第12話 ユウさん

 ユウさんはミユキ母さんに背中を押されてリビングに現れた。ブレイズ髪にロゴ入りの白いパーカーを着て手に革ジャンをぶら下げ、ショートデニムをはいている。あたしがクロエちゃんと間違えたのは理由があって、二人は顔がそっくりなのだ。でも血のつながりはないそうで他人の空似らしい。ホントかよ。

照れくさそうにリビングの入り口で立ち止まったままのユウさんを、ミユキ母さんがさらに押し出してあたしに近寄せる。

「挨拶!」

 ミユキ母さんの号令で、

「夏波、おひさ。元気か?」

 照れくさそうにしている。その仕草はまるっきり少女のよう。実際あたしぐらいと言ってもいいくらい瑞々しい面持ちをしている。ミユキ母さんやクロエちゃんと同い年だそうだから30代のはずなのだが。

「ユウさん、こんにちは。お久しぶりです」

「ちょっと遅くなったけど、いつもの。ほれ」

 革ジャンのポケットからを黄色い小物を取り出し、ぎこちなさげに差し出した。手に取るとやっぱり手乗りカレー★パンマンで、いつものように何にも包まず裸のままだった。

「ユウさん、いつもありがとうございます」

「いつも」が嫌味に聞こえなかったか心配になったけど、ユウさんは気にする風もなく、

「いいって。それより、大事ないかい?」

 あたしの右手を取ってひとなでした。これも毎度の仕草だ。

「ないです。元気です」

 今度は右手を目の高さまで持ち上げて矯めつ眇めつしはじめる。これも一緒。

「恋人が出来たとか?」

「ないない」

 ミユキ母さんが即答する。なんか失礼だな。

「さ、座って。ユウさん。お腹すいてるでしょ。いま食べるもの用意するね。夏波はユウさんのお相手してて」

 ミユキ母さんはユウさんにリビングのソファーに座るように促した後、キッチンでいそいそと食べるものの用意を始める。ユウさんはあたしの手を握ったままなのに気づいてないのか、ずっと手をつないでそこに立ちん坊になっていた。だからあたしもその場に立ち尽くしていたのだった。

 窓の外を見ると庭のマリーゴールドが風に揺れていた。微妙に違う橙色の花が唱和しているようで、心が温かくなってとても落ち着いた気持ちになった。

「ほらほら、いつまで立ってるの。座って座って」

 ミユキ母さんが、あたしが作った異端パンケーキにとろけるチーズを掛け、今入れたばかりのアイスカフェラテ(シナモンで!)を添えて持って来た。リビングのテーブルにそれらを並べながら。

「夏波?」

 あたしの顔を見て首をかしげた。

「何?」

「泣いてるの?」

 そう言われてあたしは自分が涙を流していることを知った。

ソファに座ってみんなで世間話をした。最近の天気の話とか、ネットニュースで話題になってることとかだ。これもいつものことで、ユウさんが土産話をしたことなど一度も無かった。そもそもユウさんが、ここに来ない一年間、どこで何をしているのかさえ話したことはなかったのだし。

一時間くらいそうしていて、ユウさんが急に立ち上がった。

「帰るの?」

 ミユキ母さんがユウさんを見上げる。

「うん。みんなが待ってるから」

 ミユキ母さんも立ち上がりコートハンガーから革ジャンを取って、

「気をつけてね」

 と送り出す。あたしも見送るため玄関まで一緒する。ユウさんは上がり框に腰掛けて厚底のドクターマーチンを履きながら、

「夏波。イケメンには気をつけろ」

 と言った。これには本当にびっくりした。あたしが成人したからなのか、こんなこと言われたのは初めてだったのだ。

「恋愛とか興味ありませんから」

ミユキ母さんがしゃがんでユウさんの背中に手を当てた。

「大丈夫だから心配しなくていいよ」

 ユウさんは靴を履き終えると立ち上がり、

「それじゃ、また」

 そう言い残して玄関ドアの向こうに姿を消したのだった。それを見て、あたしは胸の内に仕舞った言葉を口に出せなかったことを悔やんだ。これもいつものことだけど。

 取り残されの二人でリビングに戻ったけれど、なんだかさっきの続きをする気にならなかった。

「二度寝するね」

「ごゆっくり」

 部屋に戻って今日貰った十八個目の手乗りカレー★パンマンを一番端に置いてベットに寝転んだ。棚の上では早速歓迎会の準備が始まっていそうだった。あの子たちはみんな貰ったときのままで綺麗だ。でも枕元のこの子はよだれとか手垢とかでよごれてほつれとかもある。赤ちゃんのころからずっと一緒のこの子なら、あたしよりユウさんのことをよっぽど鮮明に覚えてるんじゃないだろうか?

