No.2 地下道と青墓の杜と

 辻沢には地下道が張り巡らされている。よからぬ噂が絶えず、中に降りる事さえ敬遠されるこの陰気な場所は、辻沢が隠れ遊里だった江戸のころしばしば起こった遊里狩りに、粋客たちや位の高い遊女を逃がすために造られたと言われている。遊里がすたれた昭和には、どこへ通じているのか、どのくらいの規模なのか知る人もいなくなってしまった。そして、明かりも届かずところどころ内壁が崩れて汚水や雨水に浸食され、ネズミの死骸やコウモリの糞の悪臭漂うこの場所は、呪われた輩の棲みつく魔窟となってしまった。

 今夜は満月だ。満月と新月には大潮が発生し、地下道の呪われた輩が蠢き出す。潮の満ち引きに合わせてあの世がこの世に近づくからと言われているが、同じく呪われた身である鬼子もまた、閾を超えて発現する。〟あたし〟がボクになる「潮時」が来たのだ。潮時の深夜になるとボクは必ず地下道にいて呪われた輩を夜通し狩り続ける。それがエニシに縛られたボクの衝動だからだった。

 地下道に降りる時分はまだ意識はあるが、しばらく彷徨ううちに理性が真紅の被膜に覆われ、眼前の障害を排除することに支配される。

 くるぶしまで汚水が浸る緩やかなカーブを歩いていると、人影がこちらに近づいて来るのが見えた。暗闇に浮かぶ金色の瞳、唇を突き破って鈍色に光る牙、胸元を赤黒く染めているのは首の傷から出た血の前掛けだ。ヴァンパイアに捕食された者の成れの果て。未来永劫濁世に留まり、死滅さえ許されぬ亡者。屍人だ。それが数メートル先で立ち止まり、〟あたし〟の名前を呼んだ。

「ウチら友達だよね」

 無論ボクに覚えはない。〟あたし〟の知り合いなのだ。屍人は旧知に出会うと己の存在理由を問うてくる。それに応じなければ襲われることはないが、応じればその凶暴な牙を剥く。それをボクは敢えて言葉を返す。刹那、屍人は距離を詰めボクの喉元に銀牙を突き立てて来た。それをかがんで避け、勢い余って突き出た屍人の顎に頭突きを食らわす。暗闇に散る火花と銀牙がかみ合う金属音。屍人は宙を飛び背中から汚水に叩きつけられる。立ち上がりかける屍人に飛びつき馬乗りになって、頭を両手で掴み首を捻じると骨がひしゃげる音が汚水を揺らす。そのまま首を捻じ切り持ち上げると、黒い血が噴き出し辺りに異臭が広がった。すぐに屍人の全身から紫煙が立ち昇り出し地下道の壁を伝って暗闇の中に吸い込まれてゆく。屍人が胸の辺りから空疎になってゆく。同じく、もうもうと紫煙をあげ消え去りつつある首を両手で持ちなおし顔をよく見ると、この屍人のことを以前に滅殺したことがあったと気がついた。見る間に首の重みが消え手の間に虚空が生まれた。屍人は死滅すると雨散霧消して亡骸を残さないのだった。またいつかこうして出会う時が来るだろう。屍人は再びこの世に迷い戻るから。

 その後、屍人を三体狩り殺して、さらに地下道を彷徨っていたら、トンネルの先が明るくなっているところに出た。光に近づいて行くとそこは外壁が崩れて地下道が露出した場所だった。外は斜面になっていて、木々の間から見えた下方に黒々とした水面が広がっていた。広さからして辻沢の南にある雄蛇ガ池のようだった。地下道を出て急斜面を滑り降り水面近くまで行く。池の端を回って対岸へ移動した。その向こうの夜空の底に黒い森がうずくまっているのが見えた。青墓の杜だった。

 古来より青墓の杜には宮木野の墓所があるとされ、人が忌避してきたため森が深く、軽い気持ちで踏み入ると出て来られない場所となっている。生ぬるい淀んだ空気、朽ちた落葉が饐えた匂いを放つ土壌、名も分からぬ下草が地面を覆い隠している。まるで時が停まったような森の中、密生する広葉樹の狭間から、人ならざる存在が侵入者を狙っている。

