって来た。受け止めた十六夜はびっくりするほど軽かった。

「やっぱ心配だから響先生に見てもらお。遊佐先生。響先生いますよね」

 教室を出て行こうとしていた遊佐先生がこちらに向き直り、

「カリンならいるはず。どうしたの? 前園さん、貧血?」

 遊佐先生が言った貧血という言葉で、はっとなった。十六夜を抱えた姿勢のまま、青ジャーの袖をめくろうと思ったけどできなかった。もし十六夜が瀉血をしてたらと思うと怖かった。そんなことするほど思い詰めていたのに気づかなかったとしたらあたしは十六夜の友だちなんて言えなくなってしまう。

 医務室へ行って響先生に診てもらうと、貧血の状態が重く用心のため救急車を呼ぶことになった。救急車が来る前に、十六夜の靴を下駄箱に取りに行って戻って来ると、ベッドカーテンの中で響先生と遊佐先生が話をしていた。

「腕のはどれも新しい注射痕だった」

 響先生の声だ。

「それって、最近始めたってこと?」

 遊佐先生だ。

「にしては多すぎるけどね」

 十六夜の注射痕は両腕からさらに内太ももにもあってもう打つところがないような状態だったと。十六夜の必死さが思いやられる。

「腕で採れなくなって足にまでって」

「いや順番が逆だ。一番血が取りやすい大腿動脈で刺せなくなっての腕だろう。そう考えると、相当前からだったかも」

「ほんとに瀉血なのかな?」

「どういうこと?」

「これって、虐待とかじゃ?」

「それじゃ、浄血だよ」

「カリン!」

 あたしはカーテンを開けて中を見た。それに気づいた響先生が掛け布団から出た腕を隠すのが見えた。遊佐先生が、

「夏波、一緒に行ったんじゃなかったの?」

「一緒に行った?」

「前園さんなら、今さっき、お家から使いの人が来て連れて行ったんだけど」

 ベッドを見るとそこに寝ているのは別の子だった。さっきの話って、十六夜のことじゃなかったんだ。

「十六夜の様態は?」

 医務室の外出口に向かいながら聞くと、

「容態は落ち着いてるよ」

 響先生が言った。

 外に出て救急車を探したけれど校門の前に停まっているのはあの黒い国産高級ミニバンだった。その後部ドアを開けて黒服サングラスのおじさんがストレッチャーを中に押し込もうとしていた。校門を出るとミニバンの側に川田校長先生が立っていた。

「十六夜はどこへ?」

 病院へ行く感じがしなかった。

「ご自宅へ。向こうで専属医が診てくれるそうです」

 学校ではいつもいっしょにいるせいで自分の範疇で考えてしまうけれど、そもそも十六夜はヤオマンHDのお嬢だから、そんなことあたりまえということに気がつかされた。あたしは十六夜の靴を助手席に乗り込もうとしている黒服サングラスに渡すため近づいた。すると黒服サングラスはあたしの目の前に大きな掌を広げて、

「離れろ」

 と言ってドアを閉めた。あたしはびっくりして数歩後じさると同時に、改めて十六夜との距離を突きつけられたような気がして悲しくなった。でも靴は渡さなければと思い、助手席の窓をたたいて靴を差し上げて見せた。それを無視するかのようにエンジンが掛かる。あきらめて数歩下がると、まさに発進するというところで、中のおじさんが車内の後部を振り返ってなにやらやりとりし出した。そして助手席から出てきたと思ったらスライドドアを開けて、

「ご一緒にどうぞ。藤野様だけです」

 とあたしに乗るように促した。

 あたしが暗い車内に乗り込むと後ろで川田校長先生が、

「診断結果を遊佐先生に」

 と言ったところで、ガーバン! スライドドアが閉まったのだった。

 後部車内は十六夜が寝るストレッチ以外は座席が一つしかなく殺風景でどこか貨物車のようだった。それに看護する人もいないというのはどういうことだろう。あたしは十六夜の顔を覗きこんだ。すると目をつぶったままの十六夜が、

「夏波、手を繋いでて」

 とか細い声で言った。言われたまま手を繋いだが十六夜の掌はさっきよりずっと冷たくなっていた。

「十六夜。心配ないよね」

十六夜は寝てしまったのか聞こえないふりをしているのか、何も答えてはくれなかった。

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