民部大輔の失策(3)
「――あれは、民部様は治部に呑まれているな」
襖の向こうから聞こえてくる民部と治部の会話に、安藤左馬介はため息をついた。箭部家の宿老である安田隼人も同じ意見だ。
「よくもまあ、あそこまですらすらと言い訳を思いつくものだ」
二人は呆れたように、首を振った。だが、それぞれの主君へこの結果を報告しなければならないと考えると、気は重い。胃の底から、きりきりと痛みが湧き上がる。
「とりあえず、美濃守様には『治部殿の叛心疑う余地なし』とご報告する。お主はどうする?」
左馬介が、大儀そうに音を立てずに立ち上がった。安田はしばらく思案していたが、「もう少し様子を伺っていく」と答えるに留めた。この先、あの治部がまた何を言い出すか分からないからだ。
「わかった。私は一旦、和田の館に戻る。後で寄ってくれ」
そう言い置くと、左馬介は須賀川城を後にした。
だが、民部と治部の会談はまだ続いていた。
「――ここ二年の年貢が鎌倉へ献上出来ないでいたのは、領民が飢饉の憂いを抱えていたからにほかならない。以上、私が御屋形の代官としてしてきた数々の行いは、我が身可愛さのためではなく、領内の守りを堅固にし、田村や会津の
いつの間にか、会話の主導権は治部が握っていた。治部は時に憤ったり、時には嘆いたり、まあ忙しい。だが、確かに弁舌は巧みであり、その陳述は芸術的でさえあった。
その証拠に、すっかり治部に丸め込まれた民部は、ここへ来た時と打って変わり顔色を和らげ、今やうっすらと涙さえ浮かべている。
「この岩瀬の政道が、貴殿の私心による曲解でないことは、この民部、心から納得した。鎌倉へ戻ったのならば貴殿の罪を申し開き、皆を宥めよう」
(だめだ、これは)
安田は、軽く目眩がした。やはり、美濃守や主の下野守が民部とは別に、自分たちを派遣したのは正解だった。問題は、この有様をどうやって鎌倉の一同に報告するかである。
さらに、治部は安田の目眩のひどくなるような提案を持ちかけていた。
「このように、二階堂の者同士が打ち解け合うのも、一門の
何と、民部の為に新しく屋敷を造ってくれるというのだ。
「ふむ。どこか適当な土地が?」
「逢隈川のほとりに、北沢という土地がある。あそこなど広々と開けていて良いのではなかろうか」
もはや、旧友というか兄弟のような様相で、二人はすっかり打ち解けあっている。全く、民部は何をやっているのか。外に、四天王の家来が控えていることすら、すっかり頭から追い払われているようだった――。
「――というわけで、民部大輔さまはあっさり治部大輔に丸め込まれた」
ここまで説明してくれた安房守の声も、苦々しい。
図書亮は、藤兵衛や半内などと顔を見合わせた。それぞれの顔には困惑の色が隠せない。
「館を建ててもらっただけではない。民部様はそもそもお年だからな。本音を申せば、彼の土地が恋しいのだろう。鎌倉で浜尾に住まわれていたのでその土地の名を取って、北沢の地を『浜尾』と呼ばせるようになったとのことだ」
「何とまあ……」
図書亮は、続く言葉が見つからなかった。
「もっと胸が悪くなるようなことを教えてやろう」
美濃守に仕える安藤左馬介が、再び酒を持ってやってきた。
「その民部さまは、翌年の春、治部大輔の妹の姫君を娶られて北の方にした」
もはや、冗談なのか悲劇なのか、区別が付きかねる話だった。
「確か、民部様はお年だと言っていなかったか?」
冗談を好む半内でさえ、この話にはついていけないようだ。
「そう。五十路を一つ二つ越されたところだ。だが、治部殿の妹君の千歳御前はまだ二十歳かそこらのはずだ。随分年の離れた兄妹だが、美人らしい」
ふんと、安藤が鼻を鳴らした。
「千歳御前が美人なのは確かだな。薄化粧であっても、古の西施に劣らぬ顔立ちと例えられるほどだ」
安房守は苦笑している。どうやら、彼は千歳御前を目にしたことがあるらしかった。
「民部殿は、妻を亡くされて久しかったからな。若い妻が馴れぬ土地で何か世話をしてくれれば、情を交わすようにもなろう。民部殿も岩木ではなかろうから」
「いやいや、問題はそこではないでしょう!」
思わず図書亮は、安房守に突っ込んだ。一族の長老格の者が、敵方の者に
「まあ、浜尾と和田は目と鼻の先だ。民部殿は治部に誑し込まれたとは言え、御屋形の伯父御でもある。粗略にするわけにもいかず、美濃守殿がしっかりと民部殿の動きを見張られている」
安房守の言葉に、図書亮は少しだけ安堵した。謹厳そうだが、確かにあの美濃守であれば、一門衆である者にも対峙できるだけの気骨がありそうだった。その彼が見張ってくれているのならば、そう簡単にことは起こせまい。
「で、肝心の治部は……?」
藤兵衛が怒りを隠せない様子で、尋ねた。
「あの通り、もはや我々への敵意を隠そうともしていないな」
安房守が、吐き捨てた。
須賀川について早々と刀槍を交える羽目になったからには、この先、またいつ戦になるか分からないということだろう。
――本当に、貧乏くじを引いたのではないか。
つい、再び図書亮はため息が出そうになるのを、ぐっと堪えた。
それからしばらくして、新参の者たちには和田の一角にそれぞれの「住まい」が与えられた。新参の者がここに集められたのは、須田の一族が当主同様の土地の実力者だからである。
これからしばらくは、ここが自分の生活の拠点となる。鎌倉に構えていた一色家の屋敷とは雲泥の差があるが、兎にも角にも、当面はここでやっていかなければならないのだ。贅沢は言っていられない。
和田館の本来の主は美濃守だが、現在はより急峻な崖に囲まれた峯ヶ城に生活の拠点を移している。為氏の身を警護する上でもこちらの方が敵襲を受けにくいだろうということで、為氏も峯ヶ城に入ることになった。
また、図書亮に割り当てられた建物は粗末な設えはであるが、館の敷地の一角には、馬場と馬小屋があった。「侍」格の者には馬を持つことが許されていたので、なけなしの金をはたいて、図書亮も馬を求めた。まだ二階堂家の領土を把握していないが、多少の遠出にはやはり馬は必需品である。
二階堂家臣団において、形式的には、和田美濃守が図書亮の直属の上司だ。また、須田家の家老格である安藤綱義の紹介かつ一応名門の血筋を引く家柄ということで、図書亮には身の回りの世話をしてくれる女が一人つけられることになった。
彼女の名前は、「りく」。どうやら安房守の姪に当たるらしい。年は十八で、図書亮より三つ年下だった。
気立てはいいが、どこか田舎娘特有の素朴さがあるのも否めない。やや年増の感もあるが、一応嫁入り前の身らしいので、彼女の花嫁修業も兼ねて、図書亮のところへ通わせることになったのだろう。
もっとも、田舎娘に大して欲情はそそられない。そんな図書亮の雰囲気を察しているのか、りくも家の片付けが終わると、さっさと
当面は、この暮らし方でやっていくしかない。
だが、いずれ「鎌倉府」から、「二階堂治部大輔をの横逆を何とかせよ」との命令は下されるに違いなかった――。
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