 青墓の杜に蜘蛛の巣のように広がる獣道を歩いていると、左手前方の叢がガサガサと鳴った。立ち止まり音の主が現れるの待っていると、蔦草を掻き分けて卵形をした異形の者が三体、姿を現した。垂れ下がった長い腕の手先が巨大な鎌状の爪になっていて、これで攻撃されたら胴体など真っ二つになるに違いない。どれもがセーラー服にスカート姿をしているが、角刈りの者と三つ編みリボンの者と雌雄に分かれている。これが青墓の人ならざる存在、蛭人間だ。男を改・ドラキュラ、女をカーミラ・亜種という。十数年前、辻沢町がヤオマンHDと結託して非合法バトルゲームを開催していたのだったが、そのエネミーとして屍人から造られたホムンクルスだ。それが今も存在しないゲーマーを探し青墓の杜を彷徨っている。

 ボクの目の前に現れたのは改・ドラキュラ一体とカーミラ・亜種二体。はじめは道に出たことさえ気付いていないように、そのまま向かいの叢の中に突っ込んで行こうとしたが、ボクが足をならして注意を引くと、一斉にこちらに振り向いた。それでようやくボクに気づいたらしく、近い側の改・ドラキュラがおもむろに鎌爪を振り上げ襲い掛かって来た。蛭人間が厄介なのは集団で行動し敵に対して戦術的に攻めてくるところだ。今も残りの二体は姿勢を低くしてボクの後方に回り込もうとしている。改・ドラキュラが腕を緩慢振り上げて来たのは、そちらに注意を向けてもう一方の鎌爪の手を摺り上げるつもりだ。そのまま鎌爪を両手で受ければ ボクの動きが止まり回り込んだカーミラ・亜種に背中から八つ裂きにされるだろう。ならば地面を蹴って飛翔するのみ。突然目標を失った六つの鎌爪は、正面に晒されたお互いを切り刻む。一番被害が甚大だったのは改・ドラキュラで、大きな腹を膾にされ青墓の大地に血汚泥をまき散らしていた。二体のカーミラ・亜種もそれぞれ肩口と下腹に相方の鎌爪を喰らって足が止まる。すかさず着地し二体のカーミラ・亜種の鎌爪をとってとどめを刺す。突き刺した部位からは血汚泥が噴き出し、悪臭を放つ。そして紫煙が噴き出し、卵型の胴体から徐々に空疎になってゆき、最後は全てが青墓の大地に吸い込まれて霧消した。こうして死滅したとしても、いつかまた青墓の杜に舞い戻ってくる。元は屍人だからだ。

 杜の外から時告鳥の声が聞こえた。潮時が明ける時間が来た。青墓の外に向かって歩いていると、コナラの木のもとに黒い影が身を潜めているのが見えた。いつもこのかわたれ時に現れるヒダルだ。ヒダルは行き倒れた者の残留思念で実体を持たず、常に依り代となる肉体を求めてさ迷っている。ヒダルは同じく行き倒れそうな人間を探し当てるとその者の魂を吸い取ってなり変わろうとする。潮時の閾にいる鬼子は意識に隙間があるゆえにヒダルの格好の獲物なのだ。そこから入り込み“あたし”を乗っ取るつもりなのだ。

杜を出ると西の山が赤く燃えて見えていた。辻沢の町を太陽が照らし始めていた。意識が朦朧としてきて足がふらつく。ヒダルがじわじわと近づいて来るのが分かるけれど、こうなったらどうしようもない。潮時に逆らえないのが鬼子なのだ。

「お家に帰るよ」

 あの子の声だった。目の前が真っ暗になって膝をついたボクに肩を貸してくれたのだ。こうしてボクのことを“あたし”が生活する元の場所に戻してくれる。あの子と一緒にいられるのはこの短い時間だけ。その温かさをかみしめて、ボクは安堵の闇に落ちて行く。

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