あたしには心に引っかかっている記憶がある。それは普通はそんなの覚えてないとされる産まれたばかりの記憶だから、いつか見た夢を記憶だと勘違いしているんじゃないかと思う時があるくらいのものだ。

そこは密閉され明かりが届かず強い木材の匂いがしていた。あたしはそこから出たくなったけれど、手足を思うように動かすことが出来なかったから大声で人をよんでみたけど、あたしの声は言葉にならず喚き散らしただけだった。その時すぐ近くでやさしげな声がした。あたしはその声に耳を傾けたけれど何を言っているのかまったくわからなかった。ただ、その声は不思議と心が安まる響きを持っていたのでそれからは喚き散らすことをやめて黙ることにした。しばらくして少し離れた上の方から光が差し込んできて暗かった空間が姿を現した。そこは沢山の木の板が整然と並んだところに太い木材が中央を貫いていて床が婉曲していた。まるで木造船の船底のような空間だった。そこにいるあたしは裸の赤ちゃんで、板壁にもたれた女性の胸の中にいた。その女性があたしになにかささやいた。それはさっきまで暗闇で聞こえていたのと同じく優しい声だった。すべてを包み込み受け入れてくれる人。お母さんだ。その人の顔はぼんやりとしていて覚えていないけれど。

それ以降の記憶は施設からだ。施設に預けられた時、あたしはまだ0ちゃんで預けた人が言わなかったか知らなかったかで施設に来た日が誕生日になっている。それは冬凪も同じだそうだ。

あるとき施設の意地悪な先生が、

「あなたは神社の床の下に捨てられていたのよ。可愛そうに、育てられない事情があったのね」

 と言った。神社の床の下もひどいけど可愛そうなのがあたしではなく捨てた人のほうだということがもっとひどいと思った。それと同時に、あたしを捨てた人には何か事情があったのだ、決してあたしが嫌いだったから捨てたのじゃないという気持ちが芽生えたのもたしかだ。

覚えている最初の誕生日は三歳だったと思う。手乗りカレー★パンマンが手元にすでに二つあったから。その日ユウさんが施設にあたしのことを訪ねてきて、手乗りカレー★パンマンをはだかのまま手渡したのを覚えている。その時、あたしは、

「あなたはあたしのお母さんなの?」

と聞いたのだったが、ユウさんは、

「違うけど、夏波のことはとっても大切に思っているよ」

 と答えた。それがどういう意味か幼かったあたしにはわからなかった。それで、

「いつか迎えに来てくれる?」

 と聞いたのだけど、それは、大切な人とは同じ家に住む人のことだと思っていたからだ。それに対してユウさんは、

「ああ、きっとね」

 そう約束してくれたのだった。

四歳になって、あたしは藤野の家に迎え入れられることになった。あたしもその気で月一でお泊まりに行ったりして大人たちの間で準備が進められていった。以前からあたしの所に何度かお見舞いに来てくれていた二人の女性のうちの一人がユウさんそっくりだというのもあったのかもしれない。クロエちゃんのことだ。

そしてお誕生日の朝、施設の先生にお迎えに来たよと言われた。この日のために先生たちと用意した自分の荷物を持って面会室に行くとミユキ母さんとクロエちゃんが待っていた。

「一緒にお家に帰りましょう」

 ミユキ母さんが目いっぱいの笑顔で言ってくれたのに、あたしは

「違う」

 と言って泣きながら面会室から逃げ出した。てっきりユウさんが約束通りに迎えに来てくれたと思ったのだ。あたしの中で、それと藤野家への迎え入れとがごちゃごちゃになってしまっていたらしい。

その時は一旦保留にして日を改めることになって、後日ミユキ母さんにお迎えに来て貰って今に至る。

一緒に生活するようになっても、藤野ミユキさんのことをお母さんと呼ぶことが出来なくて困った。それでも頑張って頭をひねって絞り出したのが、

「ミユキお母さん」

 だった。そのころには、あたしはあの一番古い記憶の女性のことをユウさんだと思うようになっていて、本当のお母さんと区別したかったのだ。そのことはミユキ母さんには言えないけど、今も変わりがない。

「お母さん」

 あの時玄関でユウさんをそう呼んでみたかった。でも出来なかった。また一年、この気持ちと付き合わなければいけないんだ。